天理教 愛町分教会

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                       道一筋を通らせていただく者へ

 

昭和二十五年一月十二日に、初代会長様から愛春の初代所長に頂戴した尊いおさとしのお手紙でございます。

 

「このお道の信仰は、決して楽々のものではありません。難儀の中にくじけず、どこまでも親神様、教祖様をお目標(めどう)に通ってまいりますのが、真のお道の信仰であります。

道の深い者ほど、自ら苦しみを求めてゆきます。なぜそうまでして通るのかと申しますと、そうした道でなければ、家族の因縁、また前生からのおそろしい自らの因縁が切れてゆかないのです。また、徳を積ませていただくことができないからです。因縁を切り、徳を積むためのお道であれば、道を通らせていただく上からの苦労、難儀こそ、道の者にとって誠に大切なことであります。その道を通り抜けてこそ、それがその人の財産となるからです。
助かりたい、また助かろうと思っているうちは、まだまだお道の赤ん坊です。あやしてやって、お乳でものませてやればよいのですが、それではいつまでも成人の道がなく、気の毒ではありませんか。
本道にかかって、いろいろ様々な障害を受けてどうして通ろうかという日が、楽しみでなければならないのです。
「やまさかや いばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら(おふでさき1―47)」
「まだみへる ひのなかもふちなかも それをこしたらほそいみちあり(おふでさき1―48)」
「ほそみちをだんだんこせば おふみちや これがたしかなほんみちである(おふでさき1―49)」
とおふでさきにお示しいただいている通り、真の苦労を通り抜けてこそ、真の楽しみが待っているのです。これから先は誰でもこうした道を通り抜けさせられるでしょう。それが神様の思惑です。
この信仰をなぜお道とゆうかとゆうと、この道を通り抜けなくては、人間の資格を失うからです。
人間であれば、誰でも通り抜けられるはずです。その道を先に歩ませてもらうお互いは、誠にけっこうです。自ら進んで通る、その決心が尊いのです。値打ちがあるのです。
そこを心に置いて、難儀の中に生き返りの理を得てお通りなさい。理を立て、理に服してゆく道が大事ですから、とくと申し上げておきます。
私の信仰は、難儀けっこうで通ってきたのです。その道すがらの苦労が今では財産となっています。
それは今日、自然となってまいりました教会の発展振りからも、よくお悟りになれましょう。
一つ心を入れて、誠真誠意しっかりおつとめになってください。なお、差し上げた手紙は何度も何度も繰り返し読んでいただいて、文字に現すことのできない言外の理を悟っていただくことが、誠に肝心であります。」以上


 

こうして頂戴いたしましたお手紙の数々は、布教所の宝物として大切に保管をさせていただいております。
しかしながら、人の目にもふれず、大切に保管させていただいているだけでは、初代会長様のお心に反するものと思います。

初代会長様は、「私の話を一人でも多くの方々に聞いていただいて、先々皆さんが『こんなにけっこうになるとは思わなかった。誠に夢のようだ』と喜んでいただけるようになっていただきたい」と常々仰せくださいました。

 

布教所秋季大祭 十月六日(土)午後一時執行
一人でも多くの方に万障繰り合わせてお運びいただきたいと存じます。

 

★JR伊東線 宇佐美(うさみ)駅下車 車4分

 送迎車がございますので、0557−47−2038までご連絡ください。

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