一粒万倍の理(前編)
初代の会長様が、いつもお言葉に出して仰せになっていただいたことは、「この教会の門をくぐって、助からん者は一人もない」とおっしゃいました。
「助かって当たり前。この教会は、むしろ助からんほうが不思議な教会だよ」とおっしゃいました。
このお道の信仰は、聞かせていただきますと、やがて、乞食が大名になっていく教えだとも教えていただきました。そうした会長様のお言葉どおり、数々の不思議なおたすけを、長数年に渡って私も見てまいりました。
そりゃあもう初代の会長様がお出直しになられて、今年は、43年を迎えさせていただいたのでございますから、遠い昔のお話でございますが、今も愛町分教会のなかに消えることなく、燦然(さんぜん)として輝くおたすけの一つだと私は思わせていただきます。
これからお話をさせていただくおたすけは、バケツでご飯を炊いているというお宅のおたすけでございました。
まあ本当に気の毒な人がいると、熱心な信者さんに連れられてまいりました。
どんなお家に住んでおられるのかなあと思って、私はお伺いいたしましたが、想像に絶するような住まいでございました。
あばら家といっても、あばら家。ふーっと息をかけたら、飛んでいってしまうようなあばら家に、家族が住んでおりました。
そうでしょうねえ、皆さん。バケツでご飯を炊いている。バケツでご飯を炊くということは、バケツというのは、いったい何に使うんですか?もう皆さんはお分かりですね。バケツというのは、腰から上を洗わない。腰から下を洗います。足を洗ったり。また、汚れたところを雑巾がけをさせていただく。たいへん汚いところを綺麗にする道具ですね。そのお道具でご飯を炊いている。
もちろん釜もない、鍋もない。茶碗一個に箸一膳というような、暮らしのなかでございました。
お子さんも、確か3人か4人、年子、年子で頂いていたと思います。失礼でございますけれども、ご主人は決まった職もなく、そうしたことから家のなかが困窮をしていたわけでございます。
そこに、お話を聞かせてもらいたいということで、私は連れて行かれました。
あまりのことに、はじめは言葉が出ませんでした。でも、1回運ばせていただき、2回3回と運ばせていただくなかに、この人は、初代会長様のお徳を必ず頂ける方だということがね、もう胸にこう迫ってまいりました。
どういう事かというと、たいへん素直な聞き方をしていらっしゃいました。理屈を言わない。
「ああ、そうですかあ。そういうもんですかあ。ああそうですかあ。良いことを聞かせていただきました。明日から実行をさせていただきます」というふうでね、もう本当に素直なんですね。
まず、そういう家庭でございますから、主人を立てられなかった。主人を軽うくして通っているわけです。
また主人も、自分が家族を養うだけの力のない、まあ能無しだということで、自分も馬鹿にされても仕方がないやというような、あまり元気のない主人でございました。
だから、子どもたちも兄弟喧嘩をやる。まあとにかく、もうなんともかんともいえない家庭でございましたねえ。
思わず、初代の会長様がいつも教えていただいていることは、「夫婦は、仲よう通ることを教えていただいているんだよ」とおっしゃった。まず、夫婦が仲よう通らせてもらう。四分六の理と聞かせていただきますけれども、「だからといって、主人が亭主面をして威張っちゃいけないよ」そうおっしゃった。「二分足りないだけ、家内を労わって(いたわって)やんなさい」とおっしゃった。
「また家内も、こんなろくでなしの亭主と言って、主人を軽くして通っちゃいけないよ。神様が、夫婦というのは、お見合いのご夫婦でも、好き同士の夫婦でも、神様が夫婦にしてくださった」
ですから、つうろくした夫婦(釣り合った夫婦)ができているわけなの。
こんな主人といっても、家内の徳分に準じた主人をお与え頂いている。こんな家内と思っても、徳分に準じた家内をお与え頂いているわけですから。
じゃあこの困った夫婦が、どうしたら助かっていくかということですねえ。
初代の会長様は、そうしたなかにも教えていただいたことは、「助かりたかったら、五升の枡を一斗に増やしたかったら、徳を積め」こう教えてくださいました。
主人も働いているんだから、家内も働いて金儲けしろとはおっしゃいませんでした。徳を積みなさいと。
「五升の枡を一斗に増やしたかったら、徳を積みなさい」
徳を積ませていただくということは、できてもできなくっても、神様の御用をさせていただくことでございます。
それが嫌いだったら、「いやあそんなこと言ったって、働かにゃあ成り立っていかない」と言うけど、「二人で働いても、一人で働いても、五升の枡は五升だ」とおっしゃった。
「余分なだけは、五升の枡に入って、余分なだけはこぼれて流れていってしまう」
ですから、これを増やそうと思ったら、「五升の枡を一斗に大きくして、これに入るように徳を積みなさい。神様の御用をさせてもらいなさい」とおっしゃいました。
あるとき私は、また機会をいただいて、おたすけにまいりましたら、まあそんなに年子、年子であるのに、またお腹にお子さんが宿っている。大きなお腹をしておりました。
そして、凧張りをしていましたねえ。お母さんがね、子どもをお守りしながら凧張りをしていた。
ああ子どものおやつ代でも稼ぐのかいなあと思っておりましたら、「先生、今お腹が大きくって、ひのきしんができませんので、この凧張りをして、このあがったお金を、頂いたお金を、お供えさせていただこうと思って、やらせてもらっているんですよ」って聞いたときに、もう私はねえ、胸がいっぱいになってしまった。
バケツでご飯を炊いている人がですよ、凧張りしてお金を儲けて、ああ鍋を買わせていただこう、お釜を買わせていただこうというのが、まず私は、普通の考え方だと思いますが、相変わらずバケツでご飯を炊いて、お鍋を買ったつもりで、お釜を買ったつもりで、買わないで、その分を神様にお供えをさせていただこうと思って今やっているんですよと言われたときに、もうああなんという素晴らしい信仰だろうと。
皆さんだってそう思うでしょう。普通だったら、みっともないから鍋を買って、ああ鍋が買えたから、今度はお釜を買って、まあそれができたら神様にもお供えをしようか、これが私は、まず一般的な普通の信仰だと思いますね。
けれど、この方は、大きなお腹を抱えて凧張りをしている。大したお金は頂けないと思いますよ。それを、お腹が大きくなって、なかなかひのきしんができませんから、その代わりに、こうやって凧張りをして頂いたお金をお供えにさせていただこうと思って、やらせていただいておりますということを言われたの。
ああこの方は、必ず大名になっていくな。将来必ず大名になっていくなと、私はそのとき思いました。
こうして、1年が経ち、2年が経ち、5年が経つうちに、子どもさんもだんだん大きくなっていきました。
あるとき、そちらの地方にまいりました。
偶然、汽車の中でね、その小さかった娘さんがもう大きくなって、年頃になって、ふっとこうデッキで、新幹線に乗ったらふっとデッキで出会ったの。
「ああ!あら、あなたどこ行くの?」って言ったら、「ああこれから、教会へ行かせてもらう」と。
私、涙が出た。こんな小さいときに、お母さんが一生懸命凧張りして、子どもにおやつをあげたつもりであげないで、神様へ神様へと徳を積んでくださったこの娘さんが、大きくなって、新幹線に乗って名古屋のお教会にお参拝ができるようになった。
ああ、なるほど、会長様が、「この教会は、助かって当たり前。むしろ、助からんほうが不思議な教会だよ」とおっしゃった。
また、「僕の話はねえ、聞いているだけじゃあ助かっていかないよ。じゃあ、聞いたものを全部受け取ってできるかっていうと、それはできない。聞かせていただいたなかから、1つ2つ忘れないで持って帰って、家庭に帰ったら即実行だよ」とおっしゃる。
徳をそうして積ませていただくことによって、ご主人もね、だんだん良い人になってまいりました。
良いほうになってまいりますから、お仕事も長続きするようになります。長続きするようになれば、家庭の生活も楽になって、やがて、自分の地所を買って、自分の家を建てて、家族が住めるようになりましたよ。
だから、私はいつも申し上げるように、それぞれの最寄り最寄りに愛町分教会の布教所ができております。
まあ布教所のない時代は、皆お教会へ運ばせていただきましたが、皆だんだん歳をとってきて、遠方に運ぶのが大変になってきたということで、それぞれの場所に、初代会長様がお許しをくださいまして、布教所ができてまいりました。
月に1回運んで、それで信仰していると思ったら大間違いです。
会長様は、私どもが信者の時代に、お教会に運ばせていただいた時代がございます。信者として、お教会に運ばせていただいた時代に、「お前さんたちが、月に1回運ぶのと(中編へ続く)」
(前編)以上
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