野を越え、山を越えて名古屋への道(5)

 

 手紙に、『武子さんは助かりましたよ。命拾いをいたしました』と書いてあるんですね。

ああどうして助かったんだろうと思ったら、『実は、あなたがいつまで経っても帰ってこない。もうご近所でも、寄ると触るとあなたの悪口。あんな鬼のような親はない。あんな年もいかない子どもに、病人を置いて、ああ…ということで、もう寄ると触るとあなたの悪口でした。ところが、あなたが帰らないでいる間に、その病院がね、昼間、粗相火から、あっという間に全焼してしまった。そこに、(妹と同い年の)腎臓の重体の患者さんが入院しておられたそうですけど、煙に巻かれて焼け死にました』と書いてあった。

『人の難儀を見て喜ぶわけではありませんけれども、きっとあなたがね、病院に入れて、武子さんを置いて、おたすけに歩いている間に火事が起きたら、こういうことになっていたと思います。助かりましたよ。私はよく天理教のことは分からないけれども、しっかり最後のお勤めをなさってお帰りください。留守は、及ばずながら、陰ながら看させていただきます』と言うてね、激励のお手紙を頂きましてねえ。

かねてから、会長様は「誰がなんと言おうと、かれがなんと言おうと、必ず僕はこの子は助けるよ」とおっしゃった。

「なぜかというたら、お前の母親が、煎餅下駄履いて、乞食のような格好をして、沼津の土地をおたすけして歩いてくれている」

母は本当にお話が分からない。死んだ者も助かりますよ、愛町の会長様の信仰をしたら死んだ者も助かりますよ、信仰してくださいって、にをいがけをして歩いていたわけですねえ。

会長様はそれをよくご存じで、「そうしておたすけをしてくれる者の子どもを倒したら、神様に申し訳ない。誰がなんと言おうと、かれがなんと言おうと、必ず僕は助けるよ」とおっしゃった。

またあるときね、夜遅く親奥様がお目覚めになったら、初代の会長様がお布団の上にお座りになって、神殿の方を向いて頭を下げておられる。

親奥様はびっくりなさって、「会長様、どうかなさいましたか?」って申し上げたら、「今、遠藤の妹の命が危ない。僕はね、今、神様に、僕の五十年の信仰に免じてどうか助けていただきたいと言ってね、お願いをさせてもらっていたんだよ」とおっしゃられた。

後にね、私は親奥様からそのことを聞かせていただいた。ああ、ありがたいことだなあ。こうした会長様の親心があってこそ、助けられていくんだと思いました。

 

こうして、母は帰らせていただいたわけでございます。この三月間(みつきかん)、妹は良くはなっておりませんでした。

帰りますときに、母は、神様にお参りしてご挨拶して、まだ丁寧だからね、昔は会長室のところで、誰にも見られないような細い路地があった。そこに裏木戸があってね、そこから、ああこの辺に会長様がおられるなって伺えるわけね。そこへ地べたに座って、御礼をさせていただきました。

そして、帰ろうと思ったら、尾崎先生が神殿のお縁側で、「遠藤さん、帰るかえ」と。「はい。ありがとうございました。帰らせていただきます」って言ったら、「ちょっと、ちょっといらっしゃい」と。「ああなんでしょう」

「あんたねえ、今度帰ったら、つるりーっときれいになんなさいや」とおっしゃるの。「はあ、先生、つるりーっときれいってどういうことですか?」

「裸(裸一貫)になること。裸になってね、このご普請に因縁の納消をさせてもらうことですよ」とおっしゃった。

「ああ、そうですか。ありがとうございます。きっとそうさせていただきます」と申し上げて、そして、その裏木戸のところへ行って、地べたに座って、持っていたリュックを下ろして、「会長様、遠藤はこれで帰らせていただきます。長い間ありがとうございました」と、御礼を申し上げたわけですね。会長様おられませんよ。

そうしましたら、母は頭を下げているときに、ふっとこの胸をよぎったものがあった、サーっとね。何かというと、今、尾崎先生におっしゃっていただいて、裸になることは決して私は嫌でない。けれども、さあすっきりきれいにしてしまったら、来月からどうやって教会に運ばせてもらおうということを、ふっと胸の中をよぎったの。

会長様は、「おいでよ。来なきゃいけないよ」とおっしゃるでしょう。尾崎先生は、きれいになさい。つまり母は、父が残してくれた古美術を一つ一つ売って、教会へ来るお費用、御供、また日々の生活の足しにしていたわけでしょう。それを全部きれいにしちゃったら、どうなるだろうと思ったという。

思っただけなんですよ。そしたら、なんか知らんで、そこにお人の気配を感じて、ふっとこう頭を上げましたら、まあビックリしますねえ、会長様が裏木戸を開けて、そこにお立ちになっておられた。

「ああ!会長様―!」と言ったら、「遠藤、帰るかえ」とおっしゃった。「はい」「ちょっとね、そこでは人が見るから、ちょっと中へお入り。こっちへお入り」と言ってね、お庭の隅に入れてくださったそうです。

そして、「これから僕が話す話はねえ、決して因縁にならないことだからね、安心して聞くんだよ」とおっしゃって、「僕が許すから、来月からしばらくの間、教会にはもう来なくてもいいよ」とおっしゃってくださったの。

母はびっくりいたしましてねえ、「会長様、よろしいんでしょうか?」

「ああいいんだよ。この道はね、一人助けて、万人だすけがこの道や」と教えていただいた。

「僕が許すから、これから武子のそばにいて、しっかり看護をして助けあげなさい」とおっしゃってくださった。

会長様―!と思う子どもの心と、みんな助かっていくんだよ、どんなことしてもどんなに因縁の深い家でも子どもでも助けあげていきたいという、この会長様のご真実が一つに重なった時ですねえ、不思議な理が起きたわけでしょう。

会長様ちょっとここへ来てくださいとか、私がね、あそこに母がおりますから、ひと言お言葉をと申し上げたわけじゃない。なんだか知らないが、会長様は、お居間にお座りになっておられたのをお庭に降りられて、裏木戸へお出ましいただいたの。

そして母が、どうしたらいいんだろうと、こう心の内を見抜き見通されてね、「僕が許すから、しばらく祭典に来なくてもいいよ」とおっしゃったの。ありがたいことですねえ、皆さん。

 

こうして、母は帰らせていただきましてね。古道具屋さんを歩いて、いちばん高値のところを選んで、といっても、朝鮮戦争が始まったばかりで物価が下落しておりましたよ。

母は着たきり雀で、寝ている病人の布団ひとながれ、そして、箸一膳、お茶碗一個と鍋一つを残して、全てを納消させていただいた。

古道具屋さんは、お道の方でした。よその教会の、確か嶽東さんの信者さん。心得ておられてねえ、「夜のうちに来てください」と。それでも誰れ彼れとなく分かって、みんな一山のね、黒山の人だかり。

大八車に荷物を持ってねえ、母がまた地べたへ座って、「長い間使わせていただいて、ありがとうございました」とお礼申し上げていたら、黒山の人がワーッとみんなが笑った。

そしたらその古道具屋さん、「あんたたち!何笑うんだ!!遠藤さんは気違いでもなんでもないよ!!」と言ってくださったら、みんな、しゅーん…となったというけどね。

 

こうして買っていただいた事情を、母はもうお教会へ来れません。そこで、その気違いのご守護をいただいたご婦人さんが、教会へ身上のお礼に伺うということで、「じゃあ、これを初子に届けてください」と。

届けられた事情を、私は会長様に、「母から預かりました。ご普請の釘一本でもお使いいただきたい」と言うて差し上げました。

そうしたら会長様がね、もう何度も何度も「ありがとうよ。ありがとうよ」とおっしゃって、頭の上まで高く上げてくださってね。

そうして、夕勤めのときに、当時は教祖殿が別棟でしたから、事情盆に入れて、私はお供のときに持たせていただいた。会長様が、教祖殿にお供えくださいましてね。夕勤めが終わった後、それをお持ちになってね。そうして座布団の上にお立ちになって、ちょうどこの辺の右手の方に柱時計がございまして、それを指差されてねえ、「みんな、よく覚えておくんだよ。この時間から、遠藤の妹は良くなるよ」とおっしゃってくださいました。

 

「この時間から、沼津にいる遠藤の妹は良くなるよ」とおっしゃってくださった。

 

実際、後から末の妹に聞かせていただくとね、本当に人間の姿をしていなかったそうです。まあいわば、女の土左衛門(水死体)が、いっぺん下へ沈んだものが上にブワーッと上がったようなもので、顔はこんな、首はこんな、手はこんな、お腹はこんなで、体が倍に膨れ上がっていた。

だから、こうやって手を入れると、顔だってこのくらいまで(指の半分くらいまで)ズーッと入っちゃうくらい水ぶくれ。もう歯はガクガク、髪の毛は一本も無い。もう目まで視力が衰えてほとんど見えなくなっていた。

当時は透析なんてございません。ですから塩気を断っていました。一年半も塩気を断ったらねえ、そうなると思います。

はじめ医者はね、「腎臓はもう機能停止しているから、このままにしておいたら危ない。だから、切開して、腎臓を摘出する手術をしなければ命が危ない」と。「それじゃあ、それで命が助かるんですか?」って言ったら、「分からない」と。

分からないんじゃあねえ、会長様が常々、「お道の者は、神様からきれいなこの身上を頂いて、刃物を入れて傷物にして、お返ししちゃあいけないよ」ということをよく聞かせていただいておりました。

妹は、お道を聞いていて、この身上をいただいた。親不孝の上から。メスを入れたらなお親不孝。入れないことによって命終わるならそれでけっこう。死んでも構いませんということで、手術を断った。断りました。

そしたら、医者がねえ、ドイツから取り寄せたというドリル。大工さんの穴を開けるドリルね。あんなようなので、ここへ局部麻酔だけで3つ(左右の脇腹に三か所ずつ)6つ穴を開けて、毎日そこから注射針を入れて、悪水を取るんですねえ。

ですけど、溜まっているんでなく、湧く水でしょう。悪水ですからねえ。まあいわばポンプが壊れちゃって、体の中におしっこの悪水が充満しているでしょう。

だから、もうしまいには肺の3分の2まで水が入っちゃった。だから、苦しいから息ができませんよ。もう呼吸どころじゃない。うなる。「ブーッ、ブーッ」と豚がうなるような声をして息をしていた。そんな状態だった。

そうして、七転八倒の苦しみをして水を取っても、一つの盃に、タラッタラッタラッとこのぐらいしか出なかった。

それが、会長様が、「この時間から」

 

(5)以上

 

 

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