親の声を頂いて(3)
こうして私は、ちょうどまたご縁をいただいて、一年経ちまして、前のときは冬でしたが、今度は夏にまたこのお宅へお伺いすることになりました。
駅に降りましたけれども、それらしい方がみえない。
どこにいらっしゃる?まだみえてないのかとウロウロしていたら、ポンッと背中をたたかれて、「先生、お迎えにまいりました」って、ふっと後ろを向いたら、ご主人が立ってるんですけれども、ビックリしたことに、ネクタイ締めて背広を着て、ピカピカの革靴を履いて、お迎えに来てくださった。
前のときには、木綿の天竺に、わらぐつでした。
まあそのあまりの変わりように、私もビックリいたしました。
そして、ご主人に伴われてお宅へ伺いまして、「またまいりました、お願いいたします」と言って玄関を入ってご挨拶をしたら、なんとなく前とは全く変わって、家の中がなんとなく明るく陽気なんです。
ああやっぱり、5日勤めをさせていただいているということは、こうして神様が、はたらいてくださるんだなあ、ありがたいことだなあと思いました。
神様の前へ座って、一年間のことをご主人が話してくださった。不思議なお話を聞かせてくださいました。
不思議なお話というのは、三回ぐらいは、お教会へ運ばせていただく旅費に苦労されたそうでございますが、四度目のとき、突然、見知らぬ男の方が家に入ってまいりまして、「どなたですか?」と言ったら、
「私は、この中央線の駅々で、許可をいただいて靴を販売している者でございますが、あなた、いかがですか?私の手間をして靴を売って歩きませんか?」とこう言われて、
あんまり唐突な話で、「いやあ、わしはもうそんな外に出て働いたことは生まれてこのかた一度もない。木こりですからねえ」と言いましたが、
「木こりだろうが何だろうが、大丈夫ですよ。そんな難しい仕事ではありませんから、ひとつ受けてください。月給は、何足まではこのくらい。それ以上売ってくださったら、一足に対してご褒美を差し上げます。まあやってごらんなさい、大丈夫ですよ」と言われて、まあ肩を押されましてね。
じゃあ、やってみようかなあということの半信半疑の中に、靴屋さんを始めた。
だからピカピカの靴を履いて、背広着てるわけですねえ、木こりさんを辞めて。
まあそうなりましてからね、新人とは思えないくらい成績を上げたんですね。みんながビックリするように。
神様のはたらきってものは偉いものですよ。嘘みたいな本当の話なの。
ですからもうそれからは安心して、もうお教会行かんならん旅費を工面せんならんという心配もなく、お教会に運ばせていただくことを待つようにして、出かけさせていただいた。
そうしているうちに主人だけでなくご家内もご守護をいただかれて、夫婦で身体の動く間、お歳をとっても5日勤めをお勤めくださいました。
何年か経ちまして、その地方のお祭典に御命をいただいて、松本の駅に降りましたら、車が迎えに来てくださっていた。
その車に乗せていただいて、お迎えに来てくださった方に、「あそこのお家の息子さんは、今どうしていますかねえ」とこう言って声をかけたら、ちょうど信号で止まったところで、運転をしていた青年がクリッと私の方を向いて、「先生、僕!僕ですよ!」って言って。
「ええ!まあ!立派な青年さんになったねえ」と。私は小学校のときに見てるだけですからねえ。
「立派な青年さんになったねえ、どうしてるの?」って言ったら、「先生の言われるとおり、高校を卒業して家を出て、ちょうど出張所の親先生が家を借りて布教を始めたということで、車も無いから、おじいちゃんが車を買ってくれて、布教に使わせてもらいなさい、先生をたすけてあげなさいということで、今は出張所においていただいて、そこからお勤めをさせていただいて、御用のときは車で先生のお伴をさせていただいているんです。ありがたいことです」こう言うてね、まあ道中にボツボツとお話をしてくださいましてねえ。私は、昔のおたすけを思い出して、感動いたしました。
ですから、どんな難しいことでも、一人でなんにも苦労することがない。
親の理をいただいて、‘言われしままに通れや通れ道のため’と聞かせていただきますが、神様は、お道をやってくれる人を、難儀さそうとか困らそうなんて親はいない、神様はいない。たすけてあげるというお心で、いっぱいになるということね。
まあその一つの、おたすけでございました。
今、その当時のことを思い出すと、誠にありがたいことだと思わせていただきます。
以上
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