私はあまり自分の身上のことについてお話をいたしませんが、どうしてもひとつ、お道の上から聞いていただかなければならないことがございますので、今日は自分の身上を通して、お道のお話をさせていただきたいと思います。
では、お願いいたします。
よく初代の会長様は、「神様は50年先をご覧くださって、今から助かる道を通す」こういうことを、よく仰せくださいました。
お互い人間は、今さえ良ければいいとして通るわけですねえ。まあ先のことはどうだっていいや、今さえ通れたらなんとかなるじゃろうというような、安易な気持ちで通ってまいります。
また、どのような災難が起きるかということも分かりません。後ろでハアーッと拳固(げんこ)に息をかけて、こうやって殴ろうとされておっても、前を向いていたら私たちは分からない。ふっと後ろを向いて、あらまあ!といって、危ない!と思って、体をよけるわけですねえ。
ところが、人間一人一人が、50年先へ行って、「どうしたらいいんだ。えらいことになってしまったなあ。神さん助けてください」と言っても、まあ会長様はよくおっしゃいました。「いい加減な信仰をしていても、10年は通れる。けれども、20年は通るに通れない」とおっしゃった。
そうしてまた、「神様は、いま通す道は、50年先をちゃんとご覧くださいまして、50年先へ行って、ああ良かったなあ、助かったなあ、ありがたいなあと、その者がなるように、今から助かる道を通す」と、かように初代の会長様からよく聞かせていただいたことがございます。
私は、去年の4月の大祭には、もう最高に悪かったですねえ。でも、自分の体がそんなに悪いということは、まったく知りませんでした。
急に歳を取ったのかなあ。歳を取るということは、こういうふうに苦しいことが出てくるのかいなあくらいに、それ以前は健康でございましたから、思っておりました。
お話をしても息苦しくって、話ができなくなってしまう。2分ぐらい歩くと、息が苦しくなって歩けなくなってしまう。
ああこれはおかしいということで、総合病院へ連れて行っていただきまして、検査の結果は、「あなたは、肺と心臓に水が溜まっているんです」とおっしゃった。
そして、「あなたの心臓は肥大しております。つまり心臓肥大です」と。
「また、心臓の血を送り出すところの弁膜が、故障をしております。いわゆる心臓弁膜症という病気ですよ。ですから、この状態でまいりますと、いつ何時、心筋梗塞あるいは脳梗塞の身上に倒れても、おかしくない状態です」と言われました。
ああよく心臓に水が溜まっていて、肺に水が溜まっていて取りましたという話を、人さんから時折聞かせていただくけれども、ああ自分がそういうことになったのか、ああ…ということですねえ。
でも、お医者様から、「入院をしなくてもいいですよ。通院できますか?」と言われて「ああ通院させていただきます」入院しろったって入院できない。入院なんかしておれない。ああ、ありがたいことだなあ。
肺に大きな注射針を刺されて、水をこれから抜くのかいなあ、えらいことやなあと思ったら、それもしなくても良いと。「薬の中に利尿剤を入れますから、お小水で、水を取っていきましょう」とおっしゃっていただきました。
でも、簡単に3日や4日で治るわけではございませんねえ。やっと1年経ちまして、なんとか元気にならせていただきました。
けれども、なかなか昔の体重には戻りません。痩せるということは、足まで痩せちゃうんですねえ。私は23.5センチの足袋を履いておりましたけれども、ぶかぶかなの。痩せるということは、こんなにえらいことかなあ。それだけ、身体に負担がかかっていたわけですねえ。
1年経って、お医者様はおっしゃった。「だんだんに、肺も心臓も水は取れてまいりましたよ。ただ、弁膜症は治りません。まあ心臓肥大も、少し心臓が小さくなりましたねえ」とおっしゃってくださいました。
話は変わりますけれども、私は、26歳のときにお教会に入れていただきまして、愛町分教会の入り込み者として末席を汚すことになりまして、早いものでございまして、年を重ねて、今年で63年を数えることになりました。
ですから、ただ今90歳ですねえ。もう5カ月過ぎましたから、一年のもう半分過ぎちゃうんですから、もう早い、早い。100歳までこれからの10年は早い。
その入り込みをさせていただきましたときのお願いのあとに、初代会長様が、私の母におっしゃっていただいたお言葉がございます。
それは、「お母さん、安心をなさい。今日から、あなたの娘さんをお預かりいたしますけれども、5年待ってくださいね」とおっしゃった。
「5年経ったら、立派な養子を与えて、故郷に錦を飾らせますよ。安心をしてください」このように、会長様が、私の母におっしゃっていただいたのでございます。母は喜びましたねえ。まあ親ですからねえ。
「ああ、ありがとうございます。もう私の子どもではございませんから、どうか会長様、お見捨てなくお連れ通りください。ありがとうございます。私は本当に安心をいたしました。会長様にもらっていただいて安心をいたしました」
このように母は、お返事を申し上げたように、いま振り返ったときに思わせていただくのでございます。まあこうして、お教会に入れていただきました。
それから、歳月は早いもので、あっという間に5年経ちましたねえ。
その5年のなかというものは、朝目が覚めて、夜休ませていただくなかに、会長様のお仕込みは毎日でございました。お仕込みに明けて、お仕込みに暮れたといえば、間違いがございませんでした。
時には、夜中に、まあ叩き起こされるという言葉はきついかも分かりませんが、本当にそうなんです。夜中に、「起きろ――!」といってみんな起こされて、お台所の板の間に座らせていただいて、お仕込みをいただいて、「もう分かったらいい、寝なさい」とおっしゃった。
でも、寒い寒い冬に、もうぶるぶるぶるぶる震えて、朝までまんじりともしないで夜を明かした日もございました。
私はまたお仕込みが特別でしたねえ。皆さんのお話を伺っても、私ほど、会長様にお仕込みをいただいた人間はないと思います。そのくらい、毎日毎日お仕込みをいただいた。
そんな事をしていちゃあいけないよなんていう生ぬるいお仕込みではございませんでした。
「さっさと出ていけ――!」というお仕込みなの。「天理教が嫌なら、いなくてもよい。さっさと出ていけ―――!」
時には、夜遅くお仕込みをいただいて、会長様が金庫の前にお立ちいただいて、「お前さんは家が遠いから、かわいそうだから、旅費だけはあげよう」とおっしゃって、金庫の前にお立ちになられたこともございました。そのときは、亡くなられた(二代会長様夫人の)節子奥様がおられて、会長様にお詫びをしていただいたように思います。
また、何度か奥においていただけないで、べつに奥が高くって、炊事場が低いというわけではございませんけれども、布団を担いで、お勝手に下げていただいて、お勝手の御用をさせていただいたこともございました。
じゃあ、いつ頃帰してもらうかというと、お祭典が近くなってまいりますと、会長様がお呼びくださいまして、「お前さんのお母さんが、一生懸命、神様を信じて、この僕を尊敬して、沼津の土地でおたすけをしていてくれる。その一生懸命の心に免じて、帰っておいで。お前さんの徳じゃないよ、お母さんの徳だよ。祭典に1人で来ることもない、おたすけをした方を連れてくる。ああなんだあ、あんたんとこの娘さんは、奥においていただいていると思ったけど、お勝手にいるの…と思われたら、お前のお母さんが、おたすけがやりにくいだろう。親に免じて、ここのところは許すから、帰っておいで」とおっしゃって、連れ戻していただきました。お布団を担いで、奥に戻していただいたことが、何度(なんたび)かございました。
でも、そうした5年の歳月のなかに、ある日、私は夢を見たことがあった。あまりにも不思議な夢でございました。よく会長様は、「夢というものはねえ、なんだか知らないけれど、朝までわけのわからん夢を見ましたよっていう夢は、理がない。けれども、はっきり残っている夢は、理があるよ。お互い、夢で理を消していくのが、いちばん上手な助かり方だよ」ということをおっしゃいましたが、あまりにも不思議な夢を見ましたので、会長様にお尋ねをさせていただきました。
すると、会長様が、「それは、お前さんの前生だよ」とおっしゃってくださった。
私どもがお教会へ入り込みさせていただいてからは、あまり、お前さんは前生こんな道を通ってきたんだよ、あんな道を通ってきたんだということは、(会長様は)おっしゃらなくなっていましたねえ。
ですから、初代会長様に、お前さんの前生はこんな道を通ってきたんだよって教えていただくということは、まず珍しかった。
私は、その夢を見させていただいたことから、会長様にお尋ねをいたしましたら、「それはね、お前さんの前生の姿だよ」とおっしゃってくださった。
「お前さんは、前生、高いところに座っていて、その高い立場を利用して、人を意のままに(意のままというのは、心のままに)動かして通った。どんなに、あんな悪い人という人でも、自分におべんちゃらしてくる人間は、都合が良いから、重く用いて通った。(逆に)あのお方はという立派な人でも、「そこはいけませんよ、こうして通られた方がいいじゃないでしょうか」(中編へ続く)」
(前編)以上
※恐れ入りますが、お話の転載を一切禁止いたします(YouTube含む)
※本文中に、適切ではない言葉を使用している場合がございますが、お言葉等の意味合いが変わってしまうため、そのまま掲載をさせていただいております。何とぞご了承ください。