神様から頂いた62年目の身上(後編)
一代で足りなかったら二代、二代で通らなかったら三代通らせてもらおうとしてお定めになって、はじめて、この重い眼の患いのご守護を頂かれたそうです。
それで、会長様は、「どのような前生、家柄の因縁、また自分の因縁によって、今世どんな立場におかれても、このお道を聞かせていただいて、因縁を消す道を教えていただいて、曲がりなりにも通らせていただいたら、必ず神様は助けてくださるということを、このとき僕は、神様から教えていただいた。ようし、たしかに間違いがないとして、さあみんな、僕はこうやってね、定めさせていただいて、この眼のご守護を頂いた。もう大丈夫だ。みんな、僕と一緒にお道をさせていただこう。必ず、因縁の深い者ほど、神様は助けてくださるもんだよ」とおっしゃって、
「僕は自分も通らせてもらい、人さんも連れて通らせてもらって、今日になっているんだよ。その僕が、今お前さんに、これからお前さんは、自分のことを考えて通っちゃいけない。自分の後ろにあるところの家のことを考えて通っちゃいけない。人さんに助かってもらおう、人さんに喜んでもらおうとして、一代命のある限り、独り身を通して道一方を通らせてもらったら、必ず神様のおはたらきがあるはずです。助かった僕が、今お前さんに話をするんだから、これは間違いのない道だよ」と、長い時間をかけて、この夢から、会長様は私に、そのときどうして通ったら家柄の因縁を消すことができるか、その自分の前生の恐ろしい因縁を消すことができるかということを教えてくださいました。
それが、入り込みをさせていただいて5年経ったときです。
私は、改めて神様に、命のある限り道一筋を通らせていただくことを、改めて定めさせていただいたのでございます。
そうして今日になりました。
皆さんからしたら、63年も道一方をやっていて、なんでそんな身上になったかいなあとお思いでしょうけれども、私は理だけお見せいただきました。このように、なんとか元気を持たせていただくことができました。
その間に、同じように泣いたり笑ったりして、一緒に入り込みをして苦労させていただいた、いわば戦友ですね、5人も、お道の苦労をしてくださって、長い間お教会におられた方が、5人もバタバタバタバタ、私の悪い間にお別れをしてまいりました。
本来なら、私もそのなかに入る者でありましょうけれども、神様は、会長様を通して50年前に、50年経ったらこうなるぞ、なった時に、ああします、こうします、すいませんでした、どうでしたと言ったって、助けられない。今から助かる道を通す、しっかり通りなさいといって、お連れ通りくださった。
私も親の信仰によって、私1人の信仰ではございません。親の信仰をいただいて、なんとか脱落することなく、今日までお連れ通りをいただいてまいりましたことは、それが、こうしていま皆さんの前に立って、お道をさせていただいて通ったら助かりますよ、私を見てください、助かりますよ。なるほど、心臓は悪い。先生もおっしゃる。「心筋梗塞の身上が出ても、あるいは脳梗塞の身上になっても不思議のない体の状態ですけども、それを心に置いてお通りください」「分かりました」と。こういうことです、皆さん。
ですからね、「このお道の信仰は、天理教だ、宗教だと、そんな軽いもんじゃない」と会長様がおっしゃいました。
どうか皆さん方もね、このお道、素晴らしいお道の信仰をなさっているということを自覚を持っていただいて、
会長様に教えていただいた『人さんに助かってもらいたい、人さんに喜んでもらいたい。それを見て、自分の楽しみとして通る』これが、お道の本当の通り方で、会長様がそうしてお通りになった。私たちに、生涯この目で見せていただきました。
ですから、どうかひとつ皆さん、前生の家柄の因縁を消して、自分の前生の因縁を消して、助かっていこうという道。
それには、自分を横へのけて、人を目の前におく。
ですから、言うなれば、皆さん方はこうやって、お店を閉めて、会社を休んで、一日布教所の月次祭にお勤めくださいます。布教所の月次祭を勤めさせていただいていると思えばいいけど、してやってるという心がちょっとでもあったら、助かってまいりませんよ。
自分のことをさせていただいている。
神一条で我が事と教えていただいている。
心にあったら口に持っていく。こんなに一生懸命やっているのに…。そんなことでは、家柄の因縁は切れません。自分の前生はなくなりませんよ。つまり、助かっていかないということです。
神一条であって我が事ということは、神様の御用をさせていただく。
やがて、気がついたときには、「ああ、助けていただいてありがとうございました。神様ありがとうございました」というお礼が申し上げられるような信仰をされることが、お道の信仰でございます。初代の会長様が教えてくださいました。
そのへんのところをお心に置いてお進みいただくことが、皆さんが助かっていく道です。布教所の御用をさせてもらってありがたいなあ、お教会の御用をさせてもらってありがたいなあ。お教会の御用でも布教所の御用でも、運ばせてもらうといったって、お金がなきゃ運べない。そうでしょう、歩いて来るといったって大変だ。家族に反対があったら来れない。
お金もある。家族の反対もないけど、自分が身上だったら来れないでしょう。一日御用をさせていただけるということは、素晴らしいことなの。
そうしてお通りくださいました、そんな恐ろしい道をお通りになった会長様が、立派な宗教家として、東海毎日新聞社より中部六県下最高宗教人として表彰、東海賞を頂かれたということは、神様が認めてくださったの。その会長様がおっしゃったんです。もうそこに尽きます。
「布教所の御用をしてやってる」「教会の御用をしてやってる」
このお気持ちが、ちょっとでもお互いの心の中にあったら、せっかく良いことをさせていただいて、かえって因縁になってしまう。因縁になるなら、やらないで良かろう。やらなかったら、もっと助かってまいりません。
そういう心を捨てて、「させていただいて、ありがとうございました」という、この会長様が生涯お通りくださいましたこの心を、お互いに心として、真似だけでもさせていただいてお通りいただいたら、必ず助かっていく道は開けてまいります。
それは、私が今現在ここに立っている。もうすでに命のない者が、こうして壮健においていただいている。
理だけは見せていただく。あなた心臓弁膜症ですよ、心臓肥大ですよ。水を溜まらんようにしてくださいよ。飲み過ぎてもいけない、かといって飲まなかったらいけない。大変ですよ、人間で考えたら。でも私は、心配をいたしておりません。
神様の御用を、できてもできなくっても日々通らせていただいて、会長様が、この素晴らしいお道のお話を一人でも多くの方に聞いていただきたい。この会長様の切なる思いを、私は曲がりなりにもお受けをさせていただいて、そうして曲がりなりにも通らせていただいている者を、神様は断じて殺すようなことはなさいません。私は、その信念を持っております。
どうか皆さん、天理教という宗教を皆さんに勧めているんじゃない。そうじゃないんです。これが、人間の本道なんですよ、皆さん。
それを教えていただいているのが、このお道の信仰です。行いです。
それも、会長様の万分の一の行いをしていただいたっていいんです。そうしたら、会長様の万分の一の徳が頂けるとおっしゃいました。
どうか、そのへんのところに心を置かれて、お道は不安を持っちゃいけません。大丈夫かしらんと思ったら、神様を疑うことになる。思っちゃいけない。大丈夫。信念を持って、勇んでお通りをいただきたいと思います。
ただ、どのような事が起きても、
『火の中は火柱となり、水の中は水柱となって、蓑(みの)となり、傘となり、連れて通ろう』と仰せいただいております。
どんななかも連れて通ってあげるよとお約束しているんですから、何も心配をすることはございません。
何を心配したらいいかといったら、私は、今日、朝目が覚めて夜休ませていただくなかに、何時間、神様、神様と言って神様のお話を申し上げて、神様の御用がさせてもらえたかなあということを心配してください。
ああ今日はちょっと足りなかったなあと思ったら、明日、十分させていただいたらいい。まあそのように、初代の会長様教えてくださいました。
どうぞお間違いのないように、心の運び「ああしてやった」「こうしてやった」はいけません。
「こうさせていただきました」「ああさせていただきまして、ありがとうさんでございました」と、この心の運びが、初代会長様から教えていただいた心の運びでございます。
それが、家庭の中に、商売上に、社会上に、助かる道を開けていくのでございます。
どうか、そのへんに心を置かれて、一日一日を勇んでお通りをいただきたいと思います。今日はありがとうございました。
(後編)以上
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