野を越え、山を越えて名古屋への道(6)

 

 会長様は名古屋のお教会にお座りいただいたまんまで、海、山、千里隔てた遠い沼津で寝ている病人が、一分も違わなかったそうですよ。その時間から、夜を通して、一斗五升の悪水がお小水になって出た。

お小水が出なかったでしょう。それがとにかく、一斗五升の悪水がお小水になって出させていただくという、不思議、不思議のご守護をいただいたのです。

ということは、神様がね、壊れた機械の腎臓をお小水の出るようにしてくださったんですね。それからお小水は出るようになった。そういう本当に奇跡のご守護をいただきました。けれども、まだまだ良くはなっていない。

毎日、おたすけ(おさづけの理のお取り次ぎ)に来てくださっていた信者さんが、その一斗五升の悪水が下った次の日にみえて、「あそこにいるの誰?」って言って、毎日見ている方が分からなかったの。それくらい妹は骨と皮になっちゃった。水ぶくれでいたでしょう。

母が三月(みつき)のひのきしんを定めて、帰るときに尾崎先生から教えていただいて、きれいにさせていただいたものをお届けして、会長様がそうおっしゃってくださったお時間に、悪水がお小水になって、一斗五升っていうんですからねえ皆さん、お医者さんがここ(左右の脇腹)へ穴を開けても、盃にタラッタラッタラッと3タレぐらいしか出なかったのに。

こういうご守護をいただいて、後日、武子が、「毎日、おさづけの理をお取り次ぎにきてくださっていた信者さんがね、あれ誰?って、私の顔が分からなかったのよ」それくらいね、骨と皮になった。そうしてねえ、薄紙を剥ぐようにご守護をいただきました。

 

少し話は遡りますが、99人までがダメと言って、会長様お一人だけが助けるとおっしゃっていただいたときに、会長様がこうおっしゃったことがある。

当時は、身上のご守護をいただいた、生き死にのご守護をいただいた者は、もう間違いなく道一方という時代ですよ。だけれど、会長様は、私の妹には、「この者は必ず助ける。助かったら、お前とお母さんが安心してお道のできるように、社会で事情働きをさせてあげるよ」とおっしゃってくださったの。

でもねえ、99人までダメって言うでしょう。これが助かったら枯れ木に花って言っているのにね。いくら神様会長様でも、もしひょっとして、このおっしゃったことが成らなかったら、私たちにも因縁があるから成らないかもしれない。そのときに、会長様に申し訳ないことになるからと思ってね、私はこのことを母にも告げないで、紙にだけ書いて、その紙をお菓子箱の中に納めたんです。だから、この会長様のお言葉を武子本人が知るはずありませんよ。

それを、ちょうど会長様が、中部六県下の東海毎日新聞主催の東海賞というのがあって、その宗教家の表彰をされた。そのとき、会長様が表彰を受けられました。その新聞社の表彰式のときに、はじめて妹は、御礼参拝ができました。

そして、帰るときに妹が言ったことは、「お姉さん、私がこうして助けていただいたのは、神様会長様のお力はもちろんのことであるけれど、当時、沼津の信者さんが、あの武ちゃんを殺したら沼津の信者の名折れだと言ってね、赤ちゃんをもったお母さんが一食抜いてお願いをしてくださった方もあったんです。こうして大勢の先生、大勢の信者さんによって助けていただいたんだからね、私はこれから社会で事情働きをさせていただいて、お母さんがどこへでもおたすけに飛んで行けるように、社会で事情働きをさせていただきたい。そして、ご恩返しをしたい」と言ったんですね。(母は、沼津のなかならどんな遠くでも歩いて行けます。でも、静岡行ってください、清水行ってくださいといったって、汽車に乗って行くということは、お金が無いから行けない、行きたくても。だからそれを妹は見ておりますからこう言ったんだと思います)

まあ私はびっくりしましたねえ。生き死にの分からないときに会長様からおっしゃっていただいたことを、本人から私は聞かせてもらった。

「ああ実はねえ、武ちゃん。会長様が、あんたの悪いときに、あんたの今言ったことをおっしゃってくださっていたんだよ」

「ああそうだったの」

 

私も、もう妹が危ない、もう妹が危ないというときはね、心定めだけでは足りない。持っている物も数少のうございましたけれども、一つ一つ納消をさせてもらって、裸になっていたけれども、まあいつ何時お声がかかって神さんの御用に出るか分からない。裸では出られませんから、そのための着物は手元に残してありました。

ところがその用意していた物も、妹が、「お姉さん、私もこの着物はいとこの物を借着してきたんですよ。これから働かせていただいて、お返しをするからね、一時貸してください」と言うの。

「そうね。まだ私は奥においていただいて御用はないから、じゃあ持ってらっしゃい。またあんた作ったら返してよ」と言って、長襦袢と着物と帯と羽織を持たせました。

 

妹は一年半も寝ていたんですからね、はじめはもう本当に腰をかがめてご用をさせてもらう。

運良く、父方の縁続きで、この伊東で高級旅館をしている。そこが今度、喫茶部を開くについてね、金銭を扱うからどうしても身内の人じゃなきゃ困る。

おばが、「武ちゃんどう?あんた大病して寝ていたそうだけど、温泉に入りながら静養がてらどう?」と。仕事がそんなに大変と思いませんね。「じゃあ、働かせてください」と言って、まあ行ったわけなの。

 

 

(6)以上

 

 

 

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