糸一本がほこりになる(第2章後編)
身動きできない。枕元にオマルを置いていました。
もう母は子煩悩な人ですから、出かけても戻ってきて「大丈夫かい?」と聞き、また行っては「本当に大丈夫かい?」と聞き、2〜3度そういうことをして「じゃあ行ってくるよ」と言って、母が玄関を出ると、妹はスーッと一枚皮をはいだように楽になったと言いますよ。
母が帰ってくるまで何にも困らなかった。
そういう極限のなかを、私どもは通らせていただいたことを、いま大変ありがたく思わせていただいております。
こうして、おたすけをさせていただくなかに、あちらこちらと古道具屋さんを探して歩きました。
すっきりきれいになれということは、先般もお話申し上げましたけれども、戦後、会長様から、「その土地は、因縁の土地だから、欲しいと思うな。欲しい人にもらってもらいなさい」と言うて、本家にもらっていただいて、私たちは本当に着たきり雀になったわけです。
ですが、裸になったのですけれども、まだあった。
それは、戦中に、田舎から大八車で何度か来てくださって、いろんな大切なもの、家財道具、衣類とか大切なものを、母の里のお蔵に入れてもらったの。そういうことを忘れていた。それと、防空壕に入れたものが焼かれずに残っていた。
きれいにしたと言っても、糸一本がほこりになると聞かせていただきますけれど、今度はこういう形で、神様は、きれいになるんだよ、空っぽになれば、逆に物がいっぱいになってくる、空のままではないと、そう教えてくださった。
これを全部きれいにするために、私たちはそういうなかを、神様が通してくださった。
古道具屋さんをあちこち歩いて最後に、「ああ、あなたにお願いします」と言ったのが、嶽東(がくとう)大教会のたいへん熱心な信者さんが、古道具屋さんをやってらした。その方が、来てくださったの。値踏みをしてくださったら、他の何軒かよりも、いちばん高値に付けてくださった。
「ああ、あなたにお売りします。お願いいたします。でも昼間(取りに)来ないでくださいねえ、夜暗くなってから来てくださいねえ」と言ったら、古道具屋さんも「ああ分かってます、分かってます」と。
ちょうど、五味先生が、おたすけに来てくださっていた時だそうです。五味先生に、お伴で、石川はま先生がついてみえた。
暗くなってから、大八車を引いて、古道具屋さんが取りに来てくださって、本当に我が家は、寝ているお布団一流れ、病人が寝ているお布団一流れにして、お茶碗1個、箸一膳、すっきり持っていっていただいた。
母は、もう100メートルぐらいずーっとその大八車の後ろを押していって、序歌八首(よろづよ八首)を歌いながらねえ、押していった。
私たちなら、何かしら胸いっぱいになって、涙が出て涙が出て仕方がない。こういう話をしていると、私は胸いっぱいになって涙が出てくる。どんな思いであったかなあと思うけれど、母は、ああこれで、初代の会長様の万分の一の真似事をさせてもらった、教祖(おやさま)の万分の一の真似事をさせてもらった、ああありがたいなあと、陽気に勇んで序歌八首(よろづよ八首)を歌いながら100メートルぐらい押していった。
そこで、「ありがとうございました。ここでお別れいたします」と、座って、使わせていただいたお道具に、「長い間使わせていただいて、ありがとうございました」と御礼を申し上げたら、何やら周りがざわざわざわざわ、どこからともなく人が出てきて、隣組の人が聞いて、皆で付いてきて見ている。そしたら、その古道具屋さんが、「何あんたたち見てるんだ!見世物じゃないよ!!」って怒ってくれたという。
まあそういうことで、この事情(お金)が頂けました。
そうして、この事情をお教会にお届けしに、誰が来てくれたかというと、その気がおかしくなった方が助かったの。母が、教会に1か月おいていただく間に、すっかり元に戻りました。
その方が、教会に御礼に行かせていただくというので、その方にこの事情を預けて、「これを初子に渡してください」とお願いして、私はそれ(事情)を頂きましてね、会長様に、「些少でございますが、ご普請にお使いいただきたい」とこう申し上げて、会長様に差し上げたら、僅かな事情でも、会長様が高ーくこうやって、頭より高くこうやって上げてくださって、「ありがとうよ。ありがとうよ」、こうやってね、お礼を言ってくださったの。
そうして、おつとめにその事情をお持ちくださいまして、教祖殿にお供えをされて、おつとめが終わったあと、会長様が、その事情をこうやってお持ちになって、お座布団の上にお立ちいただいて、「皆、よく覚えておおきよ」、この辺に時計があったの、こうやって指差されて、「この時間から、遠藤の妹は、良くなるよ」。
「この時間から、遠藤の妹は、良くなるよ」と、こうおっしゃってくださった。
私は、会長様のお供をさせていただいて神殿から帰ってまいりました後、反故紙(ほごがみ)に、昭和何年の何月の何日、会長様からお言葉を頂きましたと書いて、お菓子の空き箱に入れて、天袋に入れておきました。
その月の祭典に、鳥倉先生のお父さんがおみえになって、本当に、海越え、野を越え、山を越えて、遠く離れた沼津で病に倒れている妹が、『この時間』、それはもう1分も1秒も違っていない、その時間から、もう真っ黒に煤けた(すすけた)お便を出させていただくというご守護を頂いたの。
タラタラーッと出るだけですから、お小水も出ない、お便も出ないということでしたが、「うんちがしたい」と言う。「ああ、ここでいいから、ここでしなさい」と言って、油紙を敷いてさせた。もう山のようなうんちが出た。それが出ないから、尿毒症を起こしちゃっていたんでしょう。でも母は、もう汚いなんてことは忘れちゃって、そのうんちを拝んだという。「ああ、ありがたいな」
こういうご守護を、そのときに頂戴することができました。
まだまだ、そのあとに、お水のご守護を頂くわけですが、まずこうしてお便のご守護を頂いたの。
だから皆さん、どうかひとつ、お道というのは、聞いているのがお道ではございません。
聞かせていただいたお話のなかから、自分の日常を照らし合わせて、違っているところを改めて、聞かせていただくのが信仰なの。
聞いているだけで助かるなら、世界中の人が助かっていいはずで、そうじゃない。聞かせていただいたお話が天理天則、これは曲げられない。聞かせていただく私たちが、今までは自分の勝手に走っていたものを、この天理天則に合わせていく。合わせていくことによって、お互いに、それぞれが困った事を持っております。その困った事を、一つ一つ解決をさせていただくわけでございます。
ですから、このお道の信仰は、単なる拝み頼みの信仰ではない。また、宗教でも信心でもない、人間の道を説いているわけです。
今、社会の常識とお道の通り方とは、白いといったら黒いぐらい違う。そうでしょう、今日明日を知れない病人を置いて、お参拝して帰ってくるなら良いけど、帰らないで勝手に1か月を定めて、おじは困っちゃった。責任者として困っちゃった。ところが、そこ(病院)へ入っていたら、あるいは妹が焼け死んでいたかも分からない、病院が焼けて。代わりの方が、こうなるぞってところを見せてくださった。
こうしたなかを、母の信仰によって、会長様に助けていただきました妹は、100人のうち99人までは、この身上が助かったら枯れ木に花と言われた重い身上でございました。
会長様は、「誰がなんと言おうとも、かれがなんと言おうとも、必ず僕は助けてあげるよ。なぜかなれば、お前のお母さんが、遠い沼津の土地で、神様を信じて、僕を信じて、一生懸命おたすけをして歩いてくれる。その一生懸命に対して、命のない者であるけれども、この子を殺すことは断じてできないんだよ。そうして、この子は助かったら、社会で事情働きをさせてあげて、お前とお母さんが、安心してお道を通るようにしてあげるよ」とおっしゃってくださいましたことは、間違いなくそこに至ったわけでございます。
幾多のなかを乗り越えて、妹は、この駄目になった腎臓をそのまま、お医者さんは当時のことですから、医療も貧困です。「この腎臓を摘出手術しなければ助からない」とおっしゃいますが、「本当に助かりますか?」と聞けば「分からない」ということでしょう。
会長様は、「必ず助けてあげるよ」、その壊れた腎臓を体の中に置いたまま、82年の生涯を、お道の御用を勤めて通らせていただくことができました。寝たきりの者ではございません。すっかり元気にならせていただいて、家庭を持たせていただいて、子供をいただき、その子供はここにいる後継者の家内として、二代の会長様がお許しくださってご縁を結んでいただいた。
ですから、神様は、決して道を通る者に恥をかかせないんです。恥をかかせません。
その代わり、お道を疑って通ってちゃいけない。神様を疑って通ってちゃいけない。神様を信じて、信じて、初代会長様を信じきって、通らせていただくことがまず第一でございます。
それには、定めたことは命に替えて守るんだよ。ああ定めたけどねえ、ちょっと都合が悪いので、ちょっとここのところ、やめさせてもらいますわあ。これでは、神様のおはたらきを頂くことはできません。
よくおっしゃいました、「僕は助けられないよ」。じゃあ、どうしたら助かっていくのかというと、「助かった僕の話を聞いて、そのなかから1つでも2つでも3つでも持って帰って、日常生活のなかに実行をさせてもらうこと」
助けてもらうのは誰か、自分でございます。助けてもらう者が、そうして通らせていただくことによって、そこに、神様の理を頂戴することができるわけでございます。
会長様は、「これが分かったら、天理教は、楽しみで、楽しみで、やめられないよ。分かったから僕はやってみた。気がついたら、こんなにけっこうになってしまった。今の僕の暮らしは、何億あっても、誰にも真似はできない」、こうおっしゃったね、会長様は。
そうですね、後ろへ回って「ああ、あなたのお陰です。助けていただいてありがとうございました」って手を合わせる。前から「あなたのお陰です」って言う人はあるけれど、後ろへ回って見えないところから「あなたのお陰です。ありがとうございました」って、言われる方になられたでしょう。お金や物ではそんなことなれない。
「その助かった僕が、確かな道として皆さんにお話をしているんだから、皆聞いたら、全部が全部実行はできないけれども、1つでも2つでも、日常生活のなかに実行をさせてもらう」
そこに、神様のおはたらきがあるということでございます。
使ったものは、ありがとうございましたと言うて、御礼を申し上げて元の場所に納めさせていただく。なんでもないことなの。そんなこと、小学校の生徒でも知っているけれどもやらない。やらないから困ってくるの。
だから、何にも、会長様は難しいことを皆さんにしろと言うんじゃないの。会長様のご日常を拝見させていただくと、そういうことから始まってるの。
「開けたら、閉める。使わせていただいたら、ありがとうございましたと御礼を申し上げて、元の場所に納めさせていただいたら、後から行った者が探さないですむ。いい加減なところへ置いておいたら、ああ確かここに入れたはずだけど、ここ置く場所だけどない、どこへいったんだろうといって探させる。探させたという因縁は、誰がもらうんだえ?お前さんがもらうんだよ。だから僕が、お前さんたちはいつになったら天理教をやるんだえ。僕は天理教をやっているよ。それくらい働いたら、社会ではずいぶん珍重される。けれど、ここは働くところではない。理に勤めるところで、僕は、働き人(はたらきど)はおいてない」とおっしゃった。
ああ、なかなか分かりませんでしたね。でも、だんだん徳を積ませていただくなかに、なるほど、なるほどと、分からせていただけるようになった。
皆さんそうやってね、やっぱり教えていただいたことは実行ですよ。
スリッパひとつでも、自分が履いたスリッパを、向きを変えて揃えるのは当たり前のこと。人さんのスリッパも揃えさせていただく。そんなことで人が助かるか?助かっているんですから現在も。
なるほど、スリッパを揃えるぐらい、お金も何にも要らない、自分の身体を痛めればいい。1年間続けて会長様の真似をしたら、困ったことは解決をしたと言って私に聞かせてくださいました。私があるところへ行って、スリッパのお話をしたからです。
どうか皆さん、このお道の信仰は、助けてもらう者が、助かる道を通らせてもらう。助かる道は誰が教えてくれるかというと、初代の会長様が教えてくださる。その初代の会長様が教えていただいたことを、おうつしをさせていただくのですから、聞いたら、皆さん方実行なさってください。
どうか助かっていただきたく、お道は、長屋住まいをするためにお道を聞くんじゃない、困った人が大名になる道と教えてくださった。貧しい人が大名になる道はどういうことかというと、日々の行いでございます。恩を返す道。
「お金を出して買ったんだから、どう使おうと自分の勝手や!」、それは社会の言うこと。お道を聞かせていただいた者は、そこにお金では買えない誠真実というものがこもっているんですから、その誠真実に、こちらも誠真実で使わせていただかにゃあいかん。
お古い方は皆さんご存じですよ。会長様は、お火鉢が必ずあったら、お立ちになるときは必ず、火鉢の火に灰を被せられてお立ちになりました。前に先生方がいっぱい居るのですから、やりっぱなしにしてお帰りいただいても誰も何とも言う者ございません。けれども、だからといって、使いっぱなしのやりっぱなしということは絶対になさらなかった、こういうことほど。
じゃあ、1日やればいいか?それがね、続けさせていただくということなの。続けていくことなの。それが難しいんですね。けれど、どうかひとつ、ひとつのことでも、良いと教えていただいたことは、続けていただくことですね。そこに不思議な、神様の理をおみせいただくことができると思います。
今日は、まあひとつの、糸一本が残っていたために、私たちは、いろんなお道の苦労をさせていただきましたが、その苦労のなかに、ああそういうものであるのかということを、よくよく承知をさせていただきましたことが、今日、因縁が切れている。
女系家族の家柄でも、私の次までは女系家族、けれど、そこにちゃんと男子誕生というご守護を頂いた。子孫につながっていくわけでございます。立派に家柄の因縁を消していただくことができました。
それはそれだけの事ですが、そこにいろんな事が重なり合って、助かる道につながっていくわけで、お道は、助かっていく道でございます。
どうかひとつ、ああ言われたから仕方がないやというふうにやってはいけませんよ。まあはじめはそうでしょうが、「どうかひとつ、やらせていただこう!」という心になって、勇み心で、このすばらしいお道の信仰をなさるところに、誰が助かっていくのか、皆さんが、なさる方が助かっていく。なさらない方は助かっていきません。なさる方が助かっていくのでございますから、どうかひとつ、因縁に負けないで、因縁に勝つ道をお通りいただきたいと思います。
(後編)以上
※恐れ入りますが、お話の転載を一切禁止いたします(YouTube含む)
※本文中に、適切ではない言葉を使用している場合がございますが、お言葉等の意味合いが変わってしまうため、そのまま掲載をさせていただいております。何とぞご了承ください。