野を越え、山を越えて名古屋への道(7)

 

 その喫茶部に入れていただいた。

 

私どもは、因縁の悪い者だから、一代命のある限り、お勝手(台所)で尻まくりして真っ黒けになって鍋釜の底を磨かせていただいて、それでけっこうやと思ってお教会に入れていただきましたが、ご縁をいただいて、会長様のおそばで仕込んでいただきました。

こうして、奥で勤めさせていただいて、6年が経ったわけですね。

その間に、私も、箸の上げ下ろしというんですかねえ、会長様に仕込んでいただきました。というより、とにかく仕込むよりも「出ていけー!」というお仕込みですからね。

時には、会長様が金庫の前にお立ちくださって、「可哀そうだからね、遠いから可哀そうだから旅費だけはやる」と言って、金庫の前に何度もお立ちいただいたことがございます。

でも、「どうかひとつ、お勝手の端にでもおいてください」と言ってお願いをする。

粗相をした場合には、奥においていただけませんから、昔は、神殿とお炊事場を繋ぐドンドン橋というのがあった。布団を担いで、そのドンドン橋を渡ってお勝手に下げていただく。

しばらくすると、母が祭典にまいりますね。すると会長様が「お前のお母さんが、沼津で一生懸命信仰してね、おたすけしているのに、娘が粗相してお勝手に戻されたということがあっちゃあ、やっぱりいけないからねえ。帰っておいで」とおっしゃって、また呼び戻していただくということを、何回も繰り返したわけでございます。

本当に時には奥様から、「あんた、そんなに会長様のおそばにおって箸の上げ下ろしのご苦労をいただいていたら、助かる妹さんも助からないでねえ。自分の方から下げていただくようにお願いしなさい」と言われてね、お願いしたこともございます。

「その心になったら、お勝手にいても奥にいても同じや。奥にいなさい」といって、おいていただいたこともございます。

また、あるときには、話が前に戻りましたけれども、母が祭典にまいります。「会長様、母がまいりましたから、ちょっと母に会いに行ってよろしゅうございますか?」とお伺いするわけですね。すると、「ああ良いよ。行っといで」とおっしゃるけど、必ずその後に、「家のほこりの話を聞いてはいけないよ。教会のほこりの話を喋ってはいけないよ。聞いた者も、喋った者も、命が無いぞー!」とおっしゃるの。「ああ分かりました」

母と会うのも一時間も二時間もじゃない、15分ぐらい。「あんた、じゃあね」「またね」と言って帰ってくるだけのことであっても、会長様はそうして、厳しく厳しく教えていただき、また母も、「困るよ、どうしたらいいんだろう」なんていうことは口が横に裂けても、私には言われませんでした。

私も、「こうして会長様に仕込まれてねえ」なんていうことは言わない。「嫌になっちゃった」なんていうことは言わない。だけども、そうした日々があればこそ、今日こうして丈夫においていただいて、曲がりなりにも神様の御用をさせていただけると思いますよ。

 

まあその妹の話でございますけれども、奥に6年おいていただいたある日、会長様から、私と丹羽先生でしたねえ、「長い間ご苦労さん。さあ僕が許すから、これから神殿に出て、僕が教えてあげた話を、皆さんに説いて歩くんだよ」とおっしゃっていただいて、神様の御用を勤めさせていただくお許しが出たわけなの。

「ああ、ありがとうございます」と申し上げる中にもね、ああどうしたらいいんだろうと思いましてね。

裸の八兵衛で、妹に着物をみんな貸してあげてしまっていたので、さあて裸では出られない、ああどうしたもんだろうと思ってね。ご挨拶申し上げて、自分の押し入れの前に座って、考え込んだ。神様はあるとおっしゃるけれど、会長様のようなご守護は頂けないよなあと・・・。

かつて、会長様は、「僕は今日おじさんに追い出されてくるから、お前さん米もってくれ、お前さんお金もってくれ、家もってくれと、頼んだわけじゃないけれども、3人の信者さんがね、私はお米をもたせてもらいます、私はお金をもたせてもらいます、私は家をもたせてもらいますと言うてね、今、追い出されてくるからといって待っていてくれた。だから私は、一晩も軒端に寝ることはなかった。人さんのゴミ溜めをあさることもなかったよ。これが神様だよ」とおっしゃったけれど、会長様のようなご守護があらわれたら、はてさてどういうことになるんだろうと思ってね、じーっとこう考えておりました。

そしたらそこへ、事務所の方が、「遠藤さん、小包よ」って言うの。

長い年月ねえ、小包なんてどっからもこっからも送っていただいたことありません。あら不思議なことだ、誰からだろうと思って、裏を返したら妹の名前が付いていた。あら何が入っているんだろうと思って、中を開けさせていただいたら手紙が一通入っていましてね。

『お姉さん、長い間ありがとうございました。お借りした物は、もう私が着させていただいてズタズタになってしまったから、お返しすることはできませんが、私がお腹をかがめて、歯を食いしばって、朝の6時から夜中の12時まで、一生懸命、骨身砕いて働かせていただいた事情で、買わせていただいた着物です。どうか、使ってください』というてね。開けてみたら、長襦袢と、粗末ながらも着物と羽織と帯が入っておりました。

ああなるほどなあ、これを会長様がおっしゃってくださったんだなあ。

「天理教が分かったら、天理教は楽しみで楽しみでやめられないよ。みんな分からないから、いい加減な信仰をしているんだよ」と会長様はよくおっしゃった。

 

そりゃあねえ、私どもが奥においていただいている時代でも、こういうこともありましたねえ。

会長様が歩いて当時はお散歩に出られた時代ですから、たまたまお伴をさせていただくと、通り道に呉服屋さんなんかあるんですね。

ウインドウに、お召し物が飾ってある。奥様が、「ああ会長様、いいですねえ」とおっしゃるの。それはね、ご自分がお召しになっていいんじゃなく、会長様がお召しになるといいですねっていう意味なんですね。

すると会長様が、「どれどれ、ああいいねえ。なかなかいい柄行(がらゆき)だねえ」とおっしゃるの。それで終わりなんです、ご夫婦の会話はね。それでお帰りになる。

そうすると、2〜3日いたしますとねえ、信者さんが「これはひとつ、会長様に是非お召しになっていただきたい」とおっしゃるの。「会長様にお召しになっていただくと、お店が繁盛いたします」と。呉服屋さんですね、信者さん。

御礼申し上げてまいりまして、「会長様」とお持ちすると、会長様が「開けてごらん」とおっしゃるのね。そして開けさせていただくと、会長様よりこっちの方が、「まあ!会長様」と言っちゃうの。

何故かというと、2〜3日前にお伴をさせていただいて、呉服屋さんのウインドウを見て、「ああいいですね」と奥様と会長様がおっしゃっていることを聞かせていただいている。それがここに来ているの、届いているの。

例えば私がそばにいてね、呉服屋さんが、「遠藤先生、なんぞお持ちしたいんですけれども、何がいいんでしょう?」とお尋ねがあって、「ああそれならね、この間こういうお反物をいいねとおっしゃっておられたから、ああいうようなお反物をお持ちくださると、お喜びになると思いますよ」って私が申し上げてお持ちくださった物は、これは人間がやったことだから、ちょっとも会長様お喜びにならない。

だけれども、私はなんにも申し上げない、向こうもお尋ねがないのに、なんだか知らないが、呉服屋さんが、ああ会長様へこんなものをお持ちしようといって持たせていただいた物が、本当に似たような反物が来るわけ。

「まあ!会長様」と申し上げると、会長様は、「これがお前さん、天理教だよ」とおっしゃるのねえ、会長様が。

ああ、これが天理教ねえ。いいなあと思う物が、ここへこう手品使いみたいにパッと来る。これが天理教ねえ。でもこれは会長様だからこういうことになるけど、我々ごときではこんなわけにはいかないがなあとも思いますよ。すると会長様、それからお話になる。

「井戸の水でもね、こりゃあ名水だから、誰にもやってはいかん。家だけで飲もうといったら、やがて汲まずにいたら、この水はいかな名水でも腐っちゃうだろう。腐ったものは飲めないだろう。良い水ほど、さあ飲んでください、さあ使ってくださいと、皆さんに使っていただいてこそ、なおなお良い水が出てくるんだよ」とおっしゃったの。

だから、「例えばね、ここにタライに水をいっぱい入れて、こういうふうに前へかい込むと、水は逆に向こうにグーンと流れていく。今度こっちからグーンと向こうに押すと、手前に流れてくる。これがつまり天理教だ」とおっしゃる。

「出せば返るが天の理や」

だからね、会長様という方は、思うと成ってくる。けどそれは、出せばということは、常に会長様は、我々子どものために、真実をお出しいただいているわけ。

だから会長様、欲しいと思わない。いいなあと思っただけで、「会長様どうぞ。会長様に着ていただくと、お店が繁盛いたします」実際、本当に繁盛していくんですから。もうこんなことは数々ございました。数々あったんです。

 

「この天理教がね、僕は分かったからやってみた。やって確かに間違いのない道だから、皆さんに勧めているんだから、僕の言うことは、本当に聞いて、本当に通るんだよ」と教えてくださいましたね。

だから私は、本当に、会長様の万分の一のお徳を頂戴して、信徒祭に出させていただくといっても、神様は裸でおかなかった。

私が、「いやあ困ったよ。こういうわけだから、さっそく着物を送ってちょうだい」と言って、送ったものじゃない。妹が、ああちょっとお金が貯まったから、それじゃあお姉さんに作らせていただいてと送ってくれたの。

本当に妹はそういう身上でご守護いただいたから、皆さんからは、「武子さんって、器量も良くって綺麗だけど、なんだか田舎っぽいねえ」って言うの。そりゃあもうねえ二尺の長い袂(たもと)でしょう、私のですから。皆さん一尺一寸ぐらいの袂を着ている。そりゃあ田舎っぽいわねえ。

そして、「武ちゃん、あんた、いつ荷物が届くの?」って言われたの。ああいうところは、女中さんたちでも贅沢ですからねえ。妹は、皆さんへのお土産のお菓子と割烹前掛け一枚で行っているんでしょう、私の着物を着て。皆さんそうおっしゃる。

「実は、私はねえ、親姉妹(きょうだい)がここへ入ってくることは大反対。それをどうしても私がここで働きたいというんで、親子喧嘩して家出をしてきたようなもんだからねえ、なんにも親は送ってくれない、あるけど送ってもらえないのと言って、私は嘘を言って通ったの」

本当のこと言えないでしょう、裸になっちゃって何にも無いなんていうことはね。そう言って通った。

でも、そうして私は困らないで、信徒祭に出させていただくことができたようなことでございますけどねえ。

 

そうして、私は、会長様から、「長女というのは家の真だから、宝だから、嫁に行っては」

 

 

(7)以上

 

 

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