神様の理を立てて通らせて頂く道(前編)
今年は、干支で申しますと、巳年の年でございます。
初代の会長様に、巳年について、聞かせていただいたことがございました。
この干支というのは、良いところと悪いところがあるそうでございます。
このヘビというのは、巳年の人というのは、たいへん用心深いそうです。これは良いほうなんですね。悪いほうで言うと、人を信じない、人を疑う、人を疑ってかかる。
良いほうで言えば、たいへん用心深い。粗相のないように、間違いのないようにとして通ります。悪いほうで言うと、それが度を越していって、人を信じない、人を疑って通る。あんなことを言っているけれど待てよ、騙されているんじゃないかなあと、こういうふうに人を疑って通る、そういう性格を持っているということを教えてくださいました。
ですけれど、またよくおさとしというのを会長様に伺ったことがある。
ヘビについては、おさとしは、いろいろその時その折につれて違っておりましたけれども、だいたい“ご恩返し”ということに教えていただきましたね。
恩人、前生ご恩になった人、その恩になった人に恩を返す道を通らなかった。当たり前として、恩を返す道を通らなかったと、こんなふうにおっしゃいました。
名前は申し上げられませんが、ただ今、私どもと同じように布教所をお持ちになっている、元は一人の信者さんです。神様がお入り頂いて、家族で信仰していらした。よくそこのお宅は、ヘビが出てくるそうです。
あるとき、会長様にお伺いがございました。それは遠方の方でございましたから、お手紙でお伺いがございました。
私は、会長様が何と教えてくださるんだろうなと、昔は、お手紙をまず読む者がおります。会長様は聞いてらして、それはこうこうこうこうとお言葉で流される。すると、今度は書く人がいて、だけど、速記なんてものを習う暇ございませんから、神様というのは〇(丸)とか、自分なりに、私もしばらくお言葉を写させていただいて、お送りしたことがございますけれども、自分なりに書きますね。そうしないと間に合わないわけです。
そして、それを一つの文にまとめて、また改めて会長様にご覧いただいて、「これで良い」と。また、今度は手紙にして送らせてもらった。そういう時代があるんですね。
そのヘビがどういうことになったかと、よく出るお宅でございますけれども、ある日のこと、風呂場の焚き口にとぐろを巻いておったそうです。ああ気持ちが悪いですねえ。シーッシーッと追ったら行ってしまったけど、また次の日にお風呂を沸かそうと思うと、また同じようにとぐろを巻いていた。3日続いたそうでございます。
あまり不思議な事でございますので、会長様にお伺いをされたのです。
すると、そのときの会長様のおさとしは、恩人でもいろいろございます、目上の恩人もあれば目下の恩人もございますが、「お前さんのところは、前生、先祖の時代に」、まあ何代か前か分からないね、「前生、先祖の時代に」、女郎屋のことを会長様は当時『あいまい屋』とおっしゃった。あいまい屋ってどういう字を書くのか分かりませんが、あいまい屋とおっしゃったの。
「あいまい屋をしておって、(そういうところは、女さんが下(しも)を売ってお金儲けをする商売です)そうして働かせて、病気になってもうできなくなると、布団部屋に放り込んで、薬も飲ませない、食べるものもろくに与えないで見殺しにしてしまって、亡くなったあとはその亡骸を寺へ放り込んで、寺へ持っていきゃあ寺は困るから、なんとかして始末をしてくれる。そういう事をして通った家柄だよ」とおっしゃったの。
はあー、会長様には前生がお分かりになるんですねえ。このお手紙だけで、こうでございますがとおっしゃって、まあ返ってきたことに対して、そういうことをおっしゃいました。
ですから、恩人でも目下ですね。僅かなお金をやって女さんを買ってきて、そして下を売って働かせて、元気なあいだはいいけれども、使えなくなると布団部屋へ放り込んで、ろくにものも与えない、薬も飲ませない、見殺しにして、亡くなると寺に放り込む。それで終わり。
「そういう事をして通った家柄だよ。その前生の、そういう事をされて亡くなった女さんがヘビに生まれ変わってきて、悟れ悟れと教えてくれている。そういう事をして通った家柄だから、道がなかったら通れないよ。いずれ、道がなかったら、今けっこうだったって分からない。地べたにやがて茣蓙(ござ)を敷かなければならないような、気の毒な運命に落ちていく」とおっしゃった。
でありますから、「そういう因縁を持った家柄なら、一人だけの信仰じゃあ間に合わないよ。みんなが助け合って、家族そろってこのお道の信仰を、一代命のある限り通らせてもらうという覚悟の信仰がなかったらいけないよ」、こういう意味のお言葉をくださったことがございます。
何年か経って、私は、そのおさとしを頂いた方に、「むかし会長様、ヘビのお伺いがきて、あなたのところへおさとしを差し上げたけど、覚えていますか?」って言ったら、「覚えていない」って言うの。私のほうがようく覚えている。ヘビって私、だいっ嫌い。まあ好きな人はいないでしょう、特に嫌いなんです。覚えているの。「そうですかあ。じゃあ私が覚えておりますから、紙に書いて差し上げます」と、紙に書いて差し上げたことがございます。
ただ今は、幸いにして道がつながってまいりまして、布教所の御名を、看板を頂戴して、おたすけをしておられます。
そういう事がございました。
ですから、おさとしというても、会長様のおさとしはもう同じじゃないんですねえ。何か魂におうつりになることがあって、たとえば、親という恩人に例える場合もございます。
私は、ここの場所をご守護を頂く以前に、熱海で看板を掛けさせていただいておりましたが、こちらの方面(宇佐美)に、信者さんとおにをいがけに回った時代がございます。
そのときに、橋を通ろうと思ったらガサガサガサガサッ、うわあーっと思ったら、ヘビなんです。
うわあー怖いと思ってね、自分の心に残っています。おたすけに来させてもらって、ヘビが出てくるって、いったい何を神様は教えてくださるんだろうと思って、機会を頂いて初代会長様にお尋ねをしたことがございます。
すると、その時のおさとしは、「ヘビは、人の姿を見ると逃げていくだろう」とおっしゃった。寄ってこない。逃げていく。姿を隠していく。だから、その土地にご守護を頂いて、布教所なり教会なり作らせていただいても、人が寄ってこないといけないよ。逃げていくようではいけないよ。寄ってくるような、おたすけをさせてもらいなさい」と。
まだここができてもいない時代に、そういうおさとしを頂戴したことがございます。
深い深い神様の思惑で、年限が経って忘れた頃に、この土地の御守護を頂きまして、こうして布教所の看板のお許しを頂いて掛けさせて頂き、今日に至っているわけでございます。
さて、そういうわけで、初代の会長様は、いろいろと同じおさとしはなかった。おさとしはそれぞれ違っておりました。
いま思うときに、それから後に、最後に会長様が、熱海の関根別荘にお帰りいただきましたときに、ここ(布教所前の県道)をお通りくださいました。
河津の方までお出掛けをいただいて、帰りに、当時、仁科さんのところが、愛科屋という肉屋さんをやっていた。その前を通ってくださった。主人が出てきて、びっくりしているの。初代会長様が「しっかりおやりよ」とおっしゃって。家内は、会長様がいらっしゃるから、関根別荘でひのきしんをしておりました。
その帰りに、普通なら海岸を通ってお帰りになるところを、この山を上って玄岳まで行かれて、そこから熱海に下りられた。その時にここ(布教所前の県道)をお通りになっている。
私は、あの観音様のところまで行って、まあ…こんな山の高いところにこんな大きなものができて、お参りがあるんだろうかと思ったの。まさか自分が、ここに住まわせてもらうなんて思ったことない。
でも、そのときに、初代の会長様は、こうやって唾を付けてくださった。ここは誰も買えないように唾を付けてくださったの。愛春布教所の土地になるんだよっていって。
今年で26年ぐらいになりますね、転居をさせていただいて。
ここはもういちばん伊豆半島で土地の値段の高いところでございます。
一銭もお金がないのですから、100年祭が終わってみんな裸でございます。そのときに、二代会長様から、お言葉を頂きました。
愛春という布教所のお名前を頂戴するとともに、「愛春は、熱海を出て、伊豆に転居するんだよ」とおっしゃってくださった。
「はい。ありがとうございます」と言ってお受けは致しましたけれども、おそらく私の顔はもう色がなかったと思います、真っ白になって。
世話人の喜多教和先生が、男ですけど、出てくるなり「遠藤さん、えらい事になったなあ…」ってひと言言われて、「そうですねえ…」ってお返事をするのがもう精一杯。私は、後の言葉が続けられないくらい、ショックを受けておりました。立っているところの穴が開いて、メリメリメリーッと、自分が穴の中へ入っていくような気持ちでした。
それでも皆さんね、親の声を頂くというのは、できないような事ができていくんですねえ。
1円のお金もない、裸の八兵衛です。言うなれば、一本の綱の上を、一本足の高下駄を履いて、傘を差して芸をしているようなもの。ひとつ落ちたら、大怪我をするか、打ち所が悪かったら命が逝っちゃう。そのぐらいの事でございます。
それが今日、こうしてここに看板を掛けさせていただくことができた。
探して歩いたのは37か所です。37か所探して歩いた、伊豆半島を。お金がないから、もう宇佐美は高くてだめ。とても買えない。遠くを探す。ところがどっこもだめなの。こちらが断る、「どうもここはいかんねえ」。反対に、こちらが良いと思うと、向こうが断る。順序がつかない。
ここは、37番目に探したところで、不動産屋さんが、「あそこ一番はじめに見たところ、いっぺん行ってみますか」
それで、二代の会長様に、「会長様、古い家が建っておりますけれども、いかがなものでしょう?」、「ああ古い家が建っててもいいよ。そこを買いなさい」とおっしゃっていただいたんです。古い家が建ってても良いとおっしゃる。
私は、布教所を建てるのだから、神様のお住まいになるところを建てるのだから、そんな古い家なんてあったらいかん、新しい土地に、新しい家をつくらせてもらわにゃあいかんと思っている。二代会長様は、「古い家があってもいいよ。そこを買いなさい」と。
もうそれで決まりでございますね。伊豆半島でいちばん土地の値段の高いところ。
よく初代の会長様がおっしゃいました。「このお道を通らせていただいて、僕の言うことを聞いて、神様の言うことを聞いていると、お金がなくっても土地が手に入るよ。お金がなくっても家は建つよ。」
そりゃあまあ会長様のようなお方なら、そういうことができるけれど、我々のような者にできるはずはないけどなあと思って聞かせていただいておりましたが、おっしゃることにまったく千に一つの違いはございませんでした。
お金がないのに、土地のお与えを頂いた。
どうして頂けたかというと、熱海に1か所と湯河原に1か所、少しばかりの土地を持っている。だから、そこを見にきてくださった方が気に入っちゃったの。「もういま、今日でも買いたい」と言う。
湯河原のほうは湯河原のほうで、大学の修練場みたいになっていた。だから、土地をもうちょっと広げたい。道春さんに、「そんなこともないでしょうけども、お宅さんでお売りになるようなことがあったら、まずうちへ一番先に言ってくださいね」と言われていた。まあそんなことないがと思っていたところが、それが耳に残っていて、道春さんに「いっぺん行ってみたら?」と言って行ってもらうと、「ああ明日でも買います」と。いやあ、明日買われちゃあ困っちゃう、こちらも用意がある。
二代会長様が、「お前いったい、いくらに売ったえ?」と。「いくらいくら」と申し上げますと、「へえー、そんな高値に、よう言うたなあ」と。「まあ買うほうも、よう買ったなあ」とびっくりされました。
その前は一銭もございません。たった50万。会長様の親の光は七光りと言いますが、お教会の取引の銀行にお声をかけてくださって、億に近いお金をお借りすることになりました。それだといったって、たった50万円を通帳に入れただけ。
そのときに、二代会長様がおっしゃったの。「お前なあ、借りても返せんようなことがないようにな」と言われた。もうグサッと楔(くさび)を刺されました。
けれども、初代の会長様が、「お道を通らせていただいているとね、借りる力もあれば、返す力もあるよ」とこうおっしゃったの。それが耳に入って。
こっちから二代の会長様から「お前、借りるのはいいけれども、返せんようなことのないようにな」、「はい。分かりました」、初代会長様のお言葉もお受けをさせていただいて、二代の会長様のお言葉もお受けをさせていただいた。
その後、パタパタッとバブルになった。なりかけた時なの。
東京のお金を持った人たちが、この伊豆半島に押しかけて来ていた。土地を買う、そういう時だったの。だから、こちらの言い値で熱海も売れた。湯河原のその土地は、みかんが植えてありましたが、それも売れた。
向こうはいまと違って、大学がどんどんどんどんキャンパスを増やす時代だったの。ちょうど入学金が入った時ですから、もう明日でもいいって言うはずです。
そういう本当にこちらが選んだわけではないけれども、そういう旬を頂きました。
ですから、お借りを致しましたけれども、さあて今度は買うのにね、その土地を買うのに、これまた不思議なご守護を頂いた。ご縁のある方であったわけなんです。
まだ借りたお金、まだ入ってきませんよ。まだ一文無しですよ。けど、手付はいついつということで、ゼロ銭なのに、肝っ玉大きいでしょう。お道をさせていただくと、そうなるの。ゼロ銭なのに買う。
「売ってください」「それじゃあお売りいたします。私も、あなた方のような宗教家が大好きです」とおっしゃる。何の宗教というわけではないが、私の妹が、初代の所長と私の話をしてくれたそうです。感心して聞いてくださいましたねえ。そうして、「私どもは、何の宗教といわず、そういう方が大好きです。あなたにお売りいたします」
そうしたら、「では、手付はいついつ」、もうどんどん不動産屋さんが決めていきます。けれども、私のなかには胸算用(むなざんよう)がある。無理に買うことはできません。払えないような買い方はできませんね。責任がございます。
私は買うほうですから、少しでも安くしてもらいたい。向こうは売るほうですから、少しでも高値に売りたいというのが人情でございますね。
私は心のなかで、初代の会長様に手を合わせて、「会長様、こういう次第です。私はこれぐらいの金額であれば、なんとかこの借金を借りても、お金を借りても返すだけの力があると思います。でも、私の思惑の金額より、まだこれだけ高いんです。お願いいたします。お願いいたします」と言って、一生懸命、心のなかで、初代会長様の御霊様にお願いを致しました。
すると、しばらくして向こうが、「私は、お金がなくって売るのではありません。けれども、あなた方の通り方に感動をいたしました。本来ならこれだけの金額でございますけれども、まける事はできませんけれども、お供えといたしましょう」と言うの。「まける分はお供えとして、お受け取りください」
私はびっくりしましたね。ええー。そうしたら不動産屋さんも、パチパチパチパチっとそろばんを弾いて、「先生、本当はこれだけ斡旋料(あっせんりょう)を頂かにゃあいけないんですが、私もこれだけ頂くようにいたします」、下げてくださった。
「ありがとうございます。では買わせていただきます」って手打ちをしたところに、電話がかかってまいりました。
ご主人が出られたら、電話を切ったあとにおっしゃることが、「いま1億の現金を持って、東京からお客さんがきた。不動産屋さんが、そのお客さんを連れてここを見にきたいから、鍵をいま取りに行くから出しといてくれという」、そういう電話だったそうです。
「いやあ実はね、ちょっと一足違いで、いま買ってくださる方と手打ちをしたところだから、もうけっこうです」と。
どうです皆さん、1分の違いだよ。お買いいたします、ああお売りいたしましょう、じゃあ手打ちということ、1分遅れていて、電話が1分早くかかっていたら、あるいは向こうさんが買うことになったの。現金持ってきているの。私はまだ現金は銀行にある。まだもらっていないの。頂いていないの。ゼロ銭なんです。
ところが、初代の会長様はね、おっしゃったことにまったく間違いがない。「一生懸命お道を通らせていただいていると、借りる力もあれば、返す力もあるよ」と。借りたって返せなきゃ困るでしょ、皆さん。
また、「お道をさせていただいているとね、お金がなくっても土地が手に入るよ。お金がなくっても家は建つよ。そういう天理教だから、みんな聞いたら、重く重く聞いて、しっかり通らせてもらうんだよ。いい加減という加減はないよ」会長様が教えてくださったとおりでございます。
火の中は火柱となり、水の中は水柱となって、蓑(みの)となり傘となり連れて通ろうというお言葉があるそうでございますけれども、誠にありがたいものでございます。
けれども、初代の会長様は、「僕はみんなを助けられないよ」とおっしゃった。「僕の話を聞いて、そちらが助かっていくんだよ。どうやって通っていいか分からないだろう。だから、どうやったら助かるかという道を説いているんだから、僕の話は、聞いただけでは助かっていかないよ」とおっしゃってくださいました。
そのとおりだと、私は通らせていただいた者として痛感をするのでございます。
本当に不思議不思議のなかに、そうしてこの土地は、私ども愛春布教所の土地として、ご守護を頂くことになったのでございます。(後編へ続く)
(前編)以上
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