困った事ほど助かる道(4

 

 もう一つはどういうことかと申しますと、ある日のこと、本人のところにですね、兄弟分の人間から電話がかかったんです。

どういう電話かというと、なぜ親分さんのところに挨拶に来ないんだということなんですねえ。

何を挨拶に来ないかというと、その時に、他の組とですね、喧嘩の出入りがあったという。

たいへん大きな喧嘩であったそうで、両方に死人が出たりケガ人が出たりという、大きな事件であったようでございますけれども、そういう時にはどんな遠方にいても必ず飛んで帰ってきて挨拶をする、まあこれがそういう世界のしきたりであったようでございます。

もちろん知ってはおりましたけれども、自分はもう親分さんから盃を割って返していただいて普通の社会の人間になったんだから、せっかくそうして心を砕いていただいた人に対して、出掛けていくのが筋かもしれないけれども、かえってその心に対して申し訳ないと思って、知っておりましたけれども行くこともなくまた連絡もとらなかった。

こういうわけで行かれませんから、大変でしたねという連絡も一切とらなかった。そうしたところに電話がかかった。「会いに行く」と。会いに行くということは一人では来ないね、そういう連中が5〜6人やって来る。

何を言われる?良いことはないね、良い話なんか持ってくるはずがない。

 

そこで私に相談がございまして、私もそういう世界のことは分かりません。

でも、そういう人たちが教会へ来て、みなさんにご迷惑をかけては申し訳ない。

会長様に、どうしたもんでございましょうか、来てもらって話し合いをしたほうがいいのか、あるいは、先方がこうこうこういう所に出てこい待ってるからと言われたので、そちらへはいと言って行った方がいいのか、知らん顔をしていたほうがいいのか、どうしたものでしょうかとお伺いいたしましたところが、会長様は「構わないから呼んだらいいじゃないか」と、「その人間たちを呼んだらいいじゃないか」、まあこうおっしゃったんですねえ。

けれども本人としては、ああそれもどうも申し訳ないことですので、指定した場所に指定された時間に行かせていただきますと会長様に申し上げて下さいと。

そして、私には、「先生、これから出かけますけれども、明け方になっても僕が帰ってこなかったらその連中に殺されたと、その連中の手によって僕は殺されたと思ってください」と、こういう誠に物騒なことを言い残して出かけました。

私は、どうかひとつこれをね、せっかくお道をやらせていただいてきた、これからもやらせていただこうといって一生懸命になっている人間に対して、命を持っていかれちゃあ大変だ。会長様は、「道を通る者を、神様は殺さないよ。大丈夫だよ」っておっしゃってくださるけど、本人に殺される因縁があれば殺される。そこで私は、夜中の十二時まで、一時(いっとき)願いをさせていただきました。

そして休ませていただきまして、次の日の朝、早く目を覚ましましたら、「帰ってきたよ!無事に帰ってきましたよ」っていうことを、教会の青年さんから聞かせていただいて、ああ良かったなあと、本当にその時はありがたく思わせていただきました。

 

後日の話として、本人がその時のことを、私に話をしてくれました。

4人でやって来まして、話は簡単、もうこの当局の取り締まりが厳しくって、戦前は4000名ぐらいの組員がいたのが、今はだんだんだんだん減って、お前が帰ってきてくれたら、また昔のように勢いが出てくると思うから、どうかひとつ組のために帰ってきてはくれないかという話なんだそうです。

だんだん聞かせていただいて、「僕は今こうしてこのお道の信仰に入れていただいて、その会長様に大変助けていただきました。だからその会長様に僕はこの命を預けてある」と、「死ぬも生きるも会長様。その会長様は、僕がそういう世界に戻ることは大嫌いだ」と申し上げた。

さらに、「そういう世界から足を洗って、社会に立って、底辺を歩くんじゃない、人の上に立って通らせてあげたいというのが、会長様の望みなんだ。その親心に対して、僕は返事をすることはできない。絶対に元へ戻ることはできない!」こういうふうに申しましたら、はじめはもう喧嘩になって、大騒動のようでしたけれども、だんだん相手がおさまってきまして、「そうか、そこまでお前は天理教にまたその会長様という方にほれ込んだのか」と、「もう止めない。もう分かった!もういい!じゃあここで潔く兄弟分の盃をお前に返してやる」と。

そこで皆が盃を割って、「さあこれでお前とは赤の他人。もう今後一切かかり合いはしない」と、こういうことでね、一時はどうなることかと思いましたけれども、無事に無傷の体で教会に戻ってくることができたのでございます。

話は簡単です。ああなんだそんなことかと。

しかし、これはもうとてもとても大変なことなんです。大変なことなんです。

それを、指を詰めることもなく、罰金を納めることもなく、また命を持っていかれることもなく、無傷の体でそのヤクザの世界からきっちりとけじめをつけて足を洗うことがここでできたのでございます。

 

そうして晴れてきれいな体になって、残りのご普請のひのきしんを勤めさせていただきました。

こうしてご普請が終わって、自分の生まれ故郷に帰らせていただいた。

それからが、本人の生の信仰。今まではお話を聞かせていただいて、そういうもんか、ああいうもんかと聞いて通ったものを、今度は聞かせていただいたお話を、社会の中で、実地に実行に移して通る信仰がここから始まっていったわけでございます。

 

この二つの出来事は、私は今も忘れることができません。これから先も忘れられない。

親神様・教祖(おやさま)・初代の会長様のお徳の素晴らしさというものを、しみじみと教えられたことでございました。

 

 

(4)以上

 

 

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