野を越え、山を越えて名古屋への道(2)

 

 させていただくなら、助からない信仰を泣き泣きさせてもらうよりも、会長様に教えていただいた助かる信仰をさせてもらいたいもんだなあ。まあこんなふうにだんだんと思わせていただくようになりまして、そうして、そんな思っているある日、教会に出させていただきました。

 

初代の会長様が、母におっしゃっていただいたことは、「お前さんたちは、遠いところから運ぶんだから、月に一回でいいよ」とおっしゃった。「ただし、一回運ぶんだからねえ、祭典がいいよ」とおっしゃってくださった。

「そうして、祭典もねえ、当日だけじゃあいけないよ。前の日に来てひのきしんをさせていただいて、当日は参拝をさせていただいて、13日には後片付けのひのきしんをさせていただいて帰らせてもらうんだよ。そうするとねえ、近くのこの近郷近在の信者さん方が月に5回この門をくぐらせていただくよりも、お前さんたちの方が理が貰えるんだよ」と教えてくださいました。

つまり、『遠くて近い、近くて遠い理を悟れ』というお言葉を教えていただくわけでございますけれども、教会の近くにおられる信者さん方は最低月に5回、それ以下であったら、遠方の信者さんが祭典に運ばせていただくよりも、神様から理が頂けないということになるわけですね。

まあこうして、はじめのうちは毎月というわけにはまいりませんでした。ふた月にいっぺん。

そうしているうちに、親子が代わりあって、毎月というふうになりました。

 

こうして、会長様のお言葉を聞かせていただきながら、教会へ祭典に運ばせていただくのを楽しみに、代わる代わる運ばせていただきました。

ある時、祭典の次の日のひのきしんを終えて、神様に御礼を申し上げて帰らせていただこうと思いましたら、事務所に現会長様(2代の会長様・当時は若先生と申し上げていた時代です)がいらっしゃいました。

「あ!遠藤さん帰るかえ」と若先生がおっしゃった。「はい。ありがとうございました。これで帰らせていただきます」とご挨拶を申し上げたら、「あのねえ、僕の弟の政雄さんが、年が明けて2月から修養科へ行かせてもらう(このお話をしている時は、前の年の11月くらいだったと思います)ちょうどいいからねえ、お前さんも行かせてもらいなさい」とおっしゃった。

そのとき、ああそうだ、そうだ、教会で言われたことは神様だから、何でもいちおう「はい」って受けとりなさいと。受けたら、とても無理だということも、そのうちに受けた通り順序をいただくよと教えてもらっておりましたから、「はい。ありがとうございます。行かせていただきます」とお返事を申し上げました。

けれども、家にお金がございません。修養科をお受けして帰らせていただきまして、そのことを母に申しました。まあ母も異存はございませんが、さあその費用をどうやって編み出そうということになりましてねえ。私は71期生でございますが、そのとき、確か修養科のお費用が600円の時代でございます。600円というても、今の金額と違います。その当時の600円でも大変なの。

まあいろいろ家の中を見回しまして、母が娘のためにというて用意をしてくれてありました長襦袢とか着物・帯・羽織、こうしたものを、一度も手に通してないものを、当時は割に高値に買ってもらえたんですね。これを売らせていただきまして、修養科のお費用ができましてね、修養科に行かせていただきました。

終戦後、1年か2年経ったときで、物の無い時でございます。そうして、当時は鼻緒も自分で作る時代です。下駄の台だけあって鼻緒がないでしょう。鼻緒を作りまして、その下駄を履いてね、当時は汽車だって夜行ですからね、夜行の鈍行に乗って行くでしょう。

まあご近所のおじさんが、娘さん一人じゃ気の毒だっていって駅まで送ってくれましたけれど、途中でね、右の前つぼが切れる、ああ今度は左の前つぼが切れるというようなことで、とうとう私は裸足になっちゃいました。新しい下駄を履いて行ったのに。

仕方がございませんからね、駅のお近くに住んでおられた鳥倉先生のお家をトントンっと起こして、「すみません、古い下駄でもあったらくださいませんか?」とお願いをいたしました。

そうして古い下駄を頂戴いたしましてねえ、お教会へ行かせていただきました。

先生方からね、「あんた、足がなくなったら幽霊だ。本当に命のないところで、若先生にお声をかけてもらって、またあんたもすぐ受けさせてもらって、命をいただいたんだよ。良かったねえ」と言って先生方が喜んでくれた。

ああそういうもんかなあと思ってね。まあそんな時代でございますよ。

 

こうして、修養科を2・3・4月と出させていただきましてね、帰ってまいりましたら、皆さん方が「遠藤さん、おめでとう、おめでとう」と言ってくださった。

「ああ、ありがとうございます。無事に帰ってまいりました」と言ったら、「いやそうじゃないの。あなた入り込みだそうですね」とおっしゃるのね。「ええー!!?」って本人の私がビックリですね。「あら、私はまだそれを決めてないんですけど」って言ったら、「あなたのお母さんがね、初子が今度修養科を出てまいります。どうかひとつ、入り込みをさせていただきたいと言ってお願いをされましたよ」とおっしゃるの。

「あれまあ、そうですか」と。もちろん私は、母の言うことが悪いことじゃないことは分かっております。自分も、ボツボツそういう心がありましたから、「そうですか」と言ってね、別に抵抗はございませんでした。

 

そうして、あれは6月でしたかねえ。母が祭典にまいりましたら、急にねえ、ああもう教会に入り込みして道一方となったら生涯出られない、そう思いましたね。だから、まあ今年いっぱいは気楽な信仰をさせてもらいたいと、こう自分で勝手に心で思いました。行ったり来たり気楽にしたい。

そこで、「母がまいりましたから、ちょっと支度に家へ戻りたいのですが」と会長様に申し上げたのです。そしたら会長様が、「ああ行っといで。早く帰っておいで」とおっしゃった。「ありがとうございます」と申し上げて家に帰りましたけど、早く帰ってくる気持ちはないわけです。でも、神様は10日おいていただけなかった。

家に帰って一週間経ったら、母がおたすけ先からもう苦しみながらお腹を押さえて帰ってきた。まあ今で言えば、急性の胃潰瘍(いかいよう)って言うんですかねえ。もう七転八倒の苦しみになっちゃう。

「お医者さんは?」と言ったら、母は、「要らん。お医者さんは要らん。会長様の理がいただきたい」と。もちろんお医者さんに担ぎ込んだけれどね、どこのお医者さんも、先生方が静岡の医師会の総会に行かれて全部お留守で、やっぱり診ていただけないんです。

そして戻ってまいりまして、電報を打たせていただきました。電話なんかない時代ですからねえ。そういたしましたら、母がちょっと楽になりました。ああこれは、会長様がきっと電報をご覧いただいたお時間だなあと思いました。

そしたら間もなく、折り返しの電報は、『定めたことを実行せい、あと文(ふみ)』という電報だったの。「あれお母さん、定めたことって何だろう?」と。

入り込みさせていただくということが、当時、そんなに親の身上をスッとご守護いただくような重大なことということは、私たちは分からない。

「何だろう?ひょっとすると初子さん、あんたの入り込みじゃないの?」

「それはそうだけれど、私が会長様の言うことを聞かないで身上になるなら、それだと思うけど、関係のないお母さんが身上になるのは、おかしいじゃないですか」

そんなことをしているところに‘あと文’がね、亡くなられた今枝先生がおみえになって。

(もちろん私は、母に、はじめてのおさづけをお取り次ぎさせていただいて、少しずつ楽になった。けれども、まだまだだ。)

そうして、今枝先生が座るなり、「遠藤さん、『定めたことを実行せい、あと文』ということは、初子さんの入り込みだよ」とおっしゃった。「もうなんにも支度いらん。もうこれからすぐ発ってくれ」という。

「先生、まあすぐと言われてもね、女ですから、祭典には必ず間に合うように帰らせていただきます」

「じゃあ、それでお願いしよう」ということでね、今枝先生におさづけをお取り次ぎをしていただいたら、もうすっかり嘘のようにご守護いただいてしまった。

ご近所の方でもビックリされて、「遠藤さん(お母さんに)ひとつね、お湯を飲んでもらって」というのでお湯を飲ませたら、もどさないで体に入っていく。

「じゃあ随分食べていないから、重湯さんを作ってあげなさい」と。重湯さんを頂いたら、じゃあお粥さんと、それっきり母は治っちゃった。

 

こうして私は、7月11日の日にお教会へまいることになりました。そのときは、26歳のときでございました。

会長様にお詫びを申し上げましたら、「担任の親は、可愛いという情から許しても、神が許さん」とおっしゃった。

「お前さん、この因縁をこれからどうやって消していくんだえ」とおっしゃられましたけど、はてさて、どんな因縁が待っているやら、皆目分からない。

ただ申し訳ございませんというような気持ちのうえからお許しがいただけてね、まず炊事場に入れていただくことになりまして、そうして、明くる月の8月13日に、親子揃って入り込みのお願いをしていただいたようなことでございます。

 

私は、その入り込みをさせていただいて、ああやっぱりこんなに急に神様が引っ張られるということは、命のないところであったなあということが、それから半年ほどいたしまして、会長様が私をお呼びになった。

 

(2)以上

 

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