天理教 愛町分教会

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 その人間は生きている(前編)

 


皆様がこのページをご覧になられる頃は、もう初夏の季節となっていることでしょう。

ここにも時折、部屋の窓に、藪うぐいすが飛んできて、ホーホー ホーホケキョと鳴いては、初夏の訪れを教えてくれております。


 

今、私は、遠い昔の記憶を思い出し、ペンを走らせていただいております。

 

二十六歳の夏にお教会に入り込みをさせていただきましたが、今は年を重ね、八十六歳を数えました。

神様は、長い年月を、休まず、弱らずと申しますが、こうして日々を元気にお連れとおりいただき、誠に感無量でございます。前日の疲れを翌日に持ち越すことなく、さわやかな目覚めを毎日いただいておりますが、まさに不思議というしか他に言葉がありません。
それは、私のためではなく、会長様に教えていただいた天理天則に沿った道を、一人でも多くの方々にお話をさせていただくため、また、私も嘘にならないようにこれからも守って通らせていただくために置いていただいているのだと、しみじみ実感しております。

 

さて、今からお話する事件がございましたのは、年代は定かではありませんが、ある夏の八月二十六日のことでした。

その年は大変な猛暑で、その日が夏休み最後の日曜日でした。日本中の海水浴場はどこもかしこも黒山の人の賑わいであったことを、新聞やラジオのニュースで耳にしたことを記憶しております。

 

お昼のちょっと前、たまたま神殿事務所におりましたところ、外から電話が入りまして、私が受話器をとらせていただきましたところ、先方はご婦人の方でした。

ご婦人は、大変あわただしく、しかも切羽詰まったような様子です。

「どうかなさいましたか?」とたずねますと、そのご婦人は「私は、他教会の信者でございますが、突然お伺いしても、会長様にお目にかかることはできますでしょうか?」と尋ねられました。
「はい、お会いになられて、会長様からお言葉をいただくことはできますが、前もって私にお話ください。今から私があなたさまに代わって、会長様にお取り次ぎをさせていただきます」と申し上げますと、先方は「実は私はA大教会の部下教会の信者でございまして、信仰は祖父母の時代からしており、家には神様をお祀りしております。両親はすでに修養科を卒業し、講習も出させていただいております。また、私も弟も、修養科を卒業しておるのですが、実はその弟が、今朝ほど友人と四・五人で湘南海岸の海水浴場へ遊びにいったのですが、そこから忽然と姿を消してしまったのです」とお話くださいました。


 

その日は夏休み最後の日曜日とあって、約二万人くらいの人出がありましたから、それは大変な事でした。また、その日は土用波と申しまして、波が非常に高く、溺れて亡くなられた方が十五人もおられたそうです。

弟さんがロッカーの鍵を預かっておりましたから、お友達の皆さんは、全部の方がロッカーをあけて帰るまで、着替えができなかったそうで、何時間経っても姿が見えないので、弟さんは、その十五人の中に入れられ、溺れ死んだということになりました。


やがてその報せが、家に届けられ、家族としては突然の出来事が降って湧いたわけです。ご両親はいうまでもなく、親戚縁者も寄ってきて、それはもう上へ下への大騒ぎとなったそうですが、そこはお道の信仰がありましたから、とりあえず、大教会へお願いに行かれました。しかしながら、大教会長様、また教会長様は、ちょうどご本部の月次祭でおぢばへお帰りになられており生憎ご不在ということでした。

そこで、お留守番の役員先生が、とりあえず足止めのお願いをしてくださいましたが、家族が一番知りたかった、生きているかもう死んでいるかということについては、一切言ってはいただけなかったそうです。それはまあよほどの信仰がなかったら滅多にああこうと断言できるものではありません。

私はそのご婦人に、どうして愛町をご存知なのですか?とお尋ねをしますと、「実は、弟は、三年前修養科を卒業した際、担任の先生から「君は家が関東だろ。名古屋を通って帰るのだから、名古屋で途中下車をして、愛町のお教会へお参拝をさせていただくといいよ」と言葉をかけられたそうで、言われたとおり参拝をさせていただき、深い感銘を受けた事を家族に話してくれました。その時のことを思い出し、誠に失礼とは思いましたが、万策つきて、あえてお願いのお電話をさせていただいた次第でございます」とお話くださいました。

 

会長様は常々、「この教会の門をくぐって助からない者は一人もないよ。この教会は助かって当たり前で、むしろ助からない方が不思議な教会だよ。また、私の顔を一度見たら、どんな大きな因縁があっても因縁なんか決して恐くはない。必ず助かる道へ連れて通ってあげるよ」とおっしゃっておられました。
ですから、私は、このご婦人のお話をうかがっても、大丈夫だと、ここで命を落とすか、よしんば生きていても家に帰ることのできない運命をもってしても、会長様は必ず助けてくださるという自信がみなぎってまいりました。

 

翌日、ご婦人は早々にお教会へお参拝くださいましたが、その際、「本来ならば、両親がまいるのが本当ではございますが、何分にも突然の出来事で、母は半狂乱の有様、人様の前に出られる状態ではございませんので、私が代わってまいりました」とおっしゃいました。
子供のない命を助けていただくのでございますから、せめて父親が会長様の理を頂きにきておられたらと思わせていただきます。神様の理を軽くすると、その時は助かっても、後に、助からない事が必ず出てまいります。
(これはまた後のお話といたしまして、本論を進めます)

私は、早速、奥へととんでまいりました。
会長様は、お部屋で御用中でございましたが、私も命懸けでございましたから、あえて不作法をかえりみず、お廊下から障子越しに「会長様、お願いいたします」と申し上げました。
すると幸いにも「何だえ」と会長様のお声が返ってまいりました。
私は息を弾ませ、「昨日お願いを申し上げた他教会の方が、御理を頂きにまいりました」と申し上げますと、会長様は障子を開けられ、御用のお手を止められ、尊い理のお言葉をくださいました。
「生きているよ。僕がこうして理を説いている時間に、もう本人は気がついているよ。できることなら丈夫な体で早く家に帰してあげたいね。しかしながら、その家は大変な道の遅れをしているよ」と会長様はおっしゃいました。
私は、「あの、お言葉ではございますが、そのお家は、その教会のおつくし頭だそうでございます。また、家族のものがかわりあって修養科・講習と進んでおられますが……」と申し上げますと、会長様は、「そんなことを僕はいっているのではないよ。長年の間、けっこうな神様のお話を聞かせていただいて、何故おたすけをしなかったのだえ」とお話くださいました。

 

会長様はいつも、「お道の者は、一日に一度は「神様は」という言葉を口から出させていただくのだよ。今日は誰にもお話ができなかったと思ったら、壁に向かってお話をしてもいい。寝ている子供にお話をしても、神様は十分に受け取ってくださるものだよ」とおっしゃっておりました。

お道では、「徳積み」と「おたすけ」は、車の両輪と聞かせていただきます。

どちらがかけても車は走ることができません。
私どもはある程度は「徳積み」ができても、社会が嫌う「おたすけ」はなかなかできにくいものですが、会長様は「おたすけは、相手が聞いてくれなくとも、自分が助かってゆく道だよ。相手が聞いてくれなくとも、自分が助かってゆけばいいではないか」と教えてくださいました。

 

お話をもとに戻しますが、こうして会長様からは、はっきりと「生きているよ。えらいことをしてしまった、さぞかし家族が心配をしていることであろう、早く家に帰らなければいけないと、もう本人が気がついているよ。私の耳に入ったこの時間にがついているよ」という誠にありがたい尊いお言葉をいただきました。
私はこの確かな理を頂戴いたしまして、感動のあまり直ぐさま神殿へと走ったのです。
後先になりましたが、このお宅は、埼玉県の川口市にあり、家庭工業とはいえども、大勢の職人さんを使って手広く鋳物工場をされており、死んだか生きているのか分からないこの息子さんはご長男さんでございました。

私は、神殿に着くと、早速ご婦人に「会長様は、はっきりと、生きているよと仰せくださいました。会長様がおっしゃられたことは、善い事も悪い事も必ずなってきます。誠に千に一つの間違いはございません。会長様は「今日は代理の者がきているのだから、両親に代わって、お道を単なる信仰だ、信心だと思って、やればいい、すればいいとして軽くして通ったことをお詫びさせていただき、また、けっこうな神様のお話を聞かせていただいても、自分達さえ助かればいい、世間が嫌うような天理教のお話を人さんにすすめて嫌われることもないだろうとして、長い間おたすけをして通らなかったことを心からお詫びをさせていただき、また、家に帰ったら、このことを家族に伝えて、神様の前でお詫びをさせていただきなさい。お前さん一緒にお詫びをさせていただきなさい」と会長様はお話くださいました」と申し上げました。


それから十日ほど経ちましたある日のこと、前触れもなく、その青年さんの母親がお参拝にみえました。


「その後便りはありましたか?」と尋ねますと、母親は「いーえ。何の便りもございません。便りといえば毎日のように、東京湾の水上警察署から水死体があがったから見に来るようにという報せがありますが、まったく似ても似つかぬ御遺体を見せていただくだけです。それに親戚の中には、もう死んでいるのだから、いなくなった日を命日として御霊に祀ったらどうかという話も出ているのですが、もう一度会長様にお伺いしていただけないでしょうか」といわれました。

 

会長様のおっしゃることには千に一つの間違いもございません。

愛町の信者さんでしたら、遠慮なく理の間違いをお伝えいたしますが、申し上げてもなかなか理解しにくいであろうと思いまして、会長様には大変申し訳ないことでございますが、重ねて二度目のお伺いをさせていただきましたところ、長様からは、「何度尋ねられても理は一つ。生きているよ。出来ることなら早く帰してあげたいね」というお言葉を頂戴いたしました。

 

 

それからしばらく、そのお宅からは便りが途絶え、私は心にかかりながらも、九月十二日のお教会の月次祭をすませると、京阪神方面の巡教に出させていただきました。
当時は、教会を出ますと、約半月は教会へ戻ることができません。
ようやく教会に帰ってきた日のこと、夕勤めも終わり、時間は夜の九時を過ぎていたと思いますが、神殿事務所で巡教の後始末をいたしておりますと、例のご婦人(お姉さま)がいらっしゃいまして、小さな声で「過日は大変お世話になりました」とご挨拶をされました。

 

薄暗い明かりの中でよくよく眺めさせていただき、「あの時の方ですね。その後、弟さんはどうなりましたか?」と尋ねますと、直に「生きておりました。ありがとうございました」という言葉が返ってまいりました。

 

「生きていたのですか!今どこにいるのですか?!」と尋ねますと、「ここにおります」と、暗くなった神殿を指差しましたので、私は腰が抜けるくらいびっくりいたしました。

 

急いで神殿へ出てまいりますと、薄暗い明かりの中にも、はっきりと若者の姿が浮かび上がってまいりました。

 

「生きていたのですね!いったい、今までどこにいたんですか!!」と、生きていて良かったと思う心が思わず荒い言葉になってしまい強い言葉で申しあげますと、弟さんは「すみませんでした‥‥」と、うつむいてしまいましたので、ああ悪い事を言ってしまったなと反省をしました。

 

息子さんは、姿を消してから二十九日目に、会長様のおっしゃったとおり丈夫な体で家に帰ることができたのです。

 

会長様はこの時間なら寝室にお入りになられてもまだお休みではないであろうと思いまして、奥へお伺いし、廊下越しにお声をかけますと、「どうしたえ」と会長様が優しくお声をかけてくださいました。
「会長様、夜分申し訳ございませんが、過日、御理をいただきましたA大教会の部下教会の信者さんの息子さんが、会長様におっしゃっていただいたとおり、元気な体で二十九日目に家に帰ってまいりました。ありがとうございました。なお、今日はご本部からの帰りで、改めて御礼にまいりますということでございます。本当にありがとうございました。おやすみなさいませ」とご挨拶を申し上げ、神殿に引き返そうとしましたところ、会長様は「これから神殿に僕が出てあげるよ」と仰せくださいまして、お召しかえになられ、神殿にお出ましくださったのです。


 

会長様は、息子さんに、「お道を嫌ってはいけないよ。これからは好きになるように努力をして通るのだよ。お道を嫌って通った人間に助かった試しがない。そうして親孝行をするんだよ。独り身の間は、勝手をして通っても、何とかかんとか通れるが、夫婦を作り、子供が二人三人できてくると、若い時代に勝手をして通った道がふいてきて、大変な事になる。それじゃあお前さんが気の毒だから、私はこうやってお話を一生懸命させていただいているのだよ。いいかえ、わかったかい」と、こんこんとお話くださいました。


 

青年は、感極まったあまり、声を上げて泣いておりました。
お腹の底から悪かったと思ったのでしょう。


 

傍におる者も、会長様の誠にあたたかいお心に感動をいたした次第でございます。

(つづく)

  

 

 

 

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