野を越え、山を越えて名古屋への道(8)

 

 信仰の始まりに、「嫁に行ってはいけない」とおっしゃったの。「養子をもらうことはいいけれど、嫁に行ってはいけない」と。

普通考えると、姉妹(きょうだい)3人もいるんだから、いちばん下が養子をとってもいい。良いところがあったら、お嫁に行ったほうがいいということでしょう。けれど、会長様にお伺いすると、「よく考えてごらん、よく調べてごらん」と。

皆さんから、「そういう時はいけませんよ」って言われていたの。

でもだんだん、やっぱり家柄の因縁ですね。いいなんて人はいない、養子になんてね。もらいたいという人ばっかり。

でも会長様は、私の母が私を連れてご挨拶に伺ったときに、「お母さん、安心なさい。安心して僕にお預けなさい。5年経ったら、初子に立派な養子を与えてね、故郷に錦を飾らせますよ」とおっしゃってくださった。母は、「ありがとうございます」と言ってお任せしたわけですね。

でも私は、後になって、これは子を想う親心を会長様はご存じで、母親に心配をかけないように、お言葉をくださったものと思わせていただきますけれども。

 

まあこうして私は、教会へ入って5年目に夢を見ました。その夢のお伺いを会長様に申し上げたときにね、「それは、お前さんの前生の姿だ」とおっしゃってくださいました。

「そういう道を通った者は、今世は、決していい具合にはいくもんじゃあないよ。高い立場におって、どんな悪い人でも自分に気に入れば、重く珍重する。どんな良い人間でも気に入らないとなると、落としてしまう。そういう勝手の道を通ってきた者は、今世は、お金も持って通れない、物も持って通れない、人にも情がもらえない」とおっしゃった。

「そればかりでなく自分の命さえ、しまいには持っていけないような運命に落ちていくよ。だから、この道を聞いたら、自分が良くなろうとか、助かろうとか、けっこうになろうなんていうことは、微塵も心に思ってはいけないよ」とおっしゃってくださったの。

「微塵も思ってはいけないよ」とおっしゃってくださった。「そしてお前はね、今日から、女であることを捨てなさい」とおっしゃった。女であることを捨てなさい。男になれとはおっしゃらなかったね、女であることを捨てなさい。

「そうして、人さんが助かってくださることを自分の喜び・楽しみとして、一代命のある限り、通らせてもらうんだよ」と5年目に夢のおさとしから、会長様に私は前生の因縁を教えていただき、如何にしてその因縁を消していくかという通り方を教えていただいたわけなの。

それで私は、家柄の因縁と、自分の前生因縁の自覚が、おぼろげながらできました。そうだなあ、私は一代、独り身を通らせていただこう。心に定めさせていただきました。そうして通らせていただきましたけれども、会長様は決して道を通る者を、悪くはなさらなかった。

私はたまたまお道を通らせていただいて独り身を通しました。これは社会を通っても同じことなの。道を通ったから独り身を通ったんじゃない。社会を通らせていただいても、当然、家柄の因縁と自分の前生因縁で、独り身を通っていたと思います。

たまたまお道を聞かせていただいて、道を通らせていただいたから、神様はですね、なるほどの道も通れませんでしたけれども、錦の着物を着せていただいたと思いますよ。

 

 

妹が身上のご守護をいただいて20年経ったときに、私の姪である子供が7歳になった。

 

妹は、大病して、身上のご守護をいただいた後、家庭を持たせていただいてね。でも、腎臓の大病でしょう。当時、肺病とか腎臓・心臓、こういう人は絶対にね、子どもを産むことはできなかった。当時は、今のように帝王切開なんてないんだもの。堕ろしたら大罪になった時代ですよ。医者も許さなかった。

でも、会長様は、「立派な子どもを与えてあげるよ」とおっしゃっていただいて頂戴したの。それが、私の後継者になっている家内の勝美と申しますけれどね。会長様から頂戴いたしました。

会長様はね、子のない夫婦に子どもを与えるだけの力を持っておられたお方で、「お金のない人にお金をあげる。物のない人に物を与える。なんにも難しくはないよ」とおっしゃった。

「それだけじゃないよ。今度生まれてくる子は、この夫婦は男の子だな、女の子だなっていうことが分かる。ああこの夫婦は女の子だけど、信仰をしっかりやっているなと思うと、お母さんのお腹の中で、男の子に、女の子を変える力を、僕は持っているよ」とおっしゃる。

えらいもんですねえ、考えられない。その当時は、ああ会長様だからそりゃあ当たり前だなあ、そうだろうなあと思うけど、今にして思うとね、ああとてもとても人間業じゃありませんね。

だから、産めない体でしたが、「大丈夫だよ。僕が産ませてあげるよ」とおっしゃっていただいて子供を授けて頂いたんですが、妊娠7ヶ月で妊娠腎臓になった。

なぜ腎臓の者が産めないということは、子癇(しかん)を起こす。産むまではいいけど、お産のすんだ後、子癇(しかん)を起こしてね、子どもは助かるけど母体がもたないっていうの。まあ100人に1人ぐらいまれに助かるという。そういう危険な病気だから子どもを産めなかった。

でもお陰様で、無事に子供を出産させていただきました。

 

その会長様からお与えいただいた子どもが7歳になったときに、妹は、身上が再発をいたしました。

私たちも無言の中に、もう20年も長生きをさせていただいたんだから、もうそろそろお別れをするのかなあと、まあ心に覚悟をしていた。そしたらそこに、助けの神が現れた。

どういう事かというと、主人になる人が素封家の家柄で、そこに妹は嫁ぎましたが、そのとき私の家は、天理教の天という字を聞かせていただいて丸20年で、熱海出張所という名称の理を頂戴したの。

道の上にはパアーッと花を咲かせました。けれども、人間の上でも喜びがあったわけではございません。その喜びの中に、人間の上では、妹が離婚をしなければならないか、このままでいいかという難場に立たせられたの。

今のままならいいけれども、私どもが道一本になりましたから、財産を取られたらいけないという親戚一同の気持ちですねえ。そんな嫁さん危ないから離縁させちゃえと。そこで、相談があった。

妹が、「わがまま言うて申し訳ないけれども、道をやめるわけにはまいりません」「それじゃあ仕方がない」ということで、妹は離婚をさせられたの。

そして、熱海出張所の名称の理を頂いておめでたい中に、妹は、嫁に行ったものの返されてまいりました。

ああ、、、ものが言えなかったねえ。「なんで親子してこんなに一生懸命やっているのに、所長さん方親子は、妹さんが離婚になって帰ってきた」と人は言う。尋ねられても、返答できない。黙して語らず。私たちの先を見てくださる。無言の中に言うしかなかった。

母は悲しみました。こんな悲しいことないって言いました。でもその悲しみも、道を通らせていただいたということは、今日、喜びに変えていただきました。

 

初代の会長様はいついつもね、「道を通らせていただいているとね、すごーく困ったことが、すごーく喜びに変わるよ。都合の悪いことが、都合の良いことに変わるんだよ」とおっしゃいましょう。そのとおりなの。

妹は、離婚をされてまいりましたが、子どもは一人娘で大事だからやれないというわけ。そうして別れ別れになったんですが、それも、神様・会長様のご守護をいただきまして、くださることになりまして、2人とも遠藤の籍に復縁をさせていただくことができました。

その子どもが、後に私の後継者の家内にしていただくことになった。後継者は、会長様から養子を頂戴することができましてねえ。良い縁組が整う。

そうしてこの夫婦の中に、只今は、男の子2人、女の子2人、4人の子どもを頂戴いたしました。

宝物ですねえ。我が家は、五代続いた女系家族の家柄でございます。はじめて六代目になってですね、男子誕生という素晴らしいご守護をいただいた。

「どちらが生まれたね?」はじめは女の子ですけどね、「これは初代所長の生まれ変わりだよ」と二代会長様がおっしゃってくださった。5年祭のときに、初代は生まれ変わってきた。

長男が生まれましたというときに奥様が、「遠藤さん、遠藤家の因縁が切れたねえ」とおっしゃったの。

ああ、そう言われてみればそうだなあ。これはお金でも買えないね、物を積んだって買えない、頭でもできないね。神様と初代の会長様のお力と言うしかない。

そうして神様、初代の会長様は、1人の男の子で心配だろうと、2人もくださいました。こうして、はじめてここに、遠藤家の深い深い因縁の一つが切らせていただくことができましてね。

私は、同期の桜のご一緒に奥で勤めた皆さん方より、スタートは遥か彼方で遅れました。けれども、ゴールインは同じですよ。ああ神様あるんだなあと思わせていただいた。独り身を通させていただきましたけれども、会長様は、決して道を通る者に恥をかかせませんでした。そういう方と同じように、こうして、孫という宝物を頂戴させていただいた。

 

会長様が、「出がけから、大きな道を通りても、奥の細道、見えてないから。今の道、いかな道やと嘆くなよ、先に往還、見えている」とおっしゃってね、このうたをよく口ずさんでお聞かせをくださいました。

 

つまり、「信仰をさせていただいても、ああそれは聞けません、これは聞かれませんという自分勝手な通りいい信仰をしていると、年代が経つほど、歳をとるほど、困ったことができてくるよ」とおっしゃる。

「ああこんなつらい道、あんな通りにくい道と思うけれども、今は、なんとか、かんとか、今今は通れるだろう」と会長様おっしゃった。

「先の通るに通れない、しのぐにしのげない道を助かっていかなきゃいけないので、神様がご苦労くださって通す道だよ」とおっしゃってくださった。

ですから、私どもは信仰のはじまりに、会長様が、「親戚がなんと言おうと、かんと言おうと、さあ困ったというときに助けてくれるのは親戚じゃあないよ。神様と僕だよ」とおっしゃってくださった。

 

(8)以上

 

 

 

※恐れ入りますが、お話の転載を一切禁止いたします(YouTube含む)

※本文中に、適切ではない言葉を使用している場合がございますが、お言葉等の意味合いが変わってしまうため、そのまま掲載をさせていただいております。何とぞご了承ください。