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  因縁に目覚めた事件(前編)

 

布教所の窓を開けると、朝の光とともに甘酸っぱいみかんの花の香りがそこはかとなく漂ってまいりました。そのふくよかな香りに包まれて至福の時を味わいつつ、今私は、遠い昔、初代会長様におたすけをいただいた亡き母のお話をまとめさせていただいております。

 

それは、半世紀も過ぎた昔の事件でございますから、年代は定かではありませんが、その時の初代会長様のおさとしのお言葉は、今も鮮明に私の胸の中に納められて、一言一句忘れることは終生ないと思います。

 

ある日のこと、初代会長様から私は御呼び出しをいただきました。毎日一生懸命つとめさせていただいているつもりだが、何の粗相があったのだろうかと思い、恐る恐る初代会長様の前に出させていただきました。その時、初代様は一通の手紙を読んでおられましたが、私をご覧になられて、「お前のお母さんが殺されるところだったよ。それでもよう助かったなあ。命があったなあ」とつくづくとおっしゃられて、読んでごらんとその手紙をお渡しくださいました。

私はあまりの恐ろしい出来事を知って、驚きのあまり、声を失うほどでございました。しばらくしてやっとの思いで「会長様、御心配をおかけしたしまして誠に申し訳ございません」とお詫びを申し上げたのが精一杯でございました。

 

 

それは暑い夏の日の出来事でした。昼食を母と妹がすませて、しばらくよもやま話をいたしておりましたところへ、いつも家族ぐるみで親しくお付き合いをさせていただいていた家のご主人が、左手に大きなスイカを抱えて、右手にはヨキ(薪をわる道具)をかざして、家に入ってくるなり、後ろ向きに座っていた母の脳天めがけて力一杯ヨキを打ち下ろしたのだそうでございます。

 

妹はあまりの恐ろしさに助けを求めようとしても声が出ない、立とうとしても腰が抜けてしまって動けなかったそうです。しかしながら、尊い神様のお力と初代会長様のお徳は誠にありがたいものでございます。その主人はそのまま棒立ちになって、茫然としてただ立っているだけであったということでございます。続いて妹に危害を加えられておったなら、それはもう大変な大惨事となっていたことでございましょう。改めて、神様のお力また会長様のお徳をありがたく思わせていただくとともに、今思い出しても身の毛がよだつ思いで一杯でございます。

 

そうこういたしております中に、物音を聞いて、ご近所の皆さんが駆け付けてくださいまして、相手の方は取り押さえられて、まもなく警察もまいりまして身柄は引き渡されたわけでございます。一方母の方でございますが、ヨキで頭を割られたのですから、脳膜が二つに切れて、傷口はザクロのように反り返って、周りには恐ろしいほどの血が飛び散ったそうですが、母は気丈にもそのまくれあがった傷口を左手でしっかり握って、「神様、会長様」と三度お名前を御呼び申し上げて、そのままそこに気を失って倒れてしまったそうです。

 

当時、太平洋戦争は終結いたしておりましたが、国民はまだまだ不自由を強いられていた時代でございます。ですから、病院らしい病院もなかったのです。ご近所の方々が相談をしてくださいまして、神様ですね、ちょうど隣組の中に戦地から復員してこられた軍医さんがおられて、その方を連れて来てくださいまして、木綿針で木綿糸でアルコールで消毒した傷口を十針縫っていただいたそうです。母の意識が戻った時にはとりあえず応急処置が終わったところでして、これもまた母は苦しいこと知らずに助かったのでございます。後でお医者様の言われるのには「あなたは本当に運の良い方ですね。頭には脳膜という八枚の紙のように薄い膜があって、その膜が一枚の膜になり頭を保護しておりますが、その七枚までが切れていて、最後の薄い薄い一枚の膜が切れなかったから命をいただいたわけで、切れていたら即死をするところでした」と教えてくださったそうです。

 

こうして母は病院に入院することもなく、自宅療養で御守護をいただいたのでございます。また、母は、その後七十八歳で出直しをいたしますまで、このために後遺症で苦しむことは生涯ございませんでした。後に、精密検査をいたしたことがありますが、母は、先生に、「こういうことがありましてね、しっかり頭を調べてください」とお願いをしましたが、先生は「そんなことあったのですか、そのような痕跡はまったくありませんよ」とおっしゃられたのです。誠に不思議というより他にありません。

 

お話をもとに戻しましょう。この事件は、いうまでもなく、刑事裁判となりまして、相手の方は八年の実刑判決を受けたのです。ところが親戚の者は、「間違えば命を落とすところであっただろう。不服申し立てをして、上告し、もっと罪を重くしてもらわなければいけない」と息巻いていたそうですが、母は「そのことはちょっと待ってください。私はこれから会長様に理をいただきます。そうして会長様がそれで良いとおっしゃるのであれば、あなた方の言われるとおりにいたしましょう」と、とにもかくにも会長様にすべてのことをお伺いさせていただいてからということで、皆さんに待っていただいて、母はお伺いの手紙を妹に代筆させまして、会長様のおさとしをいただいたのでございます。

 

会長様がその母の手紙をご覧くださいまして、何度も何度もよく命があったなあとおっしゃられたということは、神様、会長様のお徳の力がなかったら、ここで母は命を落とすところであったと思わせていただきます。信仰の始まりに、「これからは、神様と僕のいうことを聞いて通るのだよ。そうしたら、私のこの徳の傘の中に入れて、必ず僕が連れて通ってあげよう。しかしながら、いくら神様がお前さんたちを助けてあげたい、私が助けたいと思っても、助かりたいというそちらが、「助かりたいは助かりたいがどうも神様の言われることは都合が悪くて聞かれない。会長様のおっしゃることは通りにくい」というて聞いてくれなかったら、いかな僕でもお前さんたちを助けてあげることができない。それでは神様にも申し訳ない。お前さんたちもつまらないではないか。僕も助けてあげることができなくて僕が苦労するから、助けてあげたいという私の思いがそのまんまそっちに届くような信仰はいったい誰がするんだえ?僕じゃないよ。そっちがするんだよ。いいかえ、分かったかえ。そうして神様を重きに置いて、私のいうことを素直に聞いて通ってくれたら、因縁なんて決して恐いものではないんだよ。これから先、何があっても大丈夫だよ。因縁の理だけはお見せいただいても、大難は小難、小難は無難として、神様と教祖と僕がどんな中も責任を持って連れて通ってあげよう。だから、これからは通れても通れなくても、ゆけてもゆけなくても、お道を通らせていただこうという覚悟の信仰をさせてもらいなさい」という会長様のお言葉をいただいておりました。そして母は、人に殺されなければならない恐ろしい自分の因縁、また一家が散り散りばらばらになって皆死に絶えてしまうような家柄の因縁を、ここにおぼろげながらも悟らせていただきまして、覚悟の信仰に進ませていただくことになったのでございます。

 

白いものを黒いと仰せられても、ハイとお受けさせていただいて、素直に通らせていただくことが誠に大切なことだと、会長様は何度も繰り返し母へのおさとしを伝えてくださいました。

 

その日の夜、夜も更けて皆さんが寝静まったのを見て、私は薄暗い明かりの下で、会長様からの尊いおさとしを手紙に書かせていただいて、待ち侘びているであろう母の元へ送らせていただいたのでございます。

 

さて、この時のおさとしの内容は、あまりにも人間考えとは掛け離れた、いうなればそのお言葉の一つだに人間思案ではとてもお受けできないおさとしでございました。

とは申しましても、会長様のどうでも助けてあげたいという親心をそのまんま私は伝えさせていただかなければなりません。

私は、遠い沼津の地で会長様のお手紙を待ち焦がれている母の姿を瞼に浮かべながら、「神様お願いします、会長様お願いします」とお名前を心の中でお呼び申し上げながら、何にも思わん無我の心で一心にお手紙を書かせていただきました。

そして、母や親戚の者が、なるほどそういうものか、会長様のおっしゃることであるから、先へ行って千に一つの間違いはないだろうとして、お互い言い分はあろうが、素直に一つの心になっていただいて、この難場を通り抜けることができますように神様にお願いをさせていただいたのでございます。

 

こうして母は、いただいたおさとしを目標(めどう)に、お言葉通りなるほどそういうものかとして、周りの者にも納得をしていただいて、事件は後々因縁の残らないように事を運ばせていただいて、やがて解決を見ることになるのでございますが、その会長様のお言葉の内容は、来月の二十二、三日頃には、まとめさせていただきたいと思っております。

 

ではまた六月にはホームページでお目に掛かることを楽しみにいたしております。

 

 

 

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