野を越え、山を越えて名古屋への道(10)

 

 まあ皆さん、ちょっと行って、「ありがとうございました」と。

会長様は、もう姿が全然見えなくなるまで、「ああご苦労さん、ご苦労さん」と(片手を上げてご挨拶されながら)おっしゃってね、お送りくださいました。

思うと、皆さん方とのこれが本当に最後のお別れになった。

誰もそんなことになるとは、まあ神様はご存じであったと思うけれど、ゆめゆめ分からないね。

 

こうして、そのときは、いつになく変わったことはね、朝お食事を召し上がってお散歩にお出ましになり、お昼を召し上がってお出まし、一日に2回もお出ましになった。

「どうして会長様、そんなにお出ましになるんですか?」って奥様がおっしゃった。

いつもなら、時にはね、もうお散歩のお帰りに、「さあ帰ろうよ。僕はこんなことをしてはおれないんだよ。さあ教会へ帰ろうよ」と言ってね、4日ぐらいいらっしゃるご予定が、2日ぐらいでお帰りになることがしばしばあった。

それがこのときは、1月19日になってもゆっくりなさっておられてね。「会長様、もうぼつぼつ帰りますか?」って奥様がおっしゃったら、「まだ僕は帰らない」と。

「どうしてですか、この度は」って言ったら、「だってそうだろう。ここは気候も良いし景色も良いし、第一、信者がいるだろう。信者のところへ一軒一軒回って歩いて、どんな信仰をしているか調べて歩かにゃあいけないからね」とおっしゃってね、お帰りになるとおっしゃらない。

 

そうして、20日の日のことです。

私どもはねえ、同じ町内の3分先ですけれども、常々、今の会長様(二代会長様)から、「会長様はね、お休み(休養)にお出かけになったからね、お前いくら近くにいるからって、あの理この理とお尋ねしたらいかんぞ!承知せんぞ!お尋ねがあったら、教会で尋ねろ。会長が熱海へお帰りになったら、みんなで演芸会やら、歌を歌ったり芸をやったりして楽しんでもらえ」とおっしゃる。

だから、お帰りになる度にそういう催し物をさせていただいては、お喜びいただいていたわけですから、私どもの布教所におみえいただくということは数えるほどでした。

20日の朝になって、これから、ぼつぼつ朝のおつとめさんをさせてもらおうかねという時に、突然お別荘からお電話いただいて、

奥様が大変あわてていらっしゃって「今ねえ、会長様がねえ、訳は後で話すけれども、あんたんとこへ行かれるとおっしゃるから、朝勤めをしないで待っててちょうだい」と。

「ええー!」ということでねえ。ああ会長様がお出ましいただくなら、あの人も呼びましょう、この人も呼びましょうというふうでね。1分しか電話はございませんでしたが、言った先から連絡をとっていただいて、用意万端整いました。

 

けれど、まだおみえにならないから、途中まで初代の所長と私とお迎えにあがったら、会長様がちょっとご気分の悪いお顔をしてお立ちになっていた。「どうかなさいましたか、奥様」と言ったら、「ちょっとご気分が悪くなってね」と。

もう大概のときですと、「会長様、またという日もございますから、いっぺんお戻りになっては」と奥様もおっしゃる。会長様も「ああそうだねえ、そうしようね」とおっしゃるけどね。その日はそういうことを申し上げられるような雰囲気でなかった。会長様は、今考えると、厳しいお顔をなさっておられましたね。もう何も言えない。

じゃあぼつぼつというんで、みんなが抱えてね、会長様のお体をお神輿のようにそおっとね、手前どものお玄関までおみえいただいて、「さあ、信者がいるから降ろしておくれ」とおっしゃって、そこでお降りになってね。

そして、神殿にお入りになったけど、お部屋を暖めてございましたから、前に、お召し物を、お下着を持たせていただいて温めてありましたので、それをお召し替えいただいてね。

「もうここで僕はお参りするから、お前さんたちはおつとめをしなさい」と言って、おつとめさせていただいて、おつとめがすんだあとに会長様が、「今日は、幾日だい?」「会長様、20日でございます」と。「20日ねえ、ああ今日はねえ、(麹町大教会の)清次郎会長様がお出直しになった日だよ」とおっしゃった。

「そうでございますか。実は会長様、大教会のほうもねえ、もうしばしば消防署が、危険だからお勝手を建て直してくださいと言われてきているんですけど、なかなか準備が整いませんよ」とおっしゃった。

「そうかい、そんなことじゃあいけないよ。僕が面倒をみるから、安心して普請をするようにね、(教会にいる二代会長様に)電話をかけて、大教会長様に伝えておくれ」「はい。分かりました」「それじゃあね、きっと清次郎会長様がね、僕をこんなふうにして、大教会のことを頼むよ、頼むよとおっしゃっておられるんだよ」ということでね。

そこでこう会長様が、お勝手から(今の詰所ですね)あの鉄筋コンクリートの建物を、僕が苦労させてもらうから、大教会長様に安心してなさるように伝えておくれということを、私の布教所で会長様はお定めになった。

そうして、後は私にね、「僕を信じて、神様を信じて、しっかりこれから道を通らせてもらうんだよ。やがての日には、そこら界隈にないような立派な教会を、僕がつくってあげるよ」とおっしゃってくださいました。

「お前さんたちは、女だから、へえーって思うかもしれない。教祖(おやさま)は婦人の身ではなかったかい」とおっしゃった。

「教祖(おやさま)は、ご婦人の身ではなかったかい。お前さんたちも女だからというて、一歩も道の上においては引け目をとることはないんだよ。僕と神様がついているんだからねえ、そこら界隈にないような立派な教会を、僕がつくらせていただく。つくってあげるから、しっかり道を通らせてもらうんだよ」とおっしゃってくださいました。

こうして、お帰りをねえ、信者さんにもお供をたまわって、お車でお帰りをいただいて、さっそく医者を招いて、こちらの主治医の余語先生ともお電話で話し合っていただいて、手当てをしていただきましてね。

お医者さんも、「ようございましたねえ。ただのお風邪で、ようございましたねえ」とおっしゃってくださった。ああ良かったなあということで、その日はお休みいただいた。

 

そして、次の日の21日の日ですね。その日はねえ、もう熱海でも寒い日でした、氷雨が朝から降ってね。

そしたら、横浜から、中風の方のおたすけをなさった信者さんが、会長様のところへお目にかかりに来たの。

会長様がお休みになっているということはご存じないね。まあ名古屋までは中風の人をお誘いして行くわけにはいかないけど、熱海にお帰りいただいたら、まあお目にかかれるだろうといって、その方をお連れになった。

さあ困りましてねえ。会長様お休みになっておられるから、「奥様、どういたしましょう」と。奥様のお顔を見ると、「会わせてはあげたいけれども、お風邪を召しておられるでねえ」「そうですねえ奥様、またという日もございますものねえ。それじゃあ訳を申し上げてお帰りいただきましょう」と言ってね。

訳を申し上げたら、「ああそうですか」と言って、長いこと2人で、もぞもぞもぞもぞねえ、陰から声に出ない声を出して、襖(ふすま)越しに会長様にご挨拶申し上げてお帰りになった。

私は、御用があってお部屋に入れていただいたら、会長様が「何だえ?」とおっしゃったのね。

私は、「はっ、別に何でもございませんが」とこう言ったら、「そうかい」と。またしばらく経ったら、「どうしたんだえ!!」ってもうそれはねえ、厳しいお声なの。

それで、「ああ実は、こうこうでございます」と言ったら、会長様が、「すぐここへ連れておいで!!」とおっしゃるの。「ああそうでございますけれども、もう大分お時間が経っておりますのでねえ。下で車に乗られたか、もう熱海の駅へ着いて汽車に乗られたかも分かりません」と申し上げたら、「汽車に乗ってもいいから連れておいで!!」とおっしゃる。

これは一大事ということでねえ。おってくださった青年さんに走ってもらって、まあそういう不自由な方ですからね、やっと坂を降りて、さあ車に乗って出ようというところに、「待ってくださああい!!」っていうわけで、こうこうこうで、それでその信者さんをおんぶして、そして戻ってきてくださった。

「会長様、今、戻ってまいりました」「じゃあ、中へ入れておやり」とおっしゃる。

だからもうその信者さん方が恐縮しちゃってねえ。お部屋の中へ入っても、もう襖のところでこうやって固くなっている。

「ああいいんだよ。さあ、僕が徳を移してあげる。もっとこちらへおいで」と。そしたらもう、そのおたすけなさった信者さんが、「中風で本当に動けなかったのが、こうして、少しでも動けるようになりまして、今日は御礼にまいりました」と。

「ああそうかい。そりゃあ良かったね。さあ、もっとこちらへおいで」とおっしゃってね。こうやって這って、やっと近づいて、「もっと、もっと」とおっしゃってね。会長様のお寝間のここの端のところまでみえた。

そうしたら、お手を伸ばす感じをなさったから、親奥様がこうやってお布団を軽く剥がれて(会長様の手が、こうやってその方に触るようにね)そしたらねえ、私どもは会長様がなでてくださると思って、みんなこうやって頭を下げていましたでしょう。その隙にね、まあびっくりしたの。会長様パーンっと飛び上がって、パッとここへ座ってしまわれたの、枕元に。

もうびっくりして、奥様も「あ!!会長様いけません。そんなことをなさってはお身体に…」「まあいいんだよ、もうこのとおり座っちゃったじゃないか」とおっしゃってね。「さあ、僕の膝のとこまでおいで」とおっしゃってね、それでもう胸からこう三度なでてくださってね。「さあ後ろをお向き」と。

まあその頃にはね、私どもも、おそばにいた皆さん方も、その信者さんも、鼻水と涙と一緒くたになって、もうおいおいおいおい泣いちゃって、もうなんとも言えない気持ちでしたねえ。

この会長様のお心の内と、ご自分がえらい(しんどい)なんてもんじゃない、明日はもうお別れをするんでしょう、まあえらくない(しんどくない)ということはないと思う。まあ我々ならね、ああそうかい、またという日もあるからいいんだよ、なんていうね、話したくない、あんななでたりできない。それを会長様は、ご自分もおえらくっても(しんどくっても)、この氷雨の降る中を、不自由な身体で、横浜からわざわざ会長様―!といって訪ねて来てくれた、その信者さんの心にもうなってしまっておられたの。それでなでてくださったの。

「さあどうだい、手を上げてごらん」とおっしゃると、もう一生懸命その方が、こうやって(ゆっくりゆっくり手を)上げる。「ああよしよし。じゃあ今度は横へ上げてごらん」(両手を、ゆっくりゆっくり横に広げる)

「これからね、神様と、この僕を信じて、しっかり道を通らせてもらうんだよ」とおっしゃってくださった。まあ涙の中に、喜び、喜びで、この信者さんはお帰りいただいたわけでございますけれども。

 

本当にこれがね、初代の会長様が、長数年の間におっしゃったの。「僕は、自分の楽しみは全部神様にお供えして、何が今楽しみかというと、皆さんがこうして助かった、ああして助かった、今こういうところにおたすけしておりますという話を聞かせてもらうのが、なによりの僕の楽しみだ」と。

ですから、なぜ20日の日におみえいただいたということは、そういうことなの。「楽しみだよ」とおっしゃった。

なぜかというと、後で奥様がおっしゃるのには、次の日におっしゃってくださった。

何をお言いいただいたかというとね、朝、突然、早々にお目覚めになって、「母さんや、私はたいへん違っていたように思うよ」とおっしゃって、奥様がびっくりされてね。「いいえ、会長様がそんなことは絶対ございませんよ」と申し上げたら。

 

 

まあこう考えさせていただきますと、その横浜からおみえいただいた信者さんが、最後に会長様からお徳を流していただいた、たいへん幸せな方だったと思いますが、私の一存から、もしも、会長様が呼び返していただけなかったら申し訳ないことをしたと思いますが。

 

 

(10)以上

 

 

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