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因縁の自覚(後編)

 

こうして新しいお店の女主人としてお店が始まりました。

今当時のことを思います時、お店もその娘さんも輝いておりました。まさに願い通りのご守護をいただいたわけでありますが、下世話に“ぬれ手に粟(あわ)”という諺がありますが、タダほどこわいものはありません。

初代会長様は「ただ助かる神様があったら僕にも教えておくれ。そんな神様はないよ」とおっしゃいました。では私どもはこれからどんな難しい道を通らなければならないかというと「そんな心配もいらないよ。難しい道は教祖とこの私がみな通らせていただいたから、お前さんたちは僕ほど苦労しなくとも、難儀をしなくとも、また年限が経たなくても、私の万分の一の信仰をさせていただいたら、やがて将来、万分の一の徳がもらえるよ」と、いつもお聞かせくださいました。会長様の万分の一の信仰とは「あまった時間、あまった体、あまった事情(お金)があったら、人間の勝手なところへもっていって使うのは後回しにして、まず神様の御用をさせてもらいなさい。そうして通らせていただいたら、やがて私の万分の一の徳がもらえるよ。その徳とは、信仰する時に困って困ってどうにもならないような人が、気が付いたら反対に助かって助かって困るようになったという姿が私の万分の一の徳をもらった姿だよ。皆そんなに救ったらどうするえ」といつもお話をしてくださいました。

例えば、天借のことについて、前編でも書きましたが、初代会長様は「私はね、神様に一つ救けていただくと、それを七層倍に増やしてお礼を申し上げて、お返し申し上げてまいりました。そうしたら、いつの間にやらこんなに結構になってしまった。今の私の生活は誰にもまねができない。このような高い立場に神様が僕をおすえになってくださいました。その僕がいうのだから、この道はたしかな道だよ」といつもお話をお聞かせいただきました。誠に初代会長様のいわれたことは、千に一つの違いはない、その通りでございます。

 

お話をもとへもどしましょう。

こうして開店いたしましたお店も順調に進みまして、その年のクリスマスイブの日のこと、思いもかけない大節を神様からお見せいただきました。

ということは、娘さんはお店の近くのアパートに住むようになりまして、その日はなんとない時間を過ごしておりましたが、急に胸騒ぎがしてきまして、お店にとんでまいりましたところ、店に鍵がかかっていて開かない。バーテンさんが先にきて客を迎える準備をしてくれるわけですが、どうも外へ買い物に出掛けていたようでした。当時のことですから、石油ストーブを一時間くらい前から焚いて、店内を温めておくわけです。鍵の穴から覗いたら、なんと店の中からもっくりもっくりと白煙が見えるではありませんか。もうびっくりして腰がぬけそうになったけれども、やっと這うようにして、隣の喫茶店へ飛び込んで助けを求めようとしたら、ちょうど運よく男の人が二人でコーヒーを飲んでいた。ものが言えないから、黙ってその人達を引っ張って来て、やっと一大事だと分かってもらえた。ただ、ドアは鍵がかかっているから開きゃしない。木のドアですから、体当たりで二人が代わりあって当たって、ドアを破って入った。本当に間一髪というところで、天井にぶらさがっている飾り物が風にあおられて落ちたらと思うと、今でもその時のことを思い出してもゾットいたします。火事を起こして、火に燃えて灰になってしまうところを、神様会長様が大難を無難にしてお連れ通りいただくという、すばらしいご守護を頂戴したのです。もしもここで店が焼けてしまったならば、長い間胸に抱いてきた、たとえ小さくとも一国一城の女主人になりたいという夢は、わずか十ヶ月で夢とついえてしまうところでした。

 

このおたすけのお話は、まだこれから先に、またまた神様、初代の会長様の不思議なお働きをいただくのですが、ここでいったんお話を因縁ということに移しましょう。

もちろん因縁には悪因縁と善因縁があります。私どもは、お道の信仰によって、悪因縁を善因縁に切り換えていただくことを教えていただいているのです。よく私の家は、また私は因縁が深いのですと言われる方がありますが、その実、まったく分かっていないのです。

それを分かってくださって助けてくださるのは、神様、初代会長様です。ですから、通れても通れなくともその助けてくださる方の言うことを素直に聞かせていただいて、通らせていただく努力をさせていただくことがお道の信仰であって、お話を聞くのが信仰ではないと初代会長様から教えていただいております。

初めて、名古屋のお教会へ参拝させていただきました時に「お前さんの家はしんが立てていないから、しんになる者が胸か(肺の病気)気狂になるよ。そうして一家は散り散りばらばらになって、皆死に絶えてしまう因縁の家だが、神様がなんとかして助けたいとして僕のところへ連れてきてくださった。お前さんが勝手にきたのではないよ。さすればこれからは、神様と僕の言うことを聞いて通ったら、そうしたら因縁なんか決してこわいものではないのだよ。しかしながら、神様が僕が、なんとかして救けてあげたいと思っても、どうもその話は聞かれないというのなら、私も救けてあげられない。私が救けてあげたいという時に、そのまんま僕の思いがそっちに届くような信仰は誰がするのだえ。私ではないよ。助けてもらうそちらがするのだよ。そうして通ったなら、大難は小難、小難は無難として、連れて通ってあげよう」という会長様の尊いお言葉をいただいて始まったお道の信仰であります。

そうして、私の母である愛春布教所の初代所長は、できてもできなくても、それは通れても通れなくても、曲がりなりにも会長様の親心に沿って通る努力をさせていただいて、生涯を道の上にお連れ通りいただきました。遠藤家の長女である私は26歳の時、分からないながらも因縁の自覚をさせていただいて、お教会に入り込みをさせていただきまして、長数年の間、初代会長様のお側に置いていただいて、それは数々のお仕込みをいただいてまいりましたが、本当に私の宝でございます。私も今年で85歳を数える年になりましたが、私はこれからも年をとったと思わず、年をよったと思って、命ある限り、初代会長様に教えていただき、自分も曲がりなりにも通らせていただいたお道を、自分だけが助かればいいでない、一人でも多くの方に聞いていただきたいと念じております。

初代会長様は人間の道をつぶさに教えてくださいました。その中の一つでも皆さんに聞いていただいて、日常生活の中に社会上に使わせていただいたなら、必ず神様のご守護があります。このお道の信仰は助かって当たり前、むしろ助からないということは、信仰をしているフリをしているからだそうです。このお道は、聞かせていただいたなら、ボツボツとコツコツと、飽きないように腰をつかないように、それは命のある限りという信仰でございます。十年させていただいたから、三十年通らせていただいたから、もういいだろうというような、とったか見たかの信仰ではありません。この点に心をおいていただきたい。

 

それではここで、もとのおたすけのお話の続きに戻りましょう。

それからお店は順調に繁盛させていただいておりました。そして、あくる年の同じクリスマスイブの日に、またまた神様から理をお見せいただいたのです。

その娘さんのお店より200メートル位離れたところに同じようなお店がありました。よくお客さんに間違えられることがあったそうですが、翌日の朝、お隣りの奥さんが「ママさん昨夜は大変でしたね」と声をかけられて、「何かあったんですか。まだ新聞もよく読んでいないのですが」と改めて新聞を読んでびっくりしたのです。お客さんがよく間違えるそのお店から火が出て、全焼してしまったのです。

店はもう閉店間際だったそうですが、一人お客さんがいて、ホステスさんと踊っていたそうです。そのドレスの裾がストーブに引っ掛かってね、石油ストーブが倒れて、あっという間に火がひろがっていって電気も消えてしまい、そのママさんが中二階に三人の子供と住んでいたのですが、「子供が子供が」といって叫んだところでもうどうにもならない。火は瞬く間に店をなめつくして全焼し、その焼け跡からママさんと子供三人、ホステスさんの五人の遺体が発見されまして、お客さんは命は助かりましたが大火傷をおったという誠にお気の毒な事件があったのです。

人の難儀を見て喜ぶわけではありませんが、お道を通らせていただいているということで、神様は大難は小難として、見る因縁・聞く因縁で、火に焼ける因縁を無事にお連れ通りいただいたのです。火に焼けて灰になる大きな因縁の中から、会長様が無事にお連れ通りくださったのです。このようなすばらしいご守護をいただいて、改めて火に焼けて灰になる因縁を承知させていただきまして、遠く離れた東京の空から名古屋のお教会のほうへ向いて、心から御礼を申し上げさせていただいたそうです。

本人が申すのには、神様に定めた天借もお店を始めた当初はさして苦にならなかった、そしていつの間にか人間の借金も終わっていました。ところが、だんだんお店が繁盛してくると、お供えは増えてまいります。喜んでいいはずのものが、毎月毎月こんなにたくさんせんならんのかなあと人間心が出て、お供えに惜しみが出てきたのです。まだ定めたことを崩さなかっただけ良かった。心定めを崩していたら、自分の店が焼けることろでした。

神様にはきれいな理の事情をお供えさせていただくことです。人間は知らなくても、神様と自分が知っております。神様は誰も知らないその心の奥を見抜き見通されておられます。そうして、願い通りのご守護ではなく、心通りのご守護をくださいます。

初代会長様は、「僕は助けてあげられないよ。皆さんがどうやったら助かるのか分からないから、自分を台として助かる道を説いているのだから、私の話は聞いただけでは助からないよ。聞いた話をなるほどと思って、十のうち一つでも二つでも日常生活に実行に移して初めて、本当に助かってゆくのだよ」と常に教えてくださいました。

さて、この娘さんはお教会のご普請というまたとない旬に末代の徳を伏せ込ませていただいて、初代会長様のありがたい御理を通して、神様のお姿をお見せいただいたのでございます。

初代会長様はこうも教えてくださいました。「定めた事は、命にかえて守るのだよ。そうして神様から『長い間ご苦労さんだったなあ。さあ、神が礼を言うよ』と言われるまでは、自分を断じて許さず通らせてもらいなさい」と教えてくださいました。「何故かというと、お前さんが助かっているのではないよ。天理教が助かって、教会が助かって、私が助かっているだけだよ。ではお前さんはどうやったら本当に助かってゆくのかというと、身上でも事情でも、助かったお話をどこへでも持っていって、皆さんに聞いてもらうのだよ。そうすることによって、お前さんが本当に助かってゆくのだよ。いいかい、僕のいうことが分かったかい。分かったら今からでも遅くない、実行させてもらいなさい」と、繰り返し繰り返し教えてくださいました。

 

来年は初代会長様の四十年祭がお教会で執行されます。もう初代会長様とお別れしてから四十年も経ったのですね。私はこれからも元気を出して、会長様から聞かせていただいたお話を皆さんに聞いていただいて、初代会長様に助けていただいた万分の一の御恩を返させていただきたいと思っております。

 

 

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