天理教 麹町大教会 愛町分教会

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守らせていただくから、その人間が守られる


誰も見ていないというても、神様と自分が見ている

 


だんだんとホームページをご覧くださる方々が、月を追うにつれ増えてまいりまして、誠に嬉しいことでございます。初代会長様も必ずやお喜びいただいていると存じます。
また中には、毎月掲載を楽しみに待っておりますというメールや、これからも続けて書いてください、がんばってくださいというメールを頂戴し、私はメールをいただく度に喜びで胸がいっぱいです。

さて、今回、この文章を書かせていただくにあたり、まず神様にお願いをさせていただき、おふでさきを開かせていただいたところ、
『いかほどにむつかしい事をいふたとて とかずにいては わかるめはなし にちにちに神のおもわくだんだんと といておくぞや これきいてくれ』(おふでさき第4号99、100)
というお言葉が私の眼に入ってまいりました。
今回はこのお言葉につながるお話をさせていただきたいと思います。

昭和22年頃のことと思われますが、12日のお教会の月次祭をすませまして、13日の朝勤め後、初代会長様に帰らせていただくご挨拶を申し上げた際に、母である初代の所長は、初代会長様に「今度家に帰らせていただきましたならば、私の生家へおたすけに出させていただきとうございます」とお願いを申し上げました。
すると会長様は、にわかに厳しいお顔になられまして、「お前さん、先方へいったなら、たとえ自分の生まれた家であっても、お茶一杯はゆるす。しかしながら、米一粒、菜っ葉一枚もらってきてはいけないよ。くださった先方さんも助からない、いただいたお前さんも助からない。助かる神様のお話をお取り次ぎに行かせていただいて、両方が因縁に倒れてしまっては、元も子もないじゃないか。そんなことになってしまってはいけないから、こうして教えてあげるのだよ」とお話くださいました。
また、会長様は重ねて、「いいかい、わかったかい。お道の信仰とは、聞いたお話をどんな小さな事柄でも、命懸けで守らなくてはいけない。誰も見ていないというても、神様と自分が見ている。自分が見ているということは、この理はやがて天に届く。天に届いたことは地に移り、人に流れてゆく。世の中のことわざにいうだろう『悪事千里を走る』と。つまりこのことだよ。僕が教えてあげたことは、どんなに通りにくい道であっても、むずかしい道であっても、命にかえて守るのだよ」とお話くださいました。

こうして初代の所長は、お教会の尊い理をいただき、沼津に帰りまして、さっそく生家へおたすけに出させていただきましたが、神様のお話を家族の方々にお取り次ぎをさせていただき、帰らせていただこうといたしますと、長男の嫁が、お米やうどん、また、大根・人参など根っこの野菜にいたるまで用意してくださっておりました。

太平洋戦争は終わったといえども、国民は配給生活で不自由な生活を強いられていた時代です。母は、「ああ、さっそく神様のおためしだな」と思いまして、「誠にありがたいことではありますが、今日はおたすけに来させていただいたのですから、米一粒、菜っ葉一枚いただいてゆくことはできないのです。そうしないと、貴女方も助からない、私も助からないのです」と言うてお返しをさせていただきました。

お嫁さんは、「おばさん、天理教ってそんなに難しいものですか」とおっしゃったそうです。親神様は、さあどうする、神様会長様が傍らにおられて見ていなくても聞いたことを守れるか、どうだ、と母におためしをくださいます。

母は「今度来る時は、おたすけではなく買い出しでまいります。その時まで預かってください」と言うて、おいとまをさせていただきました。

(かくしてその後も、毎月生家におたすけで足を運ばせていただきましたが、伺えばまず母の口から「神様はね」という言葉が出ましたので、結局、買い出しをすることにはなりませんでした)

母の生家は大変裕福な農家でございましたが、その当時の私どもは、ご近所の方々と同じように、不自由な中を通らせていただきました。しかしながら、こうして年限が経ち、今日になって当時を振り返ってみますと、母である初代所長がどこまでも初代会長様の御教えを守って、命懸けで通ってくれたことが、今日子孫の私どもの大きなたすかりとなっていると感じます。
(話はそれますが、くしくも今年は、初代所長遠藤ハル之霊の三十年祭にあたりまして、さる三月七日、愛町分教会において霊祭をつとめさせていただきました)
また、今日、通ってまいりました道を振り返らせていただく時、誠に会長様のおっしゃった事は、良い事でも悪い事でも、千に一つの違いがないということをはっきりと申し上げる事ができます。
神様の御理を立て、守らせていただくから、その人間が守られるのです。

 


お話を元へ戻しますが、生家へおたすけに運ばせていただいていたところ、ある日突然、生家の姉の主人がうつ病になってしまいました。

大野佐七先生にお話をしましたところ、「遠藤さん、一緒におたすけにゆきましょう」とおっしゃってくださり、初代所長は神様にお願いをし、おたすけのお供をさせていただきましたが、生家に到着した時分、今まさに伯父は、縄をかけ、首をくくろうとしているところでした。


もう少し遅かったらと思うとぞっとします。

本当に間一髪のところで、神様の御守護をいただくことができたのでした。


こうして、次におたすけに伺った際のこと、伯父は、家の中から古びた書付けを持ってまいりまして、「先生これをご覧ください」と見せてまいりました。
それは、小田原の城主が書いた書付けで、戦国の時代、軍資金を調達に来られた際、先祖が金子を差し上げたことに対する感謝状でございました。家族の誰もそんなものがあるとは知りません。皆びっくりしておりました。

大野先生は、「遠藤さん、この書付けがうつ病になる元だよ」とおっしゃいました。

つまり、世間では大変名誉なことではあるけれども、お道では大変因縁深いことなのです。

なぜなら、お金を差し上げたから戦争ができたわけで、自分たちが直接携わったわけではないのですが、間接的に人と人とを争わさせたという大きな因縁であります。そんな因縁を積んでしまったとも知らず、時を経て、家の中に、うつ病という医学では治しにくい難しい病気の人間がでてきたのであります。
大野先生は、「この伯父さんが、前生、軍資金を小田原城主に差し上げた人でしょう。本人にかわって前生の通った道をお詫びさせていただき、これからおさづけをお取り次ぎさせていただきましょう」言われまして、伯父は尊いおさづけをかけていただきました。
そうして、その書付けについてはお炊き上げをさせていただき、あくる月、おたすけに参りました時には、伯父はすっかり元気になっており、本当にここまで人が変わってしまうのかと驚くほどでした。
その後、伯父は長寿を全うし、生涯同じ病にかかることはなく、病抜けをさせていただきました。


初代会長様は、教えていただいた事は、どんなに小さな事でも、命懸けで守って通らせていただく中に、神様の尊いお姿をおたすけの上にもお見せくださると教えてくださいました。
また、おたすけは、“おたすかり”、つまり、聞いて守ってくださった相手さんも助かりますが、むしろ、おたすけをさせていただいた自分が助けられてゆく道であるとも、会長様はおっしゃっております。


神様のお話は十分にできなくても、日々朝起きて夜休ませていただく中に、初代会長様に教えていただいたことを守って通らせていただいておりますと、会長様の万分の一のお徳を頂戴することができるのございます。


それを早う聞き分けてもらいたいとして、人さんの顔さえ見れば「神様はね」と話をかけられて、食べる事も忘れ、寝る事も忘れて、一生懸命道の上にお通りくださいましたのが、初代会長様の御生涯でございました。

 

 

さて、最後になりましたが、きたる4月1日に、布教所の春季大祭が執行されます。
初代会長様のお話もさせていただきますので、ご都合がよろしければ、
一人でも多くの方に、万障お繰り合わせのうえ、お運びいただきたいと存じます。

■午後1時執行

■JR伊東線 宇佐美(うさみ)駅下車 車4分

 送迎車がございますので、0557−47−2038までご連絡ください。

■電車乗り換え案内リンク(最寄の駅から、宇佐美までの乗り換えが検索できます)

よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

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