お漬物に理がうつる

 

 信州のほうに信者さんがございまして、月次祭の12日には、前の日からおみえになって、お勤めになってお帰りになるということをしていらっしゃった方があった。

 会長様はお漬物がお好きだそうだげな、というわけですね。

まあ私どもは、会長様のお世話をさせていただいておりましたけれども、もう最後まで、会長様はこれがお好きだなあ、というものは分かりませんでした。

皆さんは勝手に、会長様はスイカがお好きだそうだげなとか、メロンがお好きだそうだげなとか、まあそんなことを言うてはお持ちくださいましたが、私どもは、会長様がこれがお好きというものは、召し上がりものでこれが好きだというものは、おありにならなかったように思うんですね。

ただ申し上げられることは、誠真実で、会長様に喜んでいただこうと思って、一生懸命になってお持ちくださったものは、どんな、こんな物というものでも、会長様は、「おいしいね、おいしいね」と言って、喜んで召し上がっていただいたように思うのでございます。

 

 ある時、確か長野県からだったと思いますが、信者さんがお見えになった。

そして、会長様にどうぞと言って、漬物をお持ちくださったんです。信州の漬物をお持ちくださった。

奥様が、「会長様、会長様」とお声をかけたんですけど、ちょうどその折に、会長様はちょっとお休みになっていて、お声が無かった。

持って来た方にね、休んでおられるから、まあ後で申し上げるから、お勝手のこうこうこういう所に置いといてください。そして会長様に、お食事の時に差し上げてください。こう言ってですね、親奥様が指図をなさいました。

 

 しばらくすると、ふっと会長様がお目覚めになって、「なんだえ?」とおっしゃった。

私は、こうこうこういうわけで、漬物を会長様にといってお届けになりましたが、お休みになっておられたので、炊事場の決められた場所に置かせていただきましたって申し上げたら、まあ大変に怒られました。お叱りをうけた。

怒られたといってはおかしいですね、お叱りをいただいたんです。

「教会に来た物は全部、担任(初代会長様)の物だ。担任の許しなく、勝手に物を処理するということは、お前さん、どういうことなんだ」という、お叱りをいただきました。

 

そうして、その後に会長様が言葉を変えられて、

「こういうことになって、せっかく持って来てくださった品物がこんなことになって、お前さん達がお小言をいただかなきゃならんような羽目になったということは、これは私が休んでいたからどうこうというものでなく、先方さんが持って来てくださる時に争ったんだよ」と、おっしゃった。

「争って持って来たんだよ。いっぺん行って尋ねてごらん」と私におっしゃった。

 「分かりました」と言って、私は神殿へまいりまして、そして、その信者さんがおられましたので、実は今、奥でこうこうこういう事がございましたけれども、いかがなもんでしょうね?って尋ねたら、その信者さんがびっくりされて、「ああ、申し訳ございませんでした」と、おっしゃるんですね。

 

実は、おっしゃる通り、お漬物を持って来るについて、ご家内と口争いを致しました。

でも伺ってみると、道中どうやって持っていったら、美味しく会長さんに召し上がっていただけるか、という事で争いあったんですね。

悪い事ではないと私はその時に思いましたけれども、道中長いから、奥さんは、「ビニールの袋に入れて持って行きなさい。もし瀬戸物のかめに入れていって壊れたら何にもならない」ご主人の方は、「いや、ビニールの袋なんかに入れて持っていったら、味が変わっちゃう。かめに入れて行く」と言ってきかない。

 

「いやあ、お父さん、ビニールの袋が良いよ」「いやあ、かめが良い」と言ってですね、まあお互いが、会長さんにより美味しく召し上がっていただこうという、一生懸命のうえから争いあった事でございますけれども、そのことを、また会長さんのところに行って、実は、こうこうでございまして、結果、ご主人が持っていらっしゃるんですから、争いあった後、ご主人はかめに入れてお持ちになってくださったと。

このことを申し上げると、会長様が、「どんな良いことでも、それは良く分かる。私により美味しく食べてもらおうと、一生懸命は私も分かる。だけど、いくら一生懸命だからというて、争いあっちゃいけない。どんな良いことでもね、争いあっちゃいけないんだよ」と、教えてくださいました。

 

 治める事が大事なんだよ。漬物一つでも、そうやって初代の会長様は、一つ一つ、事細かに理を説いて教えてくださった事を、今、私も思い出すわけでございます。

 

やはり、このお道の信仰は、『理を立てて、理が立つ』とおっしゃった。

ただ助かっていくんなら、こんな簡単な事はないけど、ただ助かる神様はないよって、会長様はおっしゃる。

 

 『理を立てて、理が立つ』といいますね。

いかに信仰しているお互いが、神様を尊敬して、また、理の親を尊敬して通っていくかということによって、因縁を変えていただくわけです。

因縁を変えていただくんですから、これは誠に大切な事だと思わせていただきます。

 

 

以上

 

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