62年の年を重ねて教えて頂いたこと(後編)

 

 「行っといで」というお言葉だけがしっかり胸に入ったんですねえ。そして、母とともに家に帰らせていただきました。

表向きは、入り込みの支度もございますからということですが、自分の心の中では、1日、2日経ち3日過ぎると、だんだんとこうねえ、恐ろしいものでございます、因縁の気分になってくる。

まあ教会に入ったら、一代命のある限りということで、教会を中途で嫌になったからといって出るわけにはいかない。これから長い道中だから、まあちょっと一服もいいだろうと、こう自分が勝手に思いました。

そうして今年あと半年あるから、6月に出たんですから、半年あるから、まあ半年間は行ったり来たりはするけれども、お教会半分、家が半分という気楽な信仰をさせてもらってからでも、入り込みは遅くもなかろうと、こんなふうにですね、自分勝手な心の運びをしたのでございます。

でも、それが自分は間違っているということは思えなかった。しかしながら、神様は半月おいてくださらなかったねえ。

10日ほど経ちましたら、母がおたすけ先から、そこのご主人に支えられるようにして帰ってまいりました。そうして、玄関に着くなりもう苦しんで倒れちゃったの。床(とこ)を敷いて休ませましたけれども、もう大変な苦しみようになっている。

じゃあ、まあとにかくお医者さんを…。けれど母は、「医者はいらない。会長様に理を頂いてくれ」というわけですね。

それでもと思って、6軒ありました沼津のお医者さんを回って歩いたけど、どこもお医者さんが留守なんです。どうしてかというと、その日は、静岡市で医師会の総会があって、皆さんお出かけになって留守なの。なるほどなあ…。

帰ってまいりまして、おさづけをお取り次ぎさせていただいた後、お教会に電話を、電話でなくねえ、当時個人の家に電話なんてない時代ですから、電報を打たせていただいた。『母、危篤、おたすけ頂きたい』と。

そうしたら、会長様にその電報がお目に留まって、おさとしをくださっている時間頃から、少し母の苦しみが楽になってきた。そうこうしているうちに、電報が戻ってまいりました。

『サダメタコトヲジッコウセヨアトフミ(定めたことを実行せよ、あと文(ふみ))』というね、電報を頂戴いたしました。

「お母さん、定めたことって一体なんだろう?」「ひょっとすると初子さん、あなたの入り込み願いではないかね?」まあ苦しい息のなかから途切れ途切れそう申しましたら、「でもお母さん、私が定めて、私が入り込みを延ばしているとしたら、私が身上になっているでしょう。お母さんが身上になるっていうのはおかしいじゃないの」「なんだろう、なんだろう」と。

まあとりあえずですね、もうおさづけしかございませんから、苦しんでくるとおさづけ、おさづけ。そして、『定めたことを実行せよ、あと文』という電報ですから、お手紙の来るのを待たせていただいておりましたら、次の朝早々に、お教会からねえ、今枝先生が、鳥倉先生がお伴をして、おたすけに来てくださいました。

家に入るなり、「遠藤さん、定めたことというのは、初子さん、あなたの入り込みですよ。もう何にも支度はいらないから、すぐに行ってもらいたい。会長様は、すぐ帰ってくると思っておられたけど、なかなか帰ってこないので、大変ご心配になっておられたのです」という言葉でした。

私の入り込みだと、そうおっしゃったの。「そうですか…」なんにも支度なんかしていない。そんなにすぐに帰るつもりがございません、自分の心で勝手に決めているんですから。支度をしていかなきゃならない。

「じゃあお祭典の前の日、11日には必ず支度をしてお教会に戻らせていただきます」「じゃあ、それで決まったね」ということで、先生におさづけをお取り次ぎしていただいて、まあ狐につままれたようですねえ、お取り次ぎしていただくと、すっかりその一晩寝ないで苦しんだその差し込みがヒュっと止まっちゃった。

「初子さん、お母さんお腹が空いていると思うよ」

お水を飲んでも出しちゃう。そして苦しんでくると、畳をこうやってねえ、爪でこう引き裂く。爪が血だらけになっちゃう。そのくらい苦しんだ。

「お粥さんを炊いて食べてもらいなさい」と。もうお腹が空いておりますからペロッと食べちゃった。それで何でもない。神様のお仕込みというのは恐ろしいもんですねえ。

 

こうして、私は、7月の11日の日にお教会に戻らせていただいた。そうして、今枝先生を通して、会長様にお願い、お詫びをさせていただきました。

そうしたら、会長様が、急に改まって怖い顔をなさいましたねえ。

そして、「お前さん、親は可愛いの情から許しても、神が許さん」ああ厳しいお言葉ですよ。

 

「親は可愛いの情から許しても、神が許さん。お前さん、この因縁をどうやってこれから消して通るえ」というお言葉なの。

 

「親は可愛いの情から許しても、神が許さん。この因縁を、お前さんはどうやってこれから消して通るんえ」というお言葉を頂戴いたしました。また私は頭を下げて、まあとにかく申し訳ないことになった。ああ申し訳なかったというだけの気持ちですね。

ああこれからどうやって因縁を消していくえといっても、これから先々、私は、何か知らないけど、大変なことが起きてくるのかもしれんなあという、まあ本当に申し訳ないんですが、お道が浅いから分からない。

「申し訳ございません」と頭を下げて、その会長様の「担任は可愛いの情で許しても、神が許さん。お前さん、これからこの因縁をどうやって消していくえ」うーん…どうやって消していくんだろうというような気持ちでございました。

 

振り返ってみるときに、確かに大変なことが、この62年間の間に、もう数えきれないくらい私の身の回りには起きてまいりました。

けれども、その都度、初代の会長様のお言葉を頂いて、通れても通れなくっても通る努力をさせていただいて、今日にまいりました。

確かに神様は、因縁納消(なっしょう)の道を、そうしたなかでお連れ通りくださったと思います。

どうして私ばかりこんなに何でもないようなことが大きなことになって、会長様から「出て行けー!!!」というお仕込みを、何で私ばかり頂かなきゃならんのかしらんと、もうねえ、その会長様のお言葉を忘れちゃって、時として、何で私ばかり、何で私ばかりという気持ちを持った時代もございますけれども、とにもかくにも、通れても通れなくっても通る努力をさせていただいてまいりました。

通り過ぎてふっと、62年の歳月を重ねてまいりまして、ここにこうして大きな、肺に水を溜め、心臓に水を溜め、本当に命のないところを教えていただいたの。

私は、身上をいただいて休ませていただくなかに、泣いたり笑ったり、本当にお互いに苦労をさせていただいて通らせていただいたお道の戦友が、バタバタバターっと、5人の古い先生方が出直しをなさいました。本来なら、私もここでお別れするところである。

本当に命のないところを、かろうじて神様が命を繋いでくださって、お連れ通りいただいているということは、よくよくこの度、承知をさせていただくことができました。

こうして私は、本当に初代の会長様は、もう2〜3日もしたら帰ってくるだろうと思って、「早く帰っておいでよ」とおっしゃったのに、「早く帰っておいで」はもうすーっと抜けちゃって、自分勝手に「行っといで」これだけ受け取って帰らせてもらった。もちろん、ですから、すぐに帰る気持ちはさらさらございませんでした。

それが親に対して、理の親に対して大きな嘘、神様に対して大きな嘘をして通ったということを、「これからお前さん、どうやってこのさんげの道を通って行くんだえ」というお言葉を頂いても、本当に腹の中におさまらなかった。

62年も経って、やっとその会長様におっしゃっていただいたお言葉の理が、なるほど、なるほどそうであったか。本来ならここで、分かったかい、分かったらそれでいいよといってお別れをするところであったと思うけれども、まだ神様が、私にさせたいことがある。それは、初代の会長様が、「この素晴らしい神様のお話を、日本国中、世界中の人に、私は聞いてもらいたいんだよ」とおっしゃって、志半ばでお別れをいたしました。

幸いにして、私は、初代の会長様のおそばにおいていただいて、おそばにおいていただいて、会長様のお言葉を耳に聞かせていただき、行いをこの目で見せていただいてまいりました。

会長様のおそばで御用をするなかに、お許しをいただいて、「さあ今日から僕が許すから、神殿に出て、神様の御用をさせてもらうんだよ」

そのときに会長様が、「お前さんはねえ、ちょいとばかり頭がいいからといって、自分で考えた話を喋っちゃいけないよ。僕の話をして歩くんだよ。僕の話を、長い間僕を見て通った。僕の話をして、皆さんに聞いてもらうんだよ。自分の話をしちゃいけないよ。いいかい、分かったかえ」とおっしゃっていただいたことも、私は、それは心に忘れることない。「承知いたしました」

それから私は、自分の考えをお話したことございません。「初代の会長様がね」っていうお話から、いつも始めさせていただいて、皆さんに聞いていただいてまいりました。

只今は、こうした動画という素晴らしいものができた。皆さんに、全国、世界の方に聞いていただけるようになりました。

まだまだ、初代の会長様から聞かせていただいたお話、聞かせていただいて、こういうふうにおたすけをさせていただいて、このように助かってまいりました、また私もこうして通らせていただいて、現在こうして助けていただいておりますというお話を、充分にしておりません。

只今、今年はようよう90の大台に上りました。100歳まではあと10年。この10年のなかに、私は、初代の会長様に教えていただいた神様のお話を、どんな小さいことでも皆さんに聞いていただいて、皆さんが道をお通りになるなかに、ひとつの道しるべとして、勇んで通っていただけるように、お話をさせていただかなきゃならない勤めが残っております。

会長様、これで全部お話をさせていただいてまいりましたというて、いずれは会長様のおそばにまいる時がございましょうが、その日まで、これからはこうしたおたすけをもって、皆さんに聞いていただいて、皆さんに助かってもらいたい。

そういうその心を、僅かながらも親神様がお受け取りくださって、本来なら無い命でございますけれども、命を頂戴したのではないかと私は思わせていただく次第でございます。

だから、この肺に水を溜めるということは、そうした肉親の親もさることながら、道の親に対して、神様に対して、大きな嘘をついたという理が、初代の会長様は62年もご自分のお手の中に抱えていてくださった。

もうこの辺で、この中を抜けることができるだろうと思って、この度、こうした身上をお見せいただいたものと、推察させていただくのでございます。

只今は、すっかりお陰様をもちまして、健康に戻らせていただきました。

目が見えるとき、耳の聞こえるとき、喋れるとき、身体の動くとき、これからも精一杯こうした動画をもって世界中の方に聞いていただいて、一人でも助かっていただきたいと思うわけでございます。

 

心臓弁膜症のことにつきましては、また次の月にお話をさせていただきたいと思います。

まあそういうことで、お道を通らせていただいても身上はいただきます。でもそれは、神様が、「お前さん、それじゃあ通れないよ」と言って、ポーンっと肩を叩いて教えてくださった。

教えてくださったということは、「よう承知ができました。これから心の向きを変えて通らせていただきます。ありがとうございました」とお礼を申し上げたら、また神様は、無い命も繋いでくださるわけでございます。

このお道は、天理教の天という字を聞かせていただいたら、命のある限りという信仰と聞かせていただく。

まさしく、会長様のおっしゃったことには間違いがございません。

私もこれから、通れても通れなくっても頑張って、神様が命をおいてくださる限り、精一杯お道の上に通らせていただきたい所存でございます。

 

 

(後編)以上

 

 

 

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