神様の理を立てて通らせて頂く道(後編)
(youtube
31:40〜)
銀行でお金をお借りして、4か月か5か月で、もう全額お支払いができた。
銀行へまいりましたら、支店長さんが、「何か、お気に召さないことがあったのでしょうか?」とおっしゃる。
「いえいえ。私は、借りたものは返さんならん。借りたものはお返ししなければならない。目が覚めても眠っても、常に返さんならん返さんならんという気持ちでいっぱいでございました。でも、こうしてご守護を頂きまして、2つの土地が売れましたので、今日はお返しにまいりました」と申し上げた。
帰りには、支店長さんから係の方から皆お玄関へ出て、見送ってくださった。「またいつでもお貸しいたしますよ。お入り用なときにはいつでもお貸ししますよ」と、おっしゃってくださった。
ですから、初代の会長様が、最後に、私は、「まず、仁科さんのところはお商売をしております。一度は、前をお通りいただきたいです。会長様お願いいたします。理を頂戴したいです」と。
「そうかい。じゃあ通ってあげよう」とおっしゃって、仁科さんのお店の前を通ってくださったから、この道(布教所前の県道)をお通りいただいたと思います。
ですから、皆さん。おたすけじゃないの、お助かりなの。相手も助かってまいりますけれども、自分も助かっていく道でございますよ。
こうやって聞いていても、なさらない方は、いずれ地べたに茣蓙(ござ)を敷くようになります。この愛町分教会に付かれるような方は、失礼ですけれども、背負って通れないくらいの因縁をお持ちの方々ばかりでございます。
神様が、関根会長様なら何とかしてこの因縁の深い者を助けてくださるだろうとして、連れてきてくださって、神様が信仰させてくださっているのでございます。
好きだからやらせてもらう、嫌いだからやらない、そういう問題ではございません。
好きだろうと嫌いだろうと、天理教の天という字をここで聞かせていただいたら、命のある限りという信仰でございます。
こうして私どもは、ここから神様の場所ですから新築をいたしましたけれど、そっちから向こうは全部リフォームです。ここに食べ物屋さんがあったんですから、リフォームしただけです。
ああやっぱり、二代の会長様がおっしゃっていただいたとおり、良かったなあと思う。
ですから、本当に、「お前さんたちは、これから熱海を出て、伊豆のほうに転居をするんだよ」とおっしゃっていただいた。「はい。ありがとうございます」
母の一文字を取って、愛春布教所という名称の理を頂戴いたしましたが、そのあとには、そういう苦労の山が待っておりました。
私は、本当に、あのときの思いは、生涯忘れることができません。
「はい。ありがとうございます」とお受けをするなかに、自分の立っているところが穴が開いて、メリメリメリーッと地面の中に入って土を被されるような思いでございました。
けれども、初代の会長様のお話の中に、
「お道を一生懸命通らせていただいていたら、お金がなくっても、土地は手に入るよ。お金がなくっても、家は建つよ」とおっしゃってくださった。
「借りたお金は、お道を通らせてもらっていたら、必ず返す力をお与えくださる。そういう天理教だから、みんな天理教の天という字を聞かせていただいたら、一生懸命通らせてもらわなきゃいけないよ。いい加減はいけないよ」とおっしゃったの。
「僕をごらん」とおっしゃった。「長い道中のなかに、ああもう今度は、関根先生もようお通りになれないだろうというなかを、皆がジーッと手をこまねいて眺めるなかを、僕はいつも、なーにくそー!こんな因縁に負けてなるもんかあ。関根はこのなかを通らせてもらいますよ、通り抜けさせてもらいますよと言うて、通らせてもらった」とおっしゃる。
「その僕が、お前さんたちに言うていることだから、本当に聞いて、本当に通らせてもらいなさい」と。
本当に通らせてもらいなさいということは、親の理を頂いて、通れても、通れなくっても、通る努力をさせていただくことでございます。
愛町ではこれを“理を立てる”と教えていただいております。理を立てて、理が立っていく。
いやあ、そんなことはとても無理です、一文のお金もございませんと、また、会長様からこうしていかにゃあいかんけど、お前さんたちも裸になったんだから、まあお金ができたら越していくんだなあと、二代の会長様から人間的な親心をかけていただいていたら、私たちはいつまでたっても、あの場所からここに移ることはできなかったと思います。
厳しく仕込んでいただいたからこそ、またそれをお受けをさせてもらったからこそ、事が成っていったのです。
まあ生涯に、こんな通ることは、二度三度は私どもはございません。
でも、自分が通ったんじゃない、神様が、教祖(おやさま)が、初代会長様が通してくださったのでございます。
自分が通ろうと思ったらとても通れません。
親が手を引いて、暗がりを声を頼りについて来い、夜が明けたらなるほどという日があろうと、両手を引いてくださって、背中を押してくださったから、通ることができたのでございます。
これからお互い様に、この130年祭の年祭活動の三年千日がいよいよまいりました。今年はまずそのはじめの年でございます。
親から、理の親から、どういうお言葉を頂戴するにいたしましても、お受けをさせていただくことです。受けたら、通れても、通れなくっても、通る努力をさせてもらうところに、神様のお慈悲の理が頂けると思います。
15日の日も、大教会の春の大祭で、愛町は、会長様から、「各布教所5名ずつ、参拝をさせていただくように」というお言葉を頂きました。
前日に降った雪は、もう溶けているだろうと。とんでもない、まだ今日でも凍結して、都市高速は閉鎖をされているところがございます。そういうなかを、皆さん方、参拝をさせていただきました。
私も、信者さんに運転をしていただいて、お参拝をさせていただく。
まあちょっとこういうふうだから、いつもより早く出ましょうということで出ましたけれども、もう想像以上に大変でございました。
渋滞に入って、人間が歩くんじゃない、生まれたばかりの赤ちゃんが、よちよち歩きをするようになって、よちよちよちって歩くぐらいのスピードで車が走るのですから、そりゃあ1時間で行くところが、5時間もかかる。
「まあ大内さん、行かせていただいて、もう終わっていると思う。もう祭典は終わっていると思うけれども、行かせていただきましょう」
どこをどう走ってくださったか、カーナビに従って、横浜の青葉地区からずーっと一般道を通ったのですから、着いたのは15時20分でした。
信者さんに携帯で、「もう終わりましたか?いま着いたんだけど、もう終わりましたか?」と言ったら、「これから始まるところです」、「ええー!そう」
ご本部からおいでいただいた先生のお話が、これから始まるというところに着いた。
へえー、いつもだと、もう15時30分頃には終わっているんです。それが、15時20分から始まっているんです。ですから、10分ぐらいの遅れで座らせていただくことができました。そうして、130年祭の理を頂戴することができました。
布教所のなかには、まだ渋滞の中に入って着かないところもあった。なかには全然はじめからもう駄目だと思って、来ない布教所もございました。
でも、間に合っても、間に合わなくっても、お声を頂戴したのだから行かせていただこう。たとえ夜中になっても、行かせていただいたという理は、神様が受け取ってくださると思う。
そういう不思議なご守護をいただきまして、お勤めをさせていただくことができました。
帰りは、なんとか都市高速が、3号線ですか、それだけが開いたの。ノロノロ運転ですけれども、一般道を通るより早い。
往復20時間かかって、行き帰り20時間。2時間で行けるところが20時間かかって、お勤めをさせていただくことができましたけれども、なるほどな、もう神様が初手から、親の声を頂いて、頂いたら、受けられても、受けられなくても、受ける努力をさせてもらいなさいや。お道を通らせてもらう者はね、難しいことを喜ばせていただかにゃあ。
初代の会長様は、「お道を聞かせていただいたら、なるべく苦労をさせてもらいなさい。難儀をさせてもらいなさい。僕は、難儀なことができてくると、ああありがたいなと思って喜んだ。苦労が出てくると、しめたと思って、手を打って勇んだよ」とおっしゃる。
私たちは、ああ愛町のようなけっこうなお教会に付いたら、何でも楽に助かっていくと思う。そうじゃない。
会長様は、「この門をくぐって、助からん者はない。助かって当たり前」とおっしゃいましたが、また一面には、「僕はみんなを助けられないよ。みんながどうして通ったらいいか分からないから、僕は助かる道を説いているんだから、僕の話は、聞いただけで帰っては、助かっていかないよ。聞いた話のなかの、1つでも、2つでも、3つでも覚えて帰って、日常生活に実行に移して通るんだよ」とおっしゃった。「それが、助かっていく道だよ。大きなる因縁を消して、助かっていく道だよ」と教えてくださいました。
どうか、今日のお話は、私が通らせていただいた道ではございますけれども、こうやってお聞きになる皆さん方も、あるいはいま通っていらっしゃるかも分からない、これから先お通りになるかも分かりませんけれども、どんな時でも、親の声を頂いて、親の心に添って、安心していただけるように、喜んでいただけるように、通らせてもらったら、必ず、私たちは助かっていくということでございます。
大金をそうして、銀行からお借りすることができましたけれども、借りたからいいじゃない、借りたものはお返しせんならん。借りて借りっぱなしはできません。
なお、二代の会長様から、「借りたら、返す。借りて返せんようなことのないようにするんだよ」と、ブスッと大きな五寸釘を打たれたようなもの。「はい。分かりました」
その、できても、できなくても、お受けする心に、ああそうだ、私がひと月でも、返すお金を返さなかったらお教会にご迷惑がかかる。はい分かりましたとお受けをさせていただいたのだから、どんなことがあっても、お返しする順序をいただかなければならん。無我夢中でございましたね。
でも、ちゃんとその一生懸命に対して、返せるか返せないかそりゃあ分からんわいと言っていたら駄目だったかも分かりませんよ。返させていただこう、親に喜んでもらおう、親に安心してもらおうと、その一生懸命の心に、神様がはたらいてくださったんですね。
そういうかたちで、言い値で皆さん買ってくださったの。だから、二代の会長様は「お前よくそんな高値で売ったねえ」とおっしゃったけど、買ってくださったの。
そして、ここにお金が入ったら、もう間もなく、バブルがはじけたんですよ。バブルはじけたの。
売った、買った、買った、売った、この売り買いをスムーズに、どなたがしてくださったんです?神様のお力です。そこに、はたらいていくということは、できてもできなくっても、聞かせていただいたことを守って、通る努力をさせてもらったというところにあるわけでございます。
あっという間に、バブルははじけました。そうなったらあなた、この土地一坪も買えませんよ。現在1300坪、だいたい1300坪の土地をいただいております。
100年祭を過ぎたあとに、ゼロ銭から始まった道。だから皆さんね、初代の会長様がおっしゃっていただくことは、間違いない。
その初代の会長様は、神様を信じて、教祖(おやさま)を尊敬してお通りいただいた。
「そんな事があっちゃいけないけど、天変地異が起きて、あるいは私一人この世界のなかに生き残っても、私は道をやらせてもらうよ」とおっしゃいました。そういう、初代の会長様でございました。
どうかひとつね、皆さん方、案じ心はいけません。神様にもたれて、そのおはたらきを頂けるように、助かるような心を、朝目が覚めて、夜休ませていただくなかに、使わせていただくことでございます。
それは、常に、私どもは教えていただいている、あったかい心を持たせていただく。これが、喜びの心でございます。勇み心でございます。
冷たい心というのは、不足の心でございます。ものが腐っちゃう。お道やっていて、ものが腐っちゃう。
あったかい心を使うと、喜びの心になっていくと、ものがどんどん増えていく。それを教えていただいているのが、このお道の信仰でございます。
どうかひとつ皆さん、あれこれのお話を申し上げましたけれども、私はここに立って、今日はどういうお話をしようと思って立つわけではございません。お願いをして立つ。
今日は、こういうお話になりました。
どうもありがとうございました。
(後編)以上
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