夢のおさとしを頂いて(後編)
けれども、こうして心臓弁膜症という身上を教えていただきまして、ああなるほど、なるほど、なるほど、神様は、このお道の信仰は助かっていく道ではない、因縁を消す道を初代の会長様がお通りくださり、お通りくださった道の万分の一を、お前さんたちもお通りよ、そうしたら僕の万分の一の徳をもらえて助かっていくよと仰せくださった意味合いというものを、この頃しみじみ悟らせていただくことができるようになりました。
ああもったいない、ああもったいない。せっかく神様が、前生の因縁を消させてあげようと思って、一生懸命、助かってもらいたい、助かってもらいたいとしておたすけをした方が、良くなっちゃうと、プイッと向こうを向いてよそへいっちゃう。とんでもないとこいっちゃう。あるいは道を切ってしまう。
また、ああこの人なら、これから何でも相談をして、この人に頼っていこうと思うとプイッと薄情になるか、あるいはその方が出直しをしてしまう。
なんでやろう、なんでやろうと思うなかに、自分の因縁の自覚ということができないで、相手を、こうしたらいいだろうに、こうして通ったらいいだろうにといって、相手を非難するような心を持ったということが、今は、ああ…つまらんことをしたもんや、あのとき、「ありがとうございます、よくぞやってくださいました。これで一つ因縁切れました」と言って、神様に御礼が申し上げられなかったということは、まだお前さん分からんのかい、まだ分からんのかいといって、この度は、63年も経って、入り込みをさせていただいて63年も経って、身上に教えられたのでございます。まだまだ命があったのは、ありがたいことでございますねえ。
これから10年、100歳を数えるようになりますけど、さあこの10年間のなかに、少しでも因縁を悟って、因縁を消す信仰をさせていただきたいもんだと、この頃はしみじみと思えるようになりました。
ですから、このお道は助かっていく道じゃない。おぼろげながらでも、前生の因縁、また家柄の因縁を悟らせていただいて、その因縁を消す道を、このお道の信仰のなかに、通れても通れなくっても通る努力をさせていただくのがお道の信仰であると、私は思わせていただくのでございます。
また、初代の会長様のお通りになったお姿を見せていただいても、なるほどそうだな、会長様は、常日頃おっしゃっておられたとおりのお出直しをなさったな、ああそうだなあと思わせていただくのでございます。
この因縁を消して、1つでも2つでも助かっていくことが、私たちがけっこうになっていく道でございまして、またその心になったら、分かったかい、分かったらもういいよといって、神様がお許しになってくださるそうです。
ですから、そうしてお許しになってくださる日を楽しみにね、これからはお連れ通りいただきたいと思っておりますが、本当に神様はポーンっと、昔なら初代の会長様が、「お前そこが違うよ。そんなことをしていると、そんな心を運んでいると、今に通れなくなるよ。どうするんだえ」とおっしゃって教えてくださいました。教えていただいたことを、助かりたかったら、守って、心の向きを変え、行いを変えていったらご守護が頂けました。今は、初代の会長様は教えてくださいません。
でございますから、63年前に数々聞かせていただいたお話は、この中(お腹の中)にしっかり入っておりますから、そのお話をもって、切り替える道を通らせていただき、また、皆さん方にも、こういうもんですよ、ああいうもんですよと、お教えをさせていただいて、助かってもらえる。これも、他ではできることではない。できない、こんなことは。お道の信仰なればこそできる、不思議な神様のおはたらきと思います。
どうかね、会長様は、「助かってありがとうございます」と申し上げると、「ああ良かったね」とおっしゃるけど、「実のところね、どうしてこのはたらきができるか、僕自身も分からないんだよ」とおっしゃいましたねえ。「分からないんだよ。分からないんだよ」とおっしゃったまま、お別れをいたしたわけでございますけれども。
まあそういうことで、私は、心臓弁膜症という身上を頂いて、誠に危険な病気ですねえ、これは。お医者さんが、そのまま本当は置いといたら、心筋梗塞か、脳梗塞になる可能性は十分にあるとおっしゃいました。ですから、あんまり荒気ないことをしちゃいけませんよ、大切に体を使ってくださいねとおっしゃったの。
けどこうして、神様の御用を、できてもできなくっても勤めさせていただいているということで、まだまだ神様が必要としていてくださる限りは、滅多に神様は、身上を迎え取られることはないと私は信じて、まあこれからの10年を、できてもできなくっても、この始めさせていただいた動画をもって、皆さんにお話を申し上げて、皆さんに勇んで、信念を持って、信じて、会長様が、「僕は出直しをしても、来世生まれ変わってきたら、また道をやらせてもらう」とおっしゃいましたね。私たちは、そんなこと言ってお別れしませんよ。でも会長様は晩年そうおっしゃった。
「今度生まれ変わってきても、僕は道をさせてもらうよ。このすばらしいお道をさせてもらう。ここに天変地異が起きて、ぜーんぶ世界中の人が出直しちゃって僕一人残っても、僕はお道をさせてもらう。また来世生まれ変わってきても、お道をまたさせてもらうよ」とおっしゃいました。それだけ会長様は、神様を信じて、教祖(おやさま)を尊敬して通っておられるという確信を持っておられた。
この道以外にない、いわゆる『だめの教え・最後の教え』とも聞かされておりますけれども、その信念を持って生涯をお通りいただいたのが、会長様のご信仰でございます。
私たちは、その万分の一の真似事の信仰を、日常生活のなかにしていったら、万分の一の徳がもらえるよとおっしゃってくださった。
けれどもそれは、年限が経って、忘れた頃だよとおっしゃった。明日あげるよとは、おっしゃらなかった。おっしゃいませんでした。年限が経って、忘れた頃にあげるよとおっしゃいました。
どうか、これをお聞きになった皆さん方が、また、神様を信じて、教祖(おやさま)を尊敬して、この道以外にないという信念を持って、どんななかもお通りいただけたら、初代会長様もお喜びいただけるんじゃないかと、また、教祖(おやさま)もお喜びくださいましょう。親神様もお喜びくださいましょう。そういう方を決して神様は、どんな因縁を持っておっても、見放すようなことは断じてなさらないと思います。
私も、背負って(しょって)立たれないような、そういう恐ろしい前生を通った人間でございましても、こうして90歳、生まれて90年ですよ。こうして、お連れ通りいただいているということをご覧いただいても、間違いのない道と思わせていただきます。
今日は、そういうことで、私が、心臓弁膜症という病名を付けていただきましたことについて、入り込みをして5年経ったときの夢のおさとしから、お話をさせていただいた次第でございます。
ありがとうございました。
(後編)以上
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