おたすけの時はお茶一杯だけ

 

 愛春の初代の所長となりました私の母が、ある日、お教会の月次祭を終えて帰らせていただきますときに、「ああ遠藤、もう帰るかえ。ご苦労さんだったねえ」とおっしゃって、会長様がお声をかけてくださいました。

 

母はそのときに、「会長様、今度帰らせていただきましたら、私の実家におたすけにまいりたいと思います。お願い致します」と、こう申し上げたんです。

当時、初代の会長様は、信者さんにも厳しくおたすけをすることを教えてくださいました。

「おたすけをしないと、家の中に、助けてもらわなきゃならない、困ったことが起きるよ。お助けじゃないよ、お助かりだよ」と、こんなふうに教えてくださいました。

「お教会でせっかく結構なお話を聞かせていただいたら、ああ良いお話だったで、自分が聞いて自分のお腹の中におさめただけでは良いお話にならない。はなしといって、無くなってしまうよ」とおっしゃった。

「家に持って帰ったら、誰にでもいいから、「神様はね」と言って、一言お移しをさせてもらうんだよ」と、いつも教えてくださいました。

 

母が、実家におたすけに行かせていただきますと申し上げたときにも、初代の会長様が、「里へ行ってもお茶一杯は良い。けれども菜っ葉一枚、米一粒、里からもらってきてはいけないよ。頂いた者も、くださった方も、両方が助かっていかないよ」

このように、厳しく教えてくださいました。

 

当時の日本の状態というのは、太平洋戦争の最中でございました。

日本国中、無い無い尽くしの時代で、すでに配給制度になっておりました。

ご近所の方から、「ああ遠藤さんのところは羨ましいですね。お里が大百姓だから、なんでも頂けるんで結構ですね」と言って、隣組の皆さんが羨ましがった。

母はそうしたときに、「ああ、ありがたいですよ。本当にありがたく思っております」と言って嘘を言いました。

会長様から、「おたすけに行ったら、米一粒、菜っ葉一枚、貰ってきてはいけないよ。もらった者も、くださった方も、ともに助かっていかないよ」

こういうふうに、厳しく教えていただいておりました。

 

(さと)のお嫁さんという方は、たいへん出来の良い方で、

「叔母さん、不自由してるでしょ?」と言って、お米やら、うどんやら、粉やら、野菜類をいっぱい詰めて持たせようと思って、詰めていたわけ。

「ああ実はね、こういうわけで頂けないんだよ」と。

「まあ叔母さん、そんなに天理教って難しいもんなの?」と。

「難しいのよ。せっかく良いお話を聞いてもらっても、因縁になっちゃあ申し訳ないでね、私もつまらないでね。またね、頂きに来るから、今度は頂きに来ます。おたすけでなく、頂きに来ます」と言って、会長様に教えていただいたとおり、初代の所長は、堅く守って通ってくれました。

 

それが今日、子孫の私たちが、結構にお連れ通りいただいている元手の一つでもあるということを、今つくづくと、私は思わせていただくのでございます。

母のことでございますから、(さと)に行けば、ああ今日は買い出しにと思ってまいりましても、「神様はね」と必ず一言の言葉が出ます。

一言の言葉が出たら、もうおたすけでございます。

買い出しじゃない、おたすけということになりますから、せっかく旅費を使って、暇材して運ばせていただいて、徳になるどころか因縁になっちゃあ、つまりませんねえ。

また来るねと言ってですね、おたすけだけをさせていただいて帰ってくるというのが、母の日常でございました。

 

以上

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