一粒万倍の理(後編)

 

 組みしあった因縁の者を神様が夫婦になさるんですから、うまくいかない。うまくいかないのが普通なの。それを仲良く通らせてもらうのには、徳を積みなさい。徳がないから仲良く通れないんだから、徳を積ませてもらいなさいとおっしゃった。

 

そうでしょう、子供さんだって、よく会長様こうやってね、茶托(ちゃたく)を持って、「主人が「お前が悪いから」、家内が「あんたが悪いから」、お前が悪いから、あんたが悪いから。(茶托がぐらぐら揺れている)そのうちに(茶托が)ひっくり返っちゃうだろう」と。

「ここに(茶托の上に)乗っているものは、みーんなこぼれちゃう」

だから、働いたってなんにもない。借金が残るだけ、そこの家には。

子供だって、まあ小さいときはいてくれるけど、大きくなったら、こんなところにいるもんかと言って出て行っちゃう。いてくれない。居心地悪いですよ。こうなっていたら(茶托が落ち着いている状態)居心地いいけど、こんなんなっちゃったら(茶托がぐらぐらと大きく揺れてひっくり返る状態)子供だって居心地悪いからいてくれない。

それを仲良くなるのには、お互いに徳がないんだから、徳を積ませてもらえと。

徳を積ませてもらうということはどういう事かというと、五升の枡を一斗に増やそうと思ったら、徳を積め。金儲けをするんじゃない。徳を積むということは、つまり人間の言葉で言ったら損をすることなんですよ。けれど、絶対神様は、損をさせないよ。

 

これを聞いたそのお母さんが、それを聞いて実行、努力をしていった。

そしたら、今まで持ってきてくれる主人のお月給が増えていったんです。お月給が増えていったの。一人で働いても、お月給が増えていったの。

奥さんが一生懸命徳を積んでくれるから、主人のお月給が増えていったから、一人で働いても二人で働いた以上の収入が入ってくるようになった。こういうことなんです、皆さん。

だから、決して会長様はね、無理なことをおっしゃっているんじゃない。

「僕は、七層倍にお返ししたけれども、僕のように通れといったってみんなは無理なの。よく僕は知っているから、私はそんな無理を言っているんじゃないよ。僕の万分の一の真似事をしたらいいじゃないか。そうしたら、僕の万分の一の徳が、やがて(明日とおっしゃらなかった)遠い将来、頂けるよ」

お道をやめない限り、これはどんどん増えていくわけなの。

そして、「やがては、天理教で家柄ができる」とおっしゃった。今、人間で家柄っていうのはできていますけれど、「やがて天理教で、家柄ができてくるよ」とおっしゃった。

 

まあそういうことでございます。ほんとねえ、私も遠い昔のおたすけを思い出しました。

皆さんねえ、誠真実というのは尊いものですよ。

初代の会長様は、そんなことを、そんな信仰をしているなんてご存じなくても、「会長様―!」っていう、一生、教えていただいたことを守っていますっていう、この一生懸命の心は、ちゃんと名古屋にお座りいただいている会長様にうつってまいります。だから会長様が、主人の働きを良くしてくれます。こういうふうなの。

だから、会長様が、「僕は、可哀そうな人には涙を流さないけれども、誠真実の人には涙を流す」とおっしゃったお言葉がある。

この方も、会長様に、その誠真実をお受け取りいただいて、涙を流していただいた方だと思います。

だから、会長様から、「ああよくやってくれるなあ、ああご苦労さんだねえ」とおっしゃって、また返してくださる。

会長様どっこにも動かない。名古屋のお教会にお座りいただいたまんま、どこにも動かれませんけど、八方に会長様の理というのは流れていっている。

それをこうやって頂ける人、頂けない人、同じ愛町の信者さんでも頂けない方もあります。頂ける方もある。

それは、信仰させていただく、それぞれの心一つにあるわけですね。

だからねえ、お道は素直になることが大切。そうして、ご恩を返すことが大切でございます。人間のご恩を返すことも大切でございますが、神様にお返しすることが、もっともっと大切であるということも、私は、この方の信仰を見せていただいて、思わせていただいたことがございます。

だからそのように、初代の会長様は、「この教会の門をくぐって、助かって当たり前。助からん方がむしろ不思議な教会だよ。門先まで来て、教会に入らないで、帰っていった人間の家へ行って米櫃(こめびつ)の蓋を開けてごらん。空っぽだよ」とおっしゃったね。

それくらいねえ、この教会の門をくぐらせていただく、そして、神殿に座らせていただくということはね、とても大事なことなんですねえ、皆さん。

聞かせていただいて、そうして、座らせていただいて、聞かせていただいたお話の1つでも2つでも覚えて帰って、お家に帰られたら実行させていただく。

全部が全部は、実行はできません。1つでも覚えて帰って実行させていただくと、分かったかい、分ったらもういいよといって、神様が助けてくださるわけなの。

それを、「せっかく門先まで来て帰っちゃった人の、帰っていく人の家へ行って、米櫃(こめびつ)の蓋を開けてごらん。中は空っぽだよ」とおっしゃった。

 

ですから、教会とか布教所というところは、そういうところだということを、皆さん方よく心に留めてください。

会長様がおっしゃいました。「お前さんたち遠方から来る者は、月に1回。1回来るなら祭典がいい。祭典も、祭典の日(12日)に来て良い話を聞いて、ありがとうございました、ぽんぽんって(お参拝だけして)帰っちゃいけないよ。前の日に来て泊めていただいて、ひのきしんをさせていただいて、当日祭典を勤めさせていただいて、まだ帰っちゃいけないよ。泊めていただいて、13日の日に、後片付けのひのきしんをさせていただいて、帰らせてもらうんだよ。そうすると、近郷近在の人が、月に5回運んだよりも、もっとお前さんたちの方が、徳が積めるんだよ」と教えてくださいました。

ですから皆さん方も、毎月5日間は絶対運ばせていただいて、何でもいい、布教所へ来られたら何でもいい。神床の御用だけが神様の御用ではございません。いくらでも御用はあります。どんな御用も神様の御用に繋がっていくのですから、御用をさせていただいて、まあとにもかくにも、どうやったら徳を積ませていただくことができるかなと、これを考えて通りなさいと教えてくださいました。

 

ですから、そうやってバケツでご飯を炊いた、人間としては最低の暮らしを、救いようのないような生活のなかから、会長様に教えていただいて、「夫婦が仲良く通ることを、天理教は教えているんだよ。だけど、夫婦というのは、好き同士の夫婦でも、お見合いの夫婦でも、前生の組みしあった因縁の者を、神様が、今世は通り返しの道として夫婦にしてくださったんだから、うまくいかないのが当たり前」

むしろ、うまくいったら、おかしいというくらいなの。

じゃあ、その仲良く通れない夫婦が、仲良く通っていくのはどうしたらいいかというと、「徳を積ませていただくんだよ」と。

「その徳も、主人は働いているんだから家内も一緒に働こう。そうしたら、一人で働いたものが夫婦で働いたら倍入ってくるかというと、五升の枡に倍入っても、余分なだけは、こぼれてしまうだろう」と。

「じゃあこれをこぼれないようにするのには、一斗の枡をこしらえなければならない。その一斗の枡をこしらえるのには、どうしたらいいかというと、家内は働かないで、働いたつもりで働かないで、神様の御用をさせてもらいなさい。そうすると、家に徳が積めてくるから、喧嘩ばかりしていた夫婦も仲良くなってくる。夫婦は台ですから、夫婦が仲良くなると、そのなかに育っていく子供さんも兄弟喧嘩をしなくなって仲良くなってくる。そうすると、自分の地所に、自分の家に住むことができるよ。商売なら、ああお前さん、もうぼつぼつ商売、店を出したらどうだい。私が店をつくってあげるよ。元手は貸してあげるよ。それが天理教だ」とおっしゃったの。

でも皆さん、タダのものは、ひとつもございません。

そういう不思議なご守護を頂くのには、会長様が、そのご夫婦に教えてくださった。「家内は働いたつもりで働かないで、神様の御用をさせてもらいなさい」

おっしゃったことを守って、守って通られた。そしたら、主人が持ってくるお金がだんだん増えていったの。家内が働かなくっても、だんだん増えていった。

そうして、教会になかなか運べなかった方でも、やがては、新幹線に乗って運べるようになっていったの。自分の地所に、自分の家に住めるようになりました。こうなる道を、私どもは、初代の会長様から教えていただいた。

教えていただいたんだから、聞いたことを飲み込んでお腹の中にしまっておいて、そこに伴っていく道を通らせてもらっていたら、必ずけっこうな日が来るということです。

じゃあ、家内が働いて、どうしても働かなきゃならなかったら、働いてもいいけれども、働いたつもりで働かないで、じゃあその分を神様の御用に使わせてもらったらいい。人間のことに使わないで、神様の御用に使わせてもらったらいい。

 

例えば、賭け事の好きな人でもそうです。競輪の好きな主人がありました。

二代の会長様がおっしゃった。

「お前さんね、絶対損をしない、もう毎度毎度儲かる秘訣を教えてやろう」

「教えてください」

「ああそう、じゃあ教えてあげよう。まあ一万円競輪の券を買ったら、一万円神様に徳積みなさい。儲かったら、儲かった分は全部神様に徳を積みなさい。そうしたら、絶対損をしない」

「いやあ先生、そんなことをするくらいなら、やらん方がいい」

「ああそうだよ。賭け事(かけごと)は“欠ける”(かける)といって、初代の会長様は嫌われた。しちゃあいけないんだけど、お前さんやりたいんだろう。やりたいからやってもいいけれども、因縁にならない方法は、一万円券を買ったら、神様に一万円お供えする。儲かったら、儲かったものは全部一銭も自分の身につけちゃいけないよ。神様にお供えして、そうしたら絶対儲かる」

「そんなことなら、やらん方がいい」

「ああそうなんだよ。本当はやらない方がいいんだよ。“賭ける”=“欠ける”といってね、いけないんだけど、お前さん因縁でやるんだから、仕方がないねえ。そうやったら、儲かるよ。因縁にならないよ。賭け事をしても因縁にならない」

もうこの方は、そう聞かされてから、もう嫌になっちゃった。

気が狂ったように、借金しても賭け事にお金を使っているから、もう嫌になっちゃった。やめました。

 

 

ですからね、まあとにかく、お道の者は、つまりは、朝目が覚めて、夜休ませていただくなかに、どうやったら、少しでも徳を積ませていただくことができるかな、これを考えて通りなさいと、このように教えていただきました。

社会で言うたら、徳を積むということは損することです。でも、決して神様は、損はさせませんよ。天の貯金に入っていくのですから、必ず年限が経ってくると、一粒万倍にしてお返しをしてくださいます。

どうしてこんなに、けっこうになったろうという日が必ず来る。助かる道を、会長様は教えてくださいました。

 

けれども、聞いただけでは、助かってはまいりません。

聞かせていただいたお話の1つでも2つでも、ああそういうもんかとしてお受けをさせていただいて、ぐーっと飲み込んで、お腹の中にしまっておいて、そうして日々通らせていただくと、必ずけっこうになっていく。返ってくるときは一粒万倍になって返ってくる。

「けっこうになってきたら、お前さんどうするえ」と、会長様がおっしゃったこともございますね。

まあそういうことでございまして、昔のおたすけのお話でございます。

それを台として、今日はお話をさせていただきました。ありがとうございました。

 

(後編)以上

 

 

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