野を越え、山を越えて名古屋への道(11)

 

 だからね、おみえになった方が、本当に初代の会長様の最後のお徳を流していただいた、幸せなお方だったと思います。

私もねえ、自分の一存からお断りをしてお別れをしてしまっては、本当に申し訳ないことをすることでございましたけれども、会長様の親心に助けていただいたわけでございます。

この方は、それからすっかり中風という病は治られて、そうして、布教所にお参拝をくださって、お歳をとられて亡くなるときは、本当に老人の病気で、苦しまずに大往生なさったというお話を伺っておりますし、もう年代が経ちましたので、この方をおたすけなさった信者さんも、出直しをしておられるわけですけれども、本当にあのときの会長様のね、一生懸命のお姿というものは、今も目の中に残していただいております。

会長様が、信者さんのお顔をごらんになると、とにもかくにも、「さあ、皆おたすけをするんだよ。おたすけをしないと家の因縁は切れないよ。自分の因縁は切れていかないよ。おたすけをするんだよ」とおっしゃってくださったわけですね。

 

それで何故、初代会長様が手前どもの布教所にお参拝をくださったということは、朝々お目覚めになってですね、「ああ僕は、たいへん違っていたように思う」とおっしゃってくださった。

奥様は、「ああ会長様、そんなことは絶対ございませんよ」と申し上げたら、「いやあ、そうじゃないんだよ。僕が大病をした後、皆が僕のことをね、心配してくれて。それはよく分かる」とおっしゃって。

「ちょっと、ああたまには信者さんの顔を見たいなあ、神様のお話をお取り次ぎしたいなあと思って、(神殿に)出ると、もう出るが早いか、あっ!会長様もうけっこうでございます。どうぞ奥へお引けになってくださいと言われちゃう。だって僕は今出てきたばっかりじゃないかと言うとね、それでも、いつまでも会長様がここにおられると信者が心配で帰れません。心配で帰れなきゃあ申し訳ないね。じゃあ僕は引けるよ。みんないいかえ。ああ、ありがとうございましたと言って、こうして、けれども僕はね、いっつもね、何かしらん心残りがあったよ。引けるときに心残りがあったよ」とおっしゃる。

「だから、今度、教会に戻らせていただいたら、また昔のように、まあ一日に一度は必ず神殿に出させていただいてね、皆さんに、神様のお話をお取り次ぎさせてもらいたい。また皆さんから、あの人はこうして助かりました、私はこうやって良くなりました、助かった助かったという話を聞かせてもらいたいので、神様の前に連れて行っておくれ」とおっしゃったそうですねえ。

それで奥様が、「会長様、ここはねえ、熱海でございまして、神様はございません」と申し上げたら、「それじゃあ近くに神様はないのかい?」

「あっ、近くなら遠藤さんのところにございます」と申し上げたら、「それじゃあ、そこへ連れて行っておくれ。お詫びと定めがしたい」とおっしゃったそうでございます。

奥様が、「そうでございますねえ。けれども、まだ朝早くて寒うございますから、もうちょっとお暖かになってから、お出ましいただきましょう」って申し上げてもお聞きにならなかった。「今すぐ行きたい」とおっしゃってね。

まあいつも熱海にお帰りくださいますと、朝々ゆっくりお休みをいただくように致しまして、そして、お召し物は、長い時間かけておこたで温もりをとっていただいて、そして、お召し替えになっていただいて、朝ともつかない昼ともつかないお食事を11時頃に召し上がって、まあそういうパターンでこうなさっていらした。

それが、朝お目覚めになって、お召し物も冷たい、お湯も一滴もお飲みにならないで出かけようとなさいましたので、奥様がお止めになったのですが、もちろん会長様はお聞きになるはずがございません。

こうして、お出ましをいただいたのでございますけれども。

 

その折にも、会長様はお休みになっている中から、「一つ一つはいけないよ。二つを一つにして通るんだよ」とおっしゃったんですねえ。

このねえ、肩のところへお掛けになってる真綿の軽い肩掛けをお取りになってね、こうやって(手の中で)丸うくなさって、「一つ一つはいけないよ。二つを一つにして通るんだよ」とおっしゃるの。

今考えてみると、そこに時計がね、柱時計が掛かっていた。

ところが、16時で止まっておりましたので、男の方に直してもらおうと思ったら、「いいんだよ、いいんだよ」とおっしゃるのね、会長様。

もう会長様は、時計のことは、とってもうるさいお方でしたねえ。

それが、「いいんだよ、いいんだよ。明日になったら分かるからいいんだよ、いいんだよ」とおっしゃってね、直そうとなさらなかった。

変なことをおっしゃると思いましたが、そのときは分からない、私たちにはね。

本当に、そうしてその日はお休みいただいて、明けて22日、最期の日となったわけでございますけれども。

 

会長様は、まあそうですねえ、その日は11時頃、本当に朝とも昼ともつかないお食事を、お寝間で召し上がっておられました。

そうして、それが終わって、またお休みいただいて、15時のときには、信者さんがお持ちくださったカステラをほんのひと切れと、小さいデミタスカップで、コーヒー、ミルクだったかなあ?お持ちしたら、それもお飲みになって、カステラも、ひと切れの半分ぐらいこう召し上がっていただいてね。

そうして、ちょっとお横になって、しばらくなさるうちに、なんとなくこうご様子がね、おかしいなあ…というふうな感じで、

「奥様ちょっと、会長様のご様子が…」と言って、どれどれって奥様がこちらへおみえになって。

すると、急にお顔がこう赤うおなりになってね。目がなんかしらん、見えないような、一つのところをこう見つめられたような感じで。

それから私は、分かりませんけど何か変わってきたと思って、電話を病院に入れましてね。

まあ病院の先生がおみえいただいたときには、こうねえ脈をおとりになって、「ご臨終でございます」とおっしゃった。

もうそれは本当に、あ、あ、あっという間のことでねえ。

私ども、一度も会長様の下を取らせていただいたことはない。そのおやつを召し上がって、16時15分にご臨終でございますとおっしゃられましたが、その間に、トイレに行かれてね。だから、一度も。お腹の中をトイレに行かれてきれいになさって、私どもはね、下のお世話をしたことはございませんでした。

まあこうして、いついつも会長様はね、「僕が出直しをするときには、『忍恋路(しのぶこいじ)』のひとつも踊ってね、じゃあ、皆さんお別れするよと言ってね、水杯(みずさかずき)をして、そうして、お布団の上に横になると、水気・温み・息、神様がお引き取りくださってお別れをする。今度こういうところに生まれてくるよと言って、誰の腹を借りて生まれてくるよと言って、お別れをするよ」とおっしゃるの。

だから本当に、忍恋路は踊られませんでしたけれども、本当に本当に穏やかなお出直しでいらっしゃいました。本当に穏やかなお出直しであったねえ。

けれどもそれは、もう瞬間的に、亡くなられたのかしらん?会長様また目を開かれて、何をお前さんたちやってるんだえ、僕はちょっと眠っただけだよって、まあどうか、また息を吹き返していただけるもんかなあという気持ちもあったわけですねえ。

けれど、それが本当に、最期のお別れとなったわけでございますけれどもね。

 

まあ会長様がいついつも、「皆がほこりを積んでいると、皆がほこりを積んでいるとね、神様は、白い中に黒一つ置かん。黒い中に白一つ置かん」とおっしゃる。

初代の会長様は、私たちが今こう思わせていただくのに、お姿は、人間でありますから、お返しを申し上げたけれども、会長様の無限のお徳はね、このお教会にお留まりになって、会長様―!と信じる者のところには、千里万里隔てても、そのまんま助かっていくところの理を、運んでいただいていると思います。

事実、会長様お出直しになられた今日でも、皆さん、いろいろと不思議なご守護をいただいておられるわけでございます。

だから、20何年という、お出直しになって歳月が流れると、普通は風化してまいります。けれども、今日もこうして、70周年というひとつの行事に、初代の会長様にいろいろと教えていただいたお話をさせていただくようにというお言葉で、今日こうして、スタッフの皆さん方にご苦労いただいて、ずっと思いつくままをお話をさせていただいたわけでございます。

とにかく天理教の天という字を聞かせていただいて、50余年という年月(としつき)が流れた。

26歳で教会に入れていただきまして、もはや46年という歳月が流れました。

長い道でございますから、それはもうね、まだまだ数多(あまた)お話申し上げたいことがございますけれども、また後の機会とさせていただきます。

 

特にご苦労いただきました、会長様のご苦労いただきました私たちも、まあ通れても通れない、曲がってもくねっても曲がりなりにも、会長様のお言葉を承って、通らせていただいて、今日こうしてけっこうに通らせていただいているということを、本当に最後に、会長様の御霊に御礼を申し上げさせていただいて、まだまだ会長様が、お前あのこともあったろう、こういうこともあったじゃないかと、おっしゃるかも分かりませんが、また、これで終わったわけではございません。

 

 

(11)以上

 

 

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