だいぶ昔のお話になりますねえ。
初代の会長様が、春と秋の大教会の御大祭には、お出かけになられました。
だいたい私もその都度、会長様のお伴をさせていただきましたが、今これからお話することは、そんな事があったんですかというくらい、古いお話でございますが、まだ日本も戦後間もない時でございましたから、乗り物というても、東京−名古屋をつなぐ乗り物は、鈍行列車しかございませんでした。
鈍行でございますから、もちろん各駅停車で、会長様は、当時は一等車、二等車、三等車とございましたけれども、会長様は、三等車にお乗りいただいてお出かけになられたのでございます。
お教会をお出ましになって、汽車にお乗りになりますと、まず大府というところに停まります。大高、刈谷というふうに、各駅に汽車は停まるわけでございますけれども、その駅のある町に、一人でも信者さんがいらっしゃいますと、必ずお出迎え、またお見送りということを、信者さんがしてくださいました。
お伴をさせていただく私どもの御用と申しますと、白い袋をたくさん作ります。紙の袋を作りまして、その中に10とか15とか、紙に書いた数だけのキャラメルを入れさせていただいて、柳行李(やなぎごうり)にいっぱいになります。それを、青年さんが肩に担いで運ばせていただく。お伴をさせていただく。
駅へ着きますと、会長様がこうやって窓を、私どもお手伝いして、窓を開けさせていただきますと、信者さんが前へ寄ってきます。
ご挨拶の終わったあと、「子どもは、何人だえ?」とこういうふうにお尋ねがありました。すると信者さんが、「何人何人でございます」と言ってお答えする。
信者さんも、初代の会長様が、子どもさんを大変かわいがられることは、よく存じ上げておられましたから、皆子どもさんをお連れになって、おみえになってくださいます。
すると、後ろから私どもが、数だけ入った袋を「会長様どうぞ」ってこう差し上げるんです。そうすると、会長様が、主だった人をこうやってお招きになる。
寄ってまいりますと、「1人でも、あの子にやってこの子にはやらなかったということのないように、必ず渡しておくれよ」とこうおっしゃってですね、飴の袋をお渡しになりました。
これが、初代の会長様が行き帰りになさることで、当時は、会長様だからなさるのだと思っておりましたけれども、これは大変なことだったということが、今日になってみると、分からせていただくのでございます。
そうしたなかに、汽車は、沼津の駅に入ってまいりました。
当時、沼津は、機関区がございまして、ここで罐(かま)を取り換えるわけですね。ですから、普通の駅よりはちょっと停車時間が長かったのです。
そこへ、愛春の初代の所長でございます私の母が、一人の見慣れない男の方を後ろに連れて、どかどかっと汽車の中へ入ってまいりました。
当時の汽車のこの通路というのは、栗の木のような堅い木に油を塗った通路でした。そこへ座りまして、「会長様、お願いいたします」と言って申し上げたんです。
そうしたら会長様が、「なんだえ?」とお尋ねになった。
すると、「ここに居ります方は、こうこうこういう方でございますけれども、ただ今お店を商っておりますが、お店がうまくいかなくなりまして、倒産をしなければならなくなりまして、なんとか倒産を免れたいとして、あちらこちらにまいりまして、お金の算段をいたしましても、どこも誰も貸してくださいません。会長様お願いいたします」、こう言ってお願いをいたしました。
その方は2〜3日前に初代の所長さんがおたすけをして、助けていただきたいからこれからお道の信仰をさせてもらいますという人なんですね。
そうしたら、会長様が、「お前さんには、助けてあげられないけれども、中に入った遠藤ハルさんの誠真実に免じて、助けてあげよう」とおっしゃってくださった。
会長様は、東京のほうを向いてお座りいただいておりましたが、右の手をこうやって、汽車の窓からこうやって右のほうをこう指差されたんです。「この方面に、お前の知っている人はいないかえ?」
お前さんの知っている人はいないかえと言ったら、「はい。ございますけれども、もうそこも行ってまいりましたが、お断りをいただきました」と申し上げたら、「そうかえ。お前さんが行ったら断られるけど、今度は、神様と、この僕がついて行くんだから、大丈夫だよ。そこに行ってお願いをしてごらん。二つ返事でお金を貸してくれるよ」と、こういうお言葉をくださいました。
「ありがとうございます」と言って母が申しますと、「ああ時間がね、汽車が出るといけないから、さあ、早う外へ出なさい」とこうおっしゃったの。あたふたと外へ出て、会長様をお送りさせていただきました。
さて、3日ほどいたしまして、初代の会長様は、また今度は、東京からお教会にお帰りになるわけですね。
また同じように汽車が停まりますと、母がその男の方を連れて入ってまいりました。
そして、座るなり、「会長様ありがとうございました。会長様におっしゃっていただいたとおり、一旦は断られたとこでございますけれども、お言葉を頂戴して行かせていただきましたら、二つ返事で、お金を貸してくださいまして、ありがたいことに、倒産をすることなく、なんとかお商売をつなげていくことができるようになりました。ありがとうございました」
こう言うて、お礼を申し上げさせていただいたのを、私は、そばから聞かせていただきました。
そのときの、会長様がこうやって指差されたお姿も、何十年経った今日でも、私のこの眼のなかには、はっきり残っておりますねえ。
まあ会長様は、そのように、なんとも言えない、不思議な力を持っていらっしゃる。
さて、月日は流れまして、初代の会長様がお出直しになられましてから、約1年ほど経ちましたときに、たいへん熱心なご婦人の信者さんが、ご夫婦を、はじめての方を連れて、当時は、私どもも熱海においていただいておりまして、熱海出張所という看板をあげさせていただいていた時代でございました。
そのご婦人が、玄関を入るなり、「所長さん、助けてください!妹たち夫婦を助けてくださあ―――い!」と言って、入ってこられたんですねえ。
突然のことで、ちょうど朝づとめが終わったところで、皆もその勢いよく入ってきたそのかっこうで、気をとられたような感じで、「まあお上がんなさい、どうしたんですか?」と言って、お尋ねをいたしました。
すると、連れてこられた方が、「この夫婦は、私の妹夫婦でございます。今までは信仰はございませんでしたけれども、今日から信仰させていただきたいと思いますので、どうか助けてください」と。
私は、そこに座られたご婦人のほうを、しげしげとこう眺めさせていただいたときに、「あなた、はじめてではありませんねえ、お教会で2〜3回はお会いしてますね」って言ったら、「はい」と返事をされました。
ということは、当時は、初代の会長様のお誕生日には、ささやかではございますけれども、各地区からいろいろ持ち寄って演芸会をさせていただいた。会長様にお楽しみをいただこうというわけですね。そのときに、そのご婦人は、ご自分の甥御さんが演芸会に出るということで付いてきてくださった。
そのときに、初代の所長さんが、「あなたねえ、今お若くて元気だから、今は天理教はいらないと思うでしょうけれども、この門をくぐったら、お道を聞かせていただかなきゃならない魂の因縁がある。今はなんとかかんとか通れますけれども、先の通るに通れない日を神様は助けたいとして、前もって教会の門をくぐらせていただくのですから、ひとつお道を聞いてくださいよ」
こういうふうに初代の所長さんが申し上げたところが、「そうですねえ…」と言って、入るとも入らないとも言わず、そんなことが2回ほどございました。それを私は見ている。
「はじめてではありませんねえ。あのときから数えると、もう10年はたっぷり経っております。初代の会長様は、この天理教の天という字を聞かせていただいて、20年経ったら、通るに通れない日がくるとおっしゃった。10年は助けられる。お道をしなくっても、なんとかかんとか10年は通れるけど、20年は通るに通れないよということをよくおっしゃいましたけれども、まああなた、それでも、10年でここへ神様がお寄せくださったということは、道が遅れているとはいえども、なんとか、神様が、また初代の会長様が、助けてくださいましょう。まずお話をさせていただく前に、あなた方ご夫婦、本当に嘘偽りなく、今日からこのお道の信仰をしてくださいますか?」私は申し上げました。
そうしたら、2人とも、「はい。信仰させていただきます」と、こうおっしゃってくださった。
ああこれなら、なんとか助けていただけるんであろうかなあと思いましたが、だんだんのお話のなかに、あまりにも大きな問題でございますから、私は、神様、会長様のお力を疑ってはいけないけれども、初代の会長様がいらっしゃる時であったら、初代の所長さんが、会長様助けてくださいとお願い申し上げたら、ああこの方向を訪ねて行ってごらん、必ず、断られても、僕が借りに行くんだから大丈夫だよとおっしゃっていただいたけど、今は初代の会長様がいらっしゃらない。それでも助けていただきたい、助かるだろうかという、人には言えないけれども、私はお話をさせていただくなかに、ふっとそういう迷う心が出てまいりましたが、ああそんなこと思ったらいかん、会長様はお姿はないけれども、御霊は生きてはたらいていてくださるんだから、大丈夫に違いない。そう思うように努力をさせていただきました。
そんなに朝早々とおみえくださったということは、人さんを使ってお商売をなさっていて、いけなくなって、とうとう倒産をしたのでございます。
なぜ熱海にいるのかといったら、熱海へ入るちょっと前に、湯河原を過ぎたところに公衆電話があったんです。そこへ入って、電話をかけたこの一本の電話で、つながったんです。
「お姉さん、声だけ聞かせていただいて。私たちはこれから大阪のほうへ行くけれども、大阪のほうへ行ったら、もう二度と会うことができないと思うから、声だけ聞かせて」と。
「何を言っているの!とにかくいらっしゃい!」、「大丈夫?周りに変な人はいないかね?」、「ああいないから、大丈夫だからいらっしゃい!」と言うお姉さんの勢いに押されて、恐る恐るお姉さんのお宅へ伺ったら、「まあここで話をしていても、埒(らち)が明かん。さあ、出張所へ行ってお願いしよう」と言って、朝早々と飛び込んできたわけでございますね。ですから、お家はもうすでに、暴力団に占領されちゃって、居座られちゃって、怖くて入ることできない。とにかく逃げなきゃならない。
なぜ逃げなきゃならないかというと、倒産をいたしましても、その金額によって、200万とか300万とか、お金を揃えて裁判所にお願いをせんことには、破産宣告を受理してもらえないんです。皆それができないから、暴力団が怖いから逃げるわけですね。
「大丈夫ですよ。昔、初代の会長様のお元気な時代に、ここの初代である所長さんが、こういうおたすけをさせていただいて、ご守護を頂いております。今もその理は変わらないんですから、あなた方が、本当に口先でなく心から、これから信仰をさせていただくという腹を決めてくださったら、ご守護は頂けるはずです」
この200万のお金をつくらないと、破産宣告を受理してもらえない、裁判所で。受理してもらえたら、裁判所が代わって裁判をしてくださって、逃げも隠れもしないで通れるの。でも、それができない。
「どこも訪ねましたけれども、どこも貸してくれません」、「でも、もういっぺん、今ここに座って、ここに初代の会長様の御霊がお座りいただいています。ここでもういっぺん、ようく胸に手を当てて、考えてみてください。まだ、まだもういっぺんでも行って、お願いできるとこはありませんか?」って言ったら、「まあいっぺんは行きましたけれども、そうおっしゃっていただけるなら、1軒ございます」と。
「どこですか?」と言ったら、「昔、自分のところで使っていた人間が独立をいたしまして、九州のほうで水道工事のお仕事をしている。いっぺんは行きましたが、お断りをいただきましたが、もういっぺんそこなら行かせてもらおうと思います」と。
「そうですか。そりゃあもう、あなたお道を聞かせていただくという心が定まったんですから、つながった。切れ切れになった一本の糸がつながったの。神様、初代会長様と、あなた方が、切れ切れになっていた糸が一本こうやって結ばれて、つながったんだから大丈夫ですよ。行って、お願いをしてごらんなさい」
ご主人が行かれました。私のような者の言うようなことでも、「そうですか。ああ行かせていただきます」と。
九州まで行ったら、一度断った方が、もういっぺんお願いに行ったら、貸してくださったの。200万のなかの100万を貸してくださった。「社長、これはできた時でいいですよ。いついつまで返してくれとは言いませんから、いいですよ」と言って、貸してくださったそうです。
さあこれを聞いた親戚の方々が、赤の他人がこうやって助けてくれているのに、儂(わし)らが知らん顔していちゃあ申し訳ないということになって、親戚の方々が、お金を持ち寄ってくださいまして、100万できた。合わせて200万のお金ができたのでございます。
こうしてですねえ、書類を整えて、裁判所に破産宣告の書類を、提出をいたしました。
すぐにはまいりませんが、2か月ほどいたしまして、裁判所から通知がまいりました。
ご主人が、裁判所へ行かせていただくときに、お参拝におみえくださいましたから、私は申し上げた。
「あのねえ、私も何人となく、そういう破産宣告をなさった方のおたすけをさせていただいておりますけれども、そりゃあ大変なんですよ。ひとつ違ったら、靴を履いたまま、どた靴で頭を蹴られたり、顔を殴られたり、もう大変なことになるんです。そんな事になっちゃあいけませんから、まず皆さんにお会いしたら、地べたに座って、まずあなたから、申し訳ございませんでしたと、頭を下げてお詫びをしてください。決して高い心を使っちゃいけませんよ。後は、神様と初代会長様がはたらいてくださいます」
そのご主人は、元は社長で、人を使っていた社長の立場にいた方が、言われたとおり、裁判所へまいりまして、債権者が並んでいるところに座って、「申し訳ございませんでした」と言って頭を下げましたら、債権者の方が、「まあ、頭を上げてください。いつ何時、私たちもそういう立場になるか分かりません。頭を上げてください。お金ができた時に、できただけお払いくださったらいいですよ。待っていますよ」と言って、反対に勇ませてくださったと言うんですねえ。だから、裁判官がびっくりしちゃった。「こんな穏やかな債権者会議は、はじめて見た」という。
もう大変な騒動になることがあるって言うんですねえ。どうしてくれるんだあ―!というようなことでね。それが穏やかに、そうやって反対に勇ませてくださった。
こうして、無事に債権者会議も終わりました。
私は、「今日から信仰してくださいということは、これから何年じゃないですよ。生きている限り、祭典とお講話日に、ご夫婦で運んでください。そうしてあと1日は、ご夫婦でひのきしんに来てください。これができますか?」と申し上げた。
「できるかできないか分からないけど、やってみます」
「そうですかあ。頑張ってください」
これが、今日から信仰させていただくということでございました。
そうして、神様はだんだんのご守護をくださいました。
ご夫婦が、お道を聞かせていただいて10年経ったときに、「所長さん、土地を買わせていただいて、土地付きの建売住宅を買わせていただくような順序がつきそうでございます」とおっしゃったの。
まだそのときは、親子夫婦が、親子バラバラに住んでいたの。子供さんたち夫婦と自分たちと別々に。一緒のところなんてない、借家でも。ところが、そういう順序がついたんですよ。
できてもできなくっても、お約束したことを守って通る努力をしてくださった。
大阪に今でもございますけれども、もうそこに入ったら、一生出られない。何がしろ社長をしておったとか、運動選手でも名のある野球の選手だったとか、皆そういう人が入っている。もうそこで、命を落としていく。出られない。社会に再復帰ということはまったく不可能なんです。
お道を聞かせていただいているということは、すばらしいことだと思います。
初代の会長様が、お道を聞かせていただきますというこの心に免じて、人間では解決のつかないことを、だんだんと一つ一つ、困った事から解決をしてくださいましたよ。
そうして、私がまいりましたときに、ご夫婦がまずおっしゃったことは、「商売をしておって、借金をこしらえて、お店を閉めなきゃならないようになった者が、今度、商売やめてしまって、人さんのところへいって使っていただいて10年通るなかに、こうしてご迷惑をかけた皆さん方に、少しずつ少しずつお支払いをさせていただいて、この10年間で全部お返しをすることができました」とおっしゃったの。
ああ皆さんね、お道というのはすばらしいんです。
よく初代の会長様が、「このすばらしいお道を一人でも多くの方に聞いていただきたい」という、会長様はそういうことがお分かりになっていらっしゃるから、おっしゃるお言葉ですね。私たちは分からないから、会長様がこうおっしゃっていますよ、聞いてくださいって言うんですけど、こうやって、おたすけをさせていただくところに、なるほど会長様のおっしゃることは、こういう事であったのかということが、よくよく承知ができます。
ですから、お道は、おたすけをさせていただくことと、ひのきしんをさせていただくことは、車の両輪。どちらが欠けても車は走らないと教えていただきましたけれども、相手さんが助かっていきますが、自分も助かっていくということなのです。
私は、この大変なおたすけのなかに、会長様に教えていただいた、生前中聞かせていただいたお話を、なるほど、なるほどと、おたすけのなかに一つ一つ納得をさせていただきましたね。
10年経ってお返しをさせていただいて、晴れて、世界を大手を振って歩けるようになった。
こうして、倒産をしなければならなかった方が、お道を聞かせていただいたことによって、土地付きの家を買わせていただくことになったの。
そうして、バラバラになっていた親子夫婦が、一つの家に住まわせていただくような、すばらしい順序を頂いた。
「所長さん、助けてくださ―い!」と言って飛び込んできた方が、こうやって、お道を聞かせていただいて10年有半のなかに、このようなすばらしいご守護を頂くことができたのでございます。
今も、もう年限が経ってまいりました。でも、お道を、ぼつぼつと、こつこつと、お通りいただいております。
ああ、すばらしいことだと思いますよ、皆さん。人間で努力してこれだけのはたらきを10年間にできるかというと、おそらく私はできないと思います。
ですから、お道をさせていただくなかに一つ一つ、何をやってもうまくいかないその因縁を、神様が一つ一つ消していただいたと思います。
私は、お買いになった家にも行かせていただいて、胸がいっぱいになりました。そこのお家に入ったときに、もう胸がいっぱいになって、涙が出て涙が出て仕方がありませんでした。ああ神様のお力、初代の会長様のお徳、ありがたいなあと思いましたよ。
ですから、私は、このおたすけのなかに皆さんに申し上げたいことは、会長様は、「天理教の天という字を聞かせていただいたら、命のある限りという信仰だよ」とおっしゃいました。
また、初代の会長様は、「出直しをして、生まれ変わってきても、僕は天理教をやるよ」とおっしゃいましたね。
それは、会長様がお分かりになっていらっしゃるから、おっしゃるお言葉ですね。私たちは分からない。一つ一つ通らせていただいて、なるほどな、なるほどなと、納得のいくことでございますけれども、分からなくっても、初代の会長様が、「天理教の天という字を聞かせていただいたら、命のある限り、ぼつぼつと、こつこつと、飽きないように、腰をつかないように、気長な信仰をしていくんだよ」と仰せいただいたお言葉を、皆さんに今日は申し上げたい。
助かったから良いんじゃないんですよ。助かったら、この助かったお話、身上で助かっても、事情で助かっても、助かったお話をどこへでも持っていって、私はこういうことがありましたが、こんなように助けていただきました、あなたもひとつ聞いてくださいよと言うて、お話をさせていただいて、はじめてこちらが助かっていくとおっしゃったの。
ただ助かったということは、天理教が助かって、教会が助かって、会長様が助かっているだけなの。いかにも助かったように思いますけれども、助かっていかなければ、お道を聞きますと言ったってできやしない。
お道を通ってもらいたいから、神様が、身体の弱い者は丈夫にしてくださいます。商売のうまくいかない者は、商売を繁盛させてくださいます。これは、その人が助かったんじゃない、天理教が助かって、教会が助かって、会長様が助かっているだけなの。
じゃあ、自分が本当に助かって、もう大丈夫ということになるのにはどうしたら良いかというと、助かったお話をどこへでも持っていって、おうつしをさせてもらう。相手は聞いても聞かなくても良い、こちらが助かっていく道。このように教えていただいております。
初代会長様がお出直しになられまして、今年は、早いものでございまして43年の年月が流れました。
そうしたなかに、今日お話申し上げたお話だけではございません。数々の御守護を頂いてまいりました。
その助けていただいた一つのおたすけを、今日は皆さんに聞いていただいたのでございますけれども、どうか皆さん方も、助かったそのあとが大切なんですよ。助かったから良いで、お道を後退りしたり、一服をした人を見ていると良くありません。また因縁どおり倒れていっちゃう。一時は助かりますけれども。
ですから、そんなことのないように、お互いに、初代の会長様が、天理教の天という字を聞かせていただいたら、命のある限りという信仰だよ。その長い年月を、走りづめ走っていったら息が切れちゃう。ぼつぼつと、こつこつと、飽きないように、腰をつかないように、命のある限りという信仰だと教えていただきました。
どうか、お話を聞いてくださる皆さん方も、このお言葉を心に置いて、これから先も、このすばらしいお道の信仰をお通りいただきたいと思わせていただく次第でございます。
以上
※恐れ入りますが、お話の転載を一切禁止いたします(YouTube含む)
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