野を越え、山を越えて名古屋への道(9)

 

 「親戚が何と言おうと、かんと言おうと、さあ困ったというときに、助けてくれるのは親戚じゃあないよ。神様と僕だよ」とおっしゃってくださった。

「だから常日頃、助けてくださる人の言うことを聞かないでいて、さあ困ったというときに助けてくれと言うても、神様は助けられないよ。僕は助けてあげられないよ」とおっしゃる。「だから、常日頃、助けてくださる人の言うことを聞いて通るんだよ」とおっしゃる。

 

本当に私どもは、一生懸命になった時代は、本家のおじからも疎遠にされました。

離絶同様になりましたけれどね、今は、こうして年代が経ってまいりますと、天理教を聞いたから離絶されたのでなく、すでに道がなくてもそういう運命に落ちていたと思いますが、たまたまお道を聞かせていただいて離絶されたということは、多少なりとも年限が経って因縁が切れますと、本当にまた元のようにお付き合いをさせていただいて、今は恥ずかしくないようなお付き合いができる。

当時はしたいといったってできませんよね。神さんのほうをさせてもらったら人間のことできない。人間のことをさせてもらったら神さんのことできない。だとしたら、人間のことはやめて、神さんの御用を取らせてもらえと教えていただいたんですからね。

教えていただいたことを、かろうじて守って通らせていただいたということが、今日の助かりとなっているわけでございます。

 

こうして、年限が経たせていただきましたけれども、あるとき、私は初代の会長様のおそばにおいていただくときに、お許しをいただいて、講習に出させていただきました。

私が、会長様のおそばで御用をしているということは、講習へ行かせていただいても先生方ご存じでしたから、いろいろね、会長様の日常のご生活、どんなお心を持っておられたとか、お尋ねがありました。

私は、常々会長様から聞かせていただいた。「僕はねえ、日本中の人が天変地変で亡くなって僕一人残っても、僕は道をやるよ」とおっしゃる。

「そうして、真柱様は、大勢の信者の頂点にお立ちいただく方。何も良いにつけ悪いにつけご苦労がある。だから、その真柱様に、事情のご苦労をかけては申し訳ないんだよ」とおっしゃってね、本当にお教会は、おちこぼれで生活なさって、ご本部にご本部にとお運びいただいた時代です。

いろいろお話を申し上げましたら、聞いておられたご本部の先生が、「よく分かりました。しかしながら、真柱様がもう一つご苦労なさっていることがある。そのもう一つのご苦労というのは、あまりにも理の立つ有名なお教会で、愛町の信者さんは、神様・教祖(おやさま)というよりも、会長様―!という信仰をしている」よく見ていらっしゃいますねえ。

「本当に信仰は分かっている。ただ、会長様―!会長様―!という信仰だから、会長様もいずれは身上をお返しする日がある。その愛町100年後を、真柱様は、ご苦労くださっているんだよ」

何をご苦労くださるかというと、「会長様―!会長様―!という信者が、会長様がお出直しをしてしまったらぽっくり穴が開いて、愛町の教会が廃れるときがくる。さあそうなっちゃあいけないから、その愛町100年後をご苦労くださっているんですよ」とおっしゃった。

これには私はお答えできませんね。「ああそうでございますか」と申し上げ、お教会に帰ってまいりました。

帰ってまいりますと、「何かあったかえ」と会長様がおっしゃったから、このことをお話申し上げたら、会長様はニコッと笑われてね、「僕は、なんにも心配していないよ」とおっしゃる。

どうしてかなあと思ったらね、「僕はなんにも苦労していない。あるいはね、僕が出直しをすると、一時そんなことはないと思うけど、失速する時代がこの教会にあるかもしれない。けれども、僕はすぐ生まれ変わってくるよ。この教会は、瞬く間に僕の生前以上に発展をするから、なんにも僕は苦労をしていないよ」とおっしゃったの。

私はね、やがて会長様がお出直しになるなんてことを、考えてもみなかったときのお話でございますけれど、ああ良かった、ああそうなのかと思ってね、安心をしたことがございます。

 

こうして、だんだんと年月が経ってまいりまして、まだまだいろいろお仕込みいただいたことのお話もございますけれども、まあそのお話は、また次の機会もあると思いますから、次の機会とさせていただきます。

 

ひとつ、私はね、ぜひ皆さん方に聞いていただきたいお話が最後にある。

それは、確か、えみちゃんだったかなあ。私のところへ、事務所へね、「先生、熱海のお祭りはいつですか?」って聞きに来られたの。覚えてないかも分からないけど、聞きに来られたの。

私はお祭りっていうと、自分のところの祭典しか頭にないわけ。「うちの祭典はね、1日ですが」と言ったら、「いやあ、先生んところの祭典、お祭りじゃないんですよ。熱海祭り」

「ああ梅まつりですね。まあ私もうっかりしていたけど確かポスターにねえ、1月の成人式の15日から、3月の月末(つきずえ)までのように思いましたよ。何ですか?」って言ったら、「梅まつりのことを、会長様がお尋ねになって」「ああそうですか」と。

それから私はね、会長様のところへ飛んで行って、「会長様、梅が大分綺麗に咲いてまいりましたが、是非お出かけください」

当時はもう、会長様が大病をなさった後のことでした。

 

母が熱海で布教をしてくださいまして、私も、もう教会においていただいて丸20年経って、布教のお許しが出ました。

みんな、「お前はどこに、お前はどこに」と言われてね、みんな呼ばれました、入り込み者は。

私は、会長様の方から、「お前は熱海に行くんだよ」とおっしゃる。

当時は、2人か3人の信者さん。木村はなさんという人から広がって、もう家の信者しかないときですよ。

もともと私たちはね、沼津に住んでいた。それを熱海へ布教に行くんだよとおっしゃる。

そうして、「一人の信者を貸してやる。立ち上がったら、お教会にお返しするんだよ」とおっしゃられました。

こうして、まずはじめ3日の布教から始まりました。巡教しかない時代ですから、行って帰ってきて1日半かかる。

何程のこともできませんが、私は今こう思う。会長様がいつも、「教会をつくってもね、親も子も泣くような教会を、僕はつくりたくない」とおっしゃる。だから本当に会長様は、この親の教会にふせ込ませていただく理を重んじられたと思うね。

幸い私は、母がそうして、本当に布教を、沼津に11柱神様お入りいただいて、会長様のお言葉を頂いて、お前は熱海に行けとおっしゃって、お別れして熱海に布教に入った。一人の信者さんを目標(めどう)に入ったという。私は3日の布教。これから、始まったんですよ。

でもまあぼつぼつと信者さんのご守護をいただきましてね。会長様が大病なさった後だから、なんとかひとつね、信者たちで苦労をさせていただいて、別荘をご守護いただきたい。

いろいろ皆さんが歩いてくださって、ああここも良い、あそこも良いということになって、会長様のところへお願いをいたしました。

そうしたら、すぐお返事はなくてね。ちょうど水梅さん宅でおねりあいをしているときに(まだ神様お入りいただいてないね)、会長様から、それは喜多先生の代筆で、会長様からお手紙が届いた。

その文面は、「みんなが、僕の身体を心配してくれてね、熱海に別荘を云々(うんぬん)ということを言うてくれるけれども、今僕はね、この教会を一歩も外へ出ることができないんだよ。せっかく訪ねてくれた信者さんも、僕がいないとがっかりしてしまう。だから僕はねえ、信者さんに喜んでもらいたい、信者さんに助かってもらいたいから、この教会を一歩も外へ出ることはできないんだよ」とおっしゃる。「みんなの心配してくれる誠の心はありがたいけれども、その心があったらおたすけをしておくれ」そういうお言葉を、総務一同頂戴いたしまして、改めて会長様の親心になりましたと。

まだまだ我々も未熟で、会長様が安心してお出ましをいただくことができないことは、我々が未熟なの。

尚なおこれから精進して、会長様が安心して、どこへでもお出かけになっていただくよう、精進をさせていただくよう誓いました。

「あなたも、どうかそこに心をおいてしっかりおたすけをなさって、会長様のお心にお応えをする道をお通りください」というお手紙を頂戴したの。それで、要らないということですね、お別荘は。

後に何年か経って、また役員から、会長様どうでしょうと改めてお願いが出て、お別荘をお買いいただいた。といっても年に2回か3回おみえいただいただけですね、長い中に。

たまたまその最後の、まあ今考えてみると本当に最後の最後になられた、その1月のときです。

私は、14日か15日に帰らせていただくときに、そういう、会長様のところから、「会長様、梅がきれいでございますよ。信者も待っております」「そうかい、信者が」梅のことはおっしゃらなかったねえ、「信者が待っているなら、行かせてもらおうかねえ」とおっしゃってくださった。

もう私は嬉しくなって、「じゃあ会長様、お支度をして待たせていただきます。私は、ひと足お先に帰らせていただきます」「ああそうしておくれ」とおっしゃってね。

そして、私は帰らせていただいて、熱海へお帰りを用意万端整えて待たせていただいたら、なんと大森町大教会の、昔仕込まれた大教会長さんから役員さんを大勢お連れになって、それはそれはにぎにぎしく、16日の日にお帰りいただいたんですねえ。

そうして、お夕食を皆さんとご一緒に召し上がりながら、「ああ昔会長さん、こんなお仕込みいただきました」「ああそうだったかいなあ」

「私はこんなお仕込みを」「そうだったかいなあ」と言ってね、まあ本当に3時間ぐらい、長いお話を皆さん方となさいましてね。

そして、「さあ、もうね、寒くなるから早くお帰りよ」ということになってね。まあ皆さん

 

 

(9)以上

 

 

※恐れ入りますが、お話の転載を一切禁止いたします(YouTube含む)

※本文中に、適切ではない言葉を使用している場合がございますが、お言葉等の意味合いが変わってしまうため、そのまま掲載をさせていただいております。何とぞご了承ください。