初代会長様の尊い親心(2)

 

 「だから、今は会長様お元気でいらっしゃるけど、いずれは身上をお返しになられるときがある。そのときの愛町の信仰、「会長様―!」という信仰、その会長様がいらっしゃらなくなったらどうなります?有名な理の立つお教会だけに、愛町分教会の100年先をご苦労くださっていらっしゃるんですよ」と私におっしゃった。

それについては、いや大丈夫ですよ、そんなことは言えませんね。ああそうでございますかと言って、引き下がるより他になかった。

講習を終えまして、お教会に戻らせていただいて、会長様のところにご挨拶にまいりましたら、会長様が、「何か変わったことがあったかい」とおっしゃった。もう会長様の理にはうつっていらっしゃるんだなあ。「はい。ございました。こうこうかくかく・・・」と、今のお話をお伝えさせていただきますと、初代の会長様は、ニコニコっとしたお顔で私の話を聞いてくださいました。そのときのご様子は、今でもハッキリとこの胸の中に残っております。

「大丈夫だよ。僕はねえ、そのことについてはなんにも心配をしていないんだよ。なるほど、私も人間だから、いずれはこの身上をお返しするときがあるかもしれない。けれども、身上をお返しして、この教会が、そんなことがあっちゃあいけないけれども、一時衰えるときがあるかもしれない。けれど、僕はなんにも心配していないということは、やがて僕が生まれ変わってくる」とその時おっしゃいました。「このお教会は、僕の生前以上の発展をきたすから、僕はなんにもそのことについては苦労をしていないんだよ」とおっしゃった。

ああ良かった、苦労をしてらっしゃらない。ああそういうことなのかと、まあそのときに私は安心をしたことを覚えております。

さて、その初代の会長様が、本年はお出直しになられて四十年の年祭をお勤めをくださり、まもなく四十年祭も終わりを告げます。この一年間には、それぞれのところに、いろいろとお教えいただいております。

その初代の会長様は、昭和四十四年の一月の二十二日にお出直しになられたのですね。それはもう皆さん方も、どなたもご存じのことでございます。今日はそのときの全部のお話は、お時間が限られておりますから皆さんにお伝えをすることはできませんが、その中のひとコマ・ふたコマを聞いていただいて、皆さん方が改めて初代の会長様を想われて、初代の会長様に喜んでいただけるような道を、これからお通りいただきたいと思います。

私も歳をとってまいりました。だんだん記憶が薄らいでまいりました。間違ったことを皆さんに申し上げてはいけません。記憶のはっきりしているときに皆さんにお伝えをさせていただいて、また皆さん方が聞かれて、聞いた方がまた人さんにおうつしをしていただきたいと思って、今日はその最期のときのお話を申し上げたいと思います。

 

私が事務所で御用をしておりましたら、奥のご婦人さんがまいりまして、「先生、熱海のお祭りはいつですか?」と尋ねられました。私は、お祭りといったら月次祭しか頭にございません。「一日ですが、毎月」と申し上げると、「いや、先生のところのお祭りじゃないんです。熱海の梅まつりはいつですか?」と。「ああそうねえ、梅まつりねえ。確か駅のポスターにも貼ってあったけれども、1月15日〜3月22.23日ぐらいまでおまつりだと思いますよ。何で?」と言って尋ねたら、「会長様がお尋ねになられました」ということなの。

そこで私は「ああそう!」と言って、会長室へもう飛んでまいりまして、「会長様、梅まつりが始まっております。熱海の信者もお待ち申し上げております。どうぞお出かけください」というお願いをいたしました。そしたら会長様が、「出かけようかねえ」とおっしゃってくださった。これはありがたいと思いましてね。「会長様、私はなにかと支度がございますから、お先に失礼させていただいて、向こうでお待ち申し上げております」と言って、そそくさと準備をいたしまして、教会を後にいたしました。

当時は、愛春の信者さんばかりでございますね。初代の所長さんがおたすけされた信者さんばかり。そう何人もいない。でも帰りまして、皆さんで手分けをして、会長様・奥様がお帰りいただけるように、もうすっかり準備が整いましたところに、会長様がお別荘にお帰りをくださいました。

ところが、いつになく賑やかなんですねえ。それもそのはず、大森町大教会の会長様、それに続いて、大森町大教会のご婦人の役員さん方がお伴をしている。賑やかにお帰りをいただいたのでございます。奥様が、「遠藤さん、もうお夕食の時間になるけれども、今から支度できるかしら」「ああ大丈夫ですよ。なんとかなりますから」と言って、まあお支度も整いまして、会長様を真として、皆さんでお夕食を召し上がっていただいた。

いつになく和やかに、そんなに皆さんがご一緒になって、「会長さん、私はこんなことで会長さんにお仕込みいただきましたねえ」「ああそうだったかいね」そうしてお話をなさってふっと気がつかれたら、もう夜八時を回っておりました。「ああいけないよ、もう八時過ぎたよ。さあもう遅くなるから、みんな早うお帰り」

もうそうなったら会長様も、早うお帰り、早うお帰りなんですねえ。皆さんも、お帰りになられることになりました。夜でございますから、お寒い。「会長様、もうここでけっこうでございます。お玄関でもうけっこうでございます」と皆さんがおっしゃるんですが、「ああいいんだよ、いいんだよ」と会長様おっしゃってね。そうして御門のところまでお出ましになりました。

あの御門からずうっと100mくらいのだらだら坂から、何度も振り返って立ち止まって頭を下げてご挨拶する。「さあ早くお行きよ、早くお行きよ」と会長様。もう何回となく振り返って、見えなくなったわけでございますけれども、本当にねえ、誰しもこれがこの世の最後のお別れになるなんてことは、誰一人思った者はございませんね。初代の会長様も、いつになく和やかなお顔をしておられました。

この日はこうして何事もなく暮れましたけれども、さあそれからというもの毎日、会長様は、朝ご飯を召し上がると「さあ散歩に出かけようかねえ」と、そうしてお帰りになるとご昼食を召し上がって「さあ散歩に出かけようかねえ」と、とにかく一日に二回お出ましをいただいたんですね。

ある日のこと、親奥様が、「会長様、どうしてそんなに今回ばかりは、二回もお出ましになられるんですか?」って申し上げたら、「あのねえ、熱海には遠藤の母親がいて、一生懸命おたすけをしてくれている。その一生懸命に対して、僕は信者がどんな信仰の仕方をしているか、いちいち見て歩かなきゃいけないからね。そういう責任が僕にはあるんだよ」とおっしゃられる。まあなんにも申し上げなくても、初代の会長様はようくご存じでいらっしゃるんだなあと、私はそのときつくづくと思わせていただいたのでございます。

こうして、いつもでしたら途中で「さあ帰ろう。こんなことをしていちゃいけないよ、早く教会に帰ろう」とおっしゃって、そのまんまお教会にお戻りになることもしばしばございましたけれども、このときだけは本当にゆっくりなさったんですねえ。ゆっくりなさいました。

そうして当時19日は、東京の愛豊布教所の所長さん、豊治先生のところの月次祭でございまして、親奥様が「近くへ来たから、月次祭に行かせてもらうから、遠藤さんお留守を頼むよ」とおっしゃってくださった。

ああお留守を頼むよといっても、さあどうしたもんだろうと思っておりましたら、ちょうど私の姪がおりまして、当時9歳くらいでしたねえ。急に芸人さんを頼んできて芸をしてもらうわけにもいきません。そこで信者さんにおぶって連れてきてもらって、石油箱の上に白い布(きれ)をひいてね、そこを舞台にして歌を三つくらい歌ったように思います。

そしたら会長様が、「ああ上手いぞ!上手いぞ!」とおっしゃってくださってね。「お前さんは、顔も綺麗だし、姿も良い。声も良いからねえ、こんなに僕を喜ばせてくれたから、僕がねえ、立派な芸人さんにしてあげるよ」とおっしゃってくださった。へえー、芸人にしてくださる?どういうことだろうなと思いましたが、まあ悪い話ではございませんので、「ありがとうございました」と言ってその日は御礼申し上げた。

まあなんとかその日も暮れました。明けて20日の日でございました。朝の神様の御用も終わりまして、ボツボツおつとめの時間だなあというときに、突然親奥様からお電話を頂戴した。なにやら慌てていらっしゃるようでしたね。「これからね、会長様があなたのところへ行っておつとめをなさると言うから、みんなおつとめをしないで待っててね!!」と言って電話が切れたので、こんなことは今まで無いですねえ。

二代の会長様も、理には厳しい方ですから、お別荘のできたときには「おい遠藤」って言って私は呼ばれた。「あのなあ、お前のとことは、三度行ったり来たりできる。隣組は違っているが、町内は同じ。けれども、近いからといってね、会長が行ったときに理なんていただいたら承知せんぞ!」とおっしゃった。まあそんなことを私もいたしません。だけどそうおっしゃった。「そうして会長様が行ったら、歌の歌える者は歌を歌って、芸のできる者は芸をして、会長様にお喜びいただくんだよ。いいか、分かったかい」

 

(2)以上

 

 

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