天理教 愛町分教会

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子供には子供の徳がある

 

出せば返るが天の理

 

 

初代会長様は、朝勤めにお出ましになられる前に、必ずお塩湯をお飲みになられました。そして、お済みになられますと、奥につとめる私どもが「会長様お早うございます。今日も一日よろしくお願いいたします」とご挨拶を申し上げるのでした。初代会長様は、「お早う。今日も一日皆たのむよ。朝こうして人が会うと『お早うお早う』と言葉を交わし合うのは、『さあみな早う聞きなさい』、何をきくのかと申せば、『みな天理教を早う聞きなさい』と言葉にまで出して教えてくださっているのだよ。」と仰せくださいました。

(また、初代会長様は、お湯呑みの中から立ち上る湯気の上がり方で今日は何が起きるということがよく分かるよと仰せくださったことを覚えております)


いつものことであれば、こうしてご挨拶が終わりますと、お袴をおはきになられ、紋付のお羽織を召されて神殿にお出ましになられるのですが、その日は、役員さんがあわただしく、何やらリボンのかけられたお品物をお届けにこられました。
初代会長様から、「お前さん、開けてごらん」とお声をいただき、開けさせていただいたところ、ケーキが入っておりました。「会長様どうぞ」とお目にかけますと、「戸棚にしまっておきなさい」と仰せられましたので、「はい、わかりました。しまわせていただきます」と申し上げ、そのようにさせていただこうとしたところ、お子さんの清和様が飛んでこられ、私の耳元に口を寄せて「遠藤さん、僕ケーキ大好きだから誰にもあげたらいかんよ。僕は学校から楽しみに帰ってくるからね。」と小さい声で言われましたので、「大丈夫ですよ!まかせておいてください!」と、私は胸を叩いてお約束をしたのでした。

(清和様はその頃小学校2年生ぐらいでいらしたでしょうか。ただいまは立派にご成人をなさいまして、愛清布教所の所長をおつとめになられております)
太平洋戦争は終戦になったと申しましても、国民は物のない中をまだまだ通されていた時代です。ケーキなぞ、めったにお目にかかれない時でございましたから、子供さんは大変喜ばれたのでした。

さて、それから後が大変なことになったのでございます。
初代会長様は、いつもと変わらず、朝勤めの後しばらく神様のお話をおつとめくださいまして(一時間半くらいと思います)、奥にお退けになられ、朝のお食事をお済ましになられました。その後、こてっぽうと言う木綿のかすりの仕事着をお召しになられ、奥のお勝手におみえになり、「さあー、いただいたものを、ここにみんな出しておいで」と仰せになられたのです。


板の間に会長様のお座布団を引かせていただき(当時は座ってお勝手をする時代でした)、その前にそれは大きなまな板を置かせていただきました。そして、「会長様に、会長様に」と、信者さんからお届けのあったお菓子やお下がりの果物等を、会長様の前に置かせていただきます。
私どもは各所に連絡をとり、人数を調べて、その人数分のお皿を並べます。当時、奥の御家族から入込者、長期ひのきしん者を入れると、約100名くらいの方々がいたと記憶をしております。初代会長様が「これで頂いたものは全部かえ」と仰せられましたので、私は「はい、全部でございます」と申し上げましたが、いささか嘘を申し上げたことに対して気後れをしておりました。

清和様とお約束をしたのですから、ケーキは誰にも見つからないよう戸棚の奥深くに隠してありました。気にはかかっておりましたが、たとえ子供さんといえどもお約束をしたのだから嘘はついてはいけない、会長様に嘘を申し上げたことについては私がお仕込みをいただけばいいと、自分に言い聞かせておりましたが、会長様が「これで全部かえ」と重ねてお尋ねになったものですから、これ以上嘘を申し上げることができなくなり、「会長様申し訳ございません。先程頂戴したケーキは、清和さんとお約束をいたしました。どうかたまには子供さんのお好きなお菓子は、子供さんに十分満足なさるまで差し上げてください!お願いいたします!」と必死の思いで申し上げました。すると会長様は、私の顔をじっとご覧になられておりましたが、しばらくして、「子供には子供の徳があるからいいんだよ。さあ早くここへ出しておいで」と仰せくださいました。


会長様は、よくこれだけ薄く上手に切れたなあと関心するほどに、ケーキを自ら薄くお切りになり、お分けになりました。
話はそれますが、私どもなら、果物がバナナ・柿・リンゴとあると、「まあ数がないから、あなたはバナナ、あなたはリンゴ、ちょっと大きい小さいがあるけどごめんなさいね」と、つい自分の身をかばって楽をいたします。ところが会長様は、バナナも数だけにお切りになり、リンゴはリンゴ、柿は柿で同じように頭数に切り分けられるのです。そうして分け終えると、「どうだい、ちょっと大きいのないかえ、小さいのないかえ」とおっしゃいます。私が、「会長様が分けてくださるものに、大きい小さいというものはございません」と申し上げると、「そんなことはないよ。あの人が持っていったお皿のヨウカンはちょっとばかり大きかったと思わせても、ほこりになるからね。食べ物のうらみはこわいよ。」と、冗談まじりにおっしゃいました。いただいたお菓子を下さるにしても、なるべく皆に因縁をつませないようにと、私どもにまでお心をお使いくださったのです。
御日常の中に、こうしたことを一つ見せていただきましても、常人には分かっていても中々真似のできないことだと改めて感服をさせていただく次第でございます。


そうして、全員集合のベルが鳴りますと、あちらこちらから入込者が奥へ集まってまいります。そして総務の先生が見えますと、「先生、会長様のところへ御礼にいってください」とお願いをいたします。会長様のところへ御礼に伺いますと、会長様は「僕がいただいたんだけれど、そんなに食べられるものじゃないよ。僕が分けてあげたから皆でお上がりなさい」とおっしゃってくださいまして、皆さんが分けていただいたお皿を持って思い思いにお帰りになります。


さあ私はもう心ここにあらずです。時計ばかり眺め、「どうしよう‥‥、清和様が学校から帰られたらどんなにがっかりすることだろう。これは何とかしなければいけない」と気ばかり焦っても、何ともなりません。その当時は、お金を出したら何でもほしいものが買えるという時代ではございませんでした。では、信者さんにお願いしてということもありましょうが、会長様は人間で段取りをすることを大変嫌われました。すべて成ってくるのが天の理と教えていただいておりました。

「会長様の仰せにしたがって通らせていただいて、清和様に嘘を申し上げることになり、お叱りを受けなければならないが、今日はそういう因縁が自分にあるんだろう、甘んじてお叱りを受けよう」と思いましても、そこにケーキが出てくるわけではない――。大袈裟のように思われるかもしれませんが、私は断崖絶壁の上に立っているような心境でした。

 

「神様会長様お願いいたします!」と一心に心の中でお願いをしておりますと、またまた会長様にお届け物でございますというて、大きなお品物を、役員さんが奥にお届けにまいりました。
会長様が「お前さんあけてごらん」と私にお声をかけられましたので、早速私は包みを開けさせていただいたところ、思わず「まあ!会長様!」と驚きの声が出てしまいました。
無理もございません。そこには、初めにいただいたケーキの何層倍も大きいすばらいケーキが届けられたのです。
夢ではない、目の前に神様が尊い理の働きをお見せくださったのでございます。会長様はニコッと満面に笑みを浮かべられると、指でケーキを指されて、「お前さん、これが天理教だよ。これが分かったら天理教は楽しみで楽しみでやめられないよ。僕は分かったから、やってやりきってみた。たしかに間違いのない道だということが分かったから、皆さんに進めているのだよ。つまり、出せば返るが天の理。たらいに水を入れて手前にかい込んでごらん。水は逆に奥へ流れてしまうだろう。反対に奥へ押すと水は逆に手前に流れてくるだろう。これが『成ってくるのが天の理』というのだよ。分かったらこれから僕の言う事をしっかり聞いて、しっかり通らせてもらうのだよ」とおっしゃいました。この尊いお言葉は、59年経った今日も忘れることはございません。


こうしておる中に、清和様が学校から帰ってこられました。「清和さん、朝のケーキよりもっと大きなケーキが待っておりますよ」
子供さんが飛び上がって喜ばれたことは申すまでもありません。
会長様が始めに「子供には子供の徳があるからいいんだよ」と仰せくださいまして、わが子に与えたいであろう珍しいお菓子を、皆さんに食べさせてくださって、皆さんが美味しいね美味しいねと言うていただかれたその喜びは、やがて大きなケーキになって神様からお与えをいただいたのです。それも学校から帰る前に神様が困らせないように順序をとってくださいました。

このケーキをお届けくださったのは、当時大変熱心におたすけをされておりましたあるご婦人さんの長男さんで、名古屋市の栄町と新栄町という大変良い場所にお店を構えられて、洋菓子のお店と喫茶店のお商売をしておられたのでした。

私はあまりにも嬉しかったので御礼の電話を差し上げますと、「そうでしたか。なんですか急にお教会へお持ちしたくなりましてお届けしたのですが、そんなに喜んでいただけて私も大変嬉しく思います」というお返事をいただきました。
『成ってくるのが天の理、天の理なればすぐと受け取りすぐと返すで これを承知してくれ』とのお言葉どおりでございまして、この道は嘘のない道でございます。また、初代会長様が「子供には子供の徳がある」と仰せくださいました深い深い意味合いが、今もなお胸の中に納められております。


その後この信者さんにお目にかかる機会もないまま、30年の歳月が流れましたが、ある日のこと、私はそこのお宅の信徒祭にゆかせていただくことになりました。

そのお方はすでにお仕事をご子息に譲られ、悠々自適の生活をなさっておられました。はからずも私は30年ぶりにお目にかかりまして、直接あのケーキの御礼をさせていただいたわけでございますが、ご主人も30年も前のことを覚えておいでで、「こんな嬉しいことはありません」とおっしゃられ、男泣きにオイオイと声を出して泣いてくださいました。私もたすけていただいたあの日を改めて思い出し、熱い涙がこぼれてまいりました。

それから2、3年ほどして、ご主人は天寿を全うされ、出直しをなさいました。
私はそのお宅へ年に2、3回は信徒祭にゆかせていただくようになっておりましたが、たまたまある日のこと、お伺いしお祭りが終わった後、ご主人におさづけをお取り次ぎさせていただきました。ご主人は、「先生ありがとう。なんだか体が大変軽くなりました」とおっしゃって、ニッコリ笑ってくださいました。それはそれは安らかないいお顔の表情であったことを覚えております。
それから3日ほど経ちまして、眠るように奥様の腕の中で静かに静かに息を引き取られ、生涯を閉じられたことをご家族の方から後になってうかがいました。

ただ御礼を申し上げるだけにとどまらないで、尊いおさづけをお取り次ぎさせていただきお別れさせていただいたことは、神様会長様のお徳により、良い旬をお与えいただき、大変ありがたいことであったと今も思わせていただいております。

 

 

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