糸一本がほこりになる(第1章後編)
ああ、そういう因縁が我が家にはあるのかと。これを恨んでいたら、またこっちがやるの。いつまで経ったって、かいぐりかいぐりで、限りがありません。
それで喜ばせていただく。喜ぶという答えは、相手を無罪にさせていただくこと、相手から1円のお金も頂いてはいけないということだった。
私の母は、そういう大変な暮らしのなかではございましたけれども、会長様のおっしゃることを、そのまんまお受けをさせていただいて、そのとおりに実行をさせていただいたのでございます。
それから10年経ったときに、こういうおたすけにぶつかりました。
会長様は、よくご存じです。「本人にも信仰もなければ、親にも信仰がないけれども、本来なら助けられないところだけれども、中に入った遠藤ハルさんの誠真実で、助けてあげよう。誰がなんと言おうと、かれがなんと言おうと、大丈夫だよ。僕が必ず、無罪にしてあげるよ」とおっしゃってくださったけれども、結果は、会長様のおっしゃっていただいたとおりの順序を頂いて、3年の執行猶予ということで、保釈金を積んで、帰していただくことができました。
不思議なご守護ですねえ。その時は、会長様は何でもお願いしたら助けてくださる方だと思って、ああありがたいという思いだけでございましたが、年限が経って今日、当時のことを振り返ってみると、それでもああ会長様というお方は、なんと偉い方であっただろう。
本人にも信仰がない、親にも信仰がない。それで私どもは、「とにかく、あなた、刑務所へ入ったら、帰ってこれない。人も使わない。だから、入ったと思って入らないんだから、これからお教会の5日勤めをさせてもらいなさい」とおっしゃった。
刑務所へ入ったと思ったら、できんことない。その場は、教会の神殿でさすがに男泣きに泣きましたよ、「ありがたあい」って。そりゃあ、ありがたいですよ。そして、それをお受けをさせてもらったけど、結果は、3回来ただけでやめちゃったの。
それじゃあいけないからと言って、母親に、「あなたでも、ご主人でも、どちらでもいいから、これから3年間、愛町分教会の祭典に、月参りをさせてもらってください。3年先は、できればけっこう。まあその時はその時といたしましょう」と言って、定めてくださいました。ほとんど母親が、3年間月参りをしてくださいましたねえ。
今度は、それは、事件はそれで終わっても、親戚関係でございます。相手は大黒柱を殺されちゃっている。路頭に迷うわけでしょう。電気工事を扱っているお家です。ご主人がいなくなったらできない。
それで、どういう事になったかというと、まあ土地を持っておりますから、土地を一つ売って、そのお金を相手さんにあげて、お詫びの印としようと。
それがまあなんと、私の母がまいりましたら、親族会議を開いているところにちょうど出くわしたら、なんとまあ、いちばん日も当たらない、米もとれない、いちばん悪いところを売って、お金に換えて相手にあげようとしていた。
「何をあなた方やっているんですか!相手は、要らん人を殺されたんじゃないんですよ。一家の大黒柱を殺されているの。そうとしたら、あなた方が立場を代えてお考えになったら分かるでしょう。あなたの土地で、いちばん高値に売れるところを売って、1円のお金も取っちゃいけませんよ、税金はあなた方が払うんです。全額を、お詫びの印として、相手に差し上げてください。だからといってお金をあげたからもういいってもんじゃあない。お詫びの印として、誰でも代わりあって3年間、愛町分教会の月次祭に運ばせていただいて、こうして3年の執行猶予、3年事が無ければ無罪放免ということになります、こんな大きなご守護を頂いて、ただありがたい、ありがたいと言っていちゃいけません。ただのものは、ひとつもありませんよ」
まあ言われて気がついたんですね。それでいちばん良いところを売って、相手さんにもらっていただきました。
それからまた10年経ちました。
私の家の事件から20年が経っておりますよ、皆さん。
今聞いて、2〜3日経ってのことじゃない、年限が経って、振り返ってみるときに、会長様のおっしゃることを、通れても、通れなくっても、通る努力をして通らせてもらった者は、どうなっていくという。必ず、前生の悪因縁を消していただいて、善因縁に変えていただくことができるということは、この20年経ったときに、その土地を売っていただいて、お詫びの印として頂戴した相手さん、人間で考えれば、当たり前のことですね。もっと(お金を)もらいたいくらいでしょう。
ところが、息子さんが成人をいたしまして、亡くなったお父さんの代わりに大将になって、電気工事をなさるようになった。
ある日のこと、その日はたまたまお休みの日だったそうですが、請け負った相手の会社が、「操業を停止するわけにいかないから、日曜日にやってくれ」と言う。
日曜日っていうのは、なんかうまくいかない。けれど、そう言われたので、日曜日に社員を連れて工事にまいりました。
ところが、工事の最中に、その息子さんが、工事中に、高圧線に触れて、真っ黒けになって、高いところから落ちてきたという。もちろん即死ですよ。
それが、田んぼを売って、「申し訳ありませんでした」と言って、もらっていただいて、当たり前のことですから「はい」って、お礼も言わなかったと思いますよ。もらって当たり前だから。
その息子さんが、今度はそういうことで、事故で感電死をして亡くなりました。
つまりは、こうやって拳骨でおじさんの顔を殴って、即死をさせてしまった、即死同様ですねえ、7時間後に亡くなった。その、させたほうも、殺されたほうも、会長様に教えていただくと、五分五分の理ということです。五分五分の理なんです。
社会では、加害者を憎みます。被害者を、ああお気の毒になあって言うでしょう。加害者をお気の毒になんて言う人ない。でも、このお道を聞かせていただくと、五分五分ということなの。
まあそういうことで、この20年の歩みのなかに、そういう理を、お見せをいただいたのでございます。
私の家は、母が出直しをするまで、このときの身上で苦しむこともなく、おいていただいて、できてもでくなくっても、神様の御用をさせていただいて、生涯を終わらせていただいたということは、誠にすばらしいことだと思いますが、成らんなか、でけんなかをと聞かせていただく。
成るなかは誰もする、成らんなか、でけんなかをと、お聞かせをいただきますけど、まあそりゃあ当たり前だわなあというなかは誰でもやりますよ。ようまあ、あのなかを通りなすったなあ、偉いもんやなあと、人が感心するようななかを通らせてもらって、お道は当たり前なの。
私どもは、すばらしい初代の会長様という理の親を頂いて、これは正しいこと、これは間違っていること、「お道を聞かせていただいたら、たとえ通りにくくっても、正しい道を通りなさい」とおっしゃる。
人によっては、都合の良い話は、「会長様は、こうおっしゃいましてねえ」と言って、聞いて帰る。自分に都合の悪い日は、聞かんふりして帰っていく。「そんなこと聞きましたかねえ。いやあ聞いていませんねえ」って逃げちゃう。
「みんな、信仰しておっても、自分の都合の良い話は聞くけれども、自分の都合の悪い話は聞かない。それじゃあ天理教じゃないよ。このお道の信仰は、都合の悪い道、通りにくい道ほど、助かる道なんだ」因縁を消して、助かっていく道ですね。
まあとにかく、そうやって初代の会長様が、「助けてあげる先方には信仰がない。けれども、中に入った遠藤ハルさんの誠真実を受け取った。願いどおり無罪にしてあげよう」無罪にしてあげようとおっしゃってくださったの。
だから、誰が助かったというと、おたすけをさせていただいた、私どもが助かったの。
そうやって、教えていただいたことを守って通らせてもらったということは、そのおっしゃったとおり、「僕の言うことを聞いて通らなかったら、年限が経って、忘れた頃に、親子・夫婦・兄弟のなかで、血で血を洗う刑事問題を起こす」と教えてくださいました。
ですから、「相手を罪に落としてはいけないよ。相手から1円のお金も頂いてはいけないよ」教えてくださいましたことを、堅く守って通らせていただいたという、これほど通りにくい道はなかったと、私は思わせていただきます。
けれども、その通りにくい道を、私の母は頂戴いたしまして、通れても通れなくっても、通る努力をさせていただいたということが、こうして、おたすけ先で、見る因縁、聞く因縁で、「僕の言うことを聞いて通らなかったら、今この見せられたような理が、お前の家にふいてくるところだった。よく承知ができたか」と教えてくださった。
また、そのお金をもらった方が、そうやって、10年経って、息子さんが一人前になって、さあこれからお商売をやっていこうというときに、高圧線に触れて、感電死をして、店じまいをしてしまわなければならない運命に落ちていったということは、社会で言うたら当たり前のことで、殺されたんだもの、お金をもらって当たり前やあっていうことでございますけれども、お道はそうでない、五分五分の理。
ですから、そこを助かっていこうとするのには、天理天則として教えていただいた道を、通れても、通れなくっても、通る努力をしていくことを、会長様が私どもにお見せくださった。
きれいにした、因縁のものはきれいにしましたよ、もらいませんと言っても、糸一本が残っていたために、先へ行って、災いになることがたくさんあると教えてくださいました。
私の家はそうやって、初代の所長さんが、通れても通れなくっても、初代会長様に教えていただいた道を、お受けをさせていただいて、通ってくださったということが、今日、子孫が助かっているのでございます。
ですから、お互い様も、このお道を聞かせていただいたら、通り良い道と、通りにくい道とあったら、あえて通りにくい道を通らせていただく。そうして通らせていただくと、やがてはその道が、通り良い道に変わっていく。これが天理教でございます。
通りにくいと思ったけど、ああ良かったなあというふうに、通り良い道を通らせていただくと、いかにも通り良いように思いますけど、先へ行くほど通れなくなってくる。こんなはずでなかったという事になってくるんです。
初代の会長様が、簡単に分かりやすいお言葉で、「道を聞いたら、道を通りなさい」とおっしゃった。
「道を聞いたら、道を通りなさい」初代会長様は、天理天則に添った正しい道を、日々私どもにお聞かせをくださいました。
聞かせていただいても、因縁で、ついつい今の話で、都合の良い話だけは、「ああ会長様こうおっしゃった」と言うけど、都合の悪いことは、聞いて聞かないふりしてすーっと聞きっぱなしをしちゃう。これじゃあ道を通っていると言えないわけですねえ。
ですから、お道を聞かせていただいても、助かっていく人と、助かっていかない人の違いはどこにあるかというと、道を聞いたら、道を通らせていただく努力をさせていただくということに行き当たるわけでございます。
まあそうして、私の家は、人さんに殺されなければならない因縁の家柄であっても、お道を聞かせていただいて、初代の会長様に、この悪因縁を、善因縁に切り替えることを教えていただいて、切り替える道を教えていただいたのですから、通れても、通れなくっても、通る努力をしてまいりましたことが、今日、善因縁に切り替わって、そうして、おたすけ先でも、「遠藤ハルさんの誠真実を受け取った。願い通りのご守護をあげよう」とおっしゃって、本当におっしゃったとおりの、鮮やかも鮮やか、鮮やかなご守護を頂いた。
3年間、何事も事がございませんでしたから、無罪放免ということになった。後には、会社を建てて、その社長にまで上がることができました。それから先は、本人の徳次第ですね。お道を聞かない方は、それ以上は助けられない。
それは、このおたすけは、私どもに会長様が、「どんな悪因縁の家でも、お道を聞いて、天理天則に添って通らせてもらったら、必ずや善因縁に切り替わっていくことができる」ということを教えてくださいました。
そうして、いちばん上手な助かり方は、見る因縁、聞く因縁で通らせてもらうのが、いちばん上手な助かり方。つまり、おたすけによって、私どもは、自分の家の悪因縁、自分の悪因縁を消していただくのでございますから、おたすけじゃない、お助かりでございます。
しっかり、そうして教えていただいたことを守って通らせていただきましたら、そのような因縁の悪い私の家でも、善因縁に変わって、こうして、一族郎党が、神様というおめどうに、一丸となってお連れ通りいただけるような、ありがたい家に変わっていったわけでございます。
初代の会長様は、信仰の始まりに、「これからは、僕と神様の言うことを聞いて通りなさい。そうしたら、大難は小難、小難は無難として連れて通ってあげるよ。いかに僕が助けたい、お前さんたちも助かりたいと思っても、ああそれは会長様無理ですよ、そんなことは聞けませんよというのであっては、僕は助けられない」とおっしゃった。
「だから、これからは、助かりたかったら、神様と僕の言うことを聞いて通りなさい。そうして通ったら、お前さんは」と私を指差して、「家柄の因縁と、前生の因縁で、やがてはこのままいったら、気違いになるか、胸(肺病)が出る」とおっしゃった。
「そうして、家は散り散りバラバラになって、死に絶えてしまう因縁の家柄だけれども、いま言うとおり、僕と神様の言うことを聞いて通ってくれたら、必ずや、先へ行って、ああ聞かせてもらって良かった、こんな夢のような日がくるとは思わなかったという、けっこうな日が必ずくるよ」と教えてくださいました。
いろいろの節のなかを、いつも私どもは、というか初代の所長さんは、ご自分も通られ、私どもにも、通りにくい道を通してくださいました。通りにくい道を、通してくださいました。
通らせてもらった今日、ああなるほどという理をお見せいただいております。
だから、このお道は、聞いたら道を通らせてもらうことが誠に大切でございます。
また、因縁のものは、きれいにした、なぜ果たせという言葉がお道にあるのか。なにも、なんでもかんでもきれいにしちゃえというんじゃないんです。裸になんなさいっていうんじゃない。因縁のものをきれいにしなさいという。因縁のものを抱えているために、みんな苦しんでいる。
けれど、そのきれいにする道、旬というものを、私どもは、初代の会長様に教えていただいた。教えていただいたところに通らせてもらって、なるほど、因縁のものは怖い。また糸一本残っていたために、先へ行って、難儀をする事ができてくる。
きれいにさせてもらうということは、そういう意味でございまして、そういう点をお間違いのないように、お受けになってお通りになられると、皆さん方も、先々へ行って、なるほどなあ、ああお道はありがたいな、会長様のおっしゃっていただくように、「お道が、楽しみで、楽しみで、やめられないという時がくるよ。僕はそういうことを分かったから、通ってみた。通って間違いのない道だから、皆さんのお顔を見れば、こうやって、神様のお話をさせていただいているんだよ」このようにお話をくださいましたことを、今も覚えております。
どうか、ひとつ皆さん方も、聞き間違いのないように、上手に聞いていただいて、お通りをいただきたいと思います。
それには、神様を信じていただくだけでは足りません。信じて、もうひとつ信じて、もうひとつ信じきって通らせていただくところに、不思議、不思議の理を頂くことができるのでございます。
今日は、これで失礼をさせていただきます。
また次のお話は長くなりますので、来月、第2章として、改めてお話をさせていただくつもりでございます。
(後編)以上
※恐れ入りますが、お話の転載を一切禁止いたします(YouTube含む)
※本文中に、適切ではない言葉を使用している場合がございますが、お言葉等の意味合いが変わってしまうため、そのまま掲載をさせていただいております。何とぞご了承ください。