62年の年を重ねて教えて頂いたこと(前編)

 

お道のお話を、お取り次ぎさせていただきます。

 

初代の会長様は、常々、私どもにお話をくださいましたことは、「この素晴らしい神様のお話を、日本国中、世界中の人に聞いてもらいたい」こう仰せになっておられました。

志半ばで、お出直しになられました。不肖私は、ご恩返しの道として、初代の会長様に、事に当たり、折に触れて、頂戴致しましたお言葉を台として、今までもお話をしてまいりました。これからも、命のある限り、お話をしてまいりたいと思う次第でございます。

 

実は、私は、もう一年経ちましたが、去年の1月頃から体に変調をきたしました。

しかしながら、時々お伺いするお医者様が、「遠藤さん、あなたはけっこうですね。もう私が証明いたします」と。「無病息災。これからも、あなたはお薬はいりませんよ。けっこうですねえ」と、こういうふうにおっしゃっていただいておりましたから、その体の変調も、ああやっと初代の会長様のお出直しになられたお歳を越えさせていただくことができた、ああありがたいなあと思っているところでございますから、病気になっているなんてことは分かりません。年をとったんだなあ。とすれば、まあこれは仕方のないことだなあぐらいに思っておりました。

 

階段を上りますのも、何事もなくトントントントンとこう上っておりました階段が、もう上る前に、階段の下で「はあーっ」と大きな息を吐いて、しばらくして息を整えないと、その階段が上れなくなりました。

また、急いでいるときには急に言葉が出ない。出そうと思うと苦しくなって、もう肩で、「はあ…はあ…」とこう息をするようになりました。

こんなに急に、人間というものは、年をとっていくものかなあと思っておりました。

1月からでございますから、2月、3月を過ぎて、4月の手前どもの布教所の大祭の日は、もう最高に苦しかったんですねえ。

しかしながら、ああ今日は大事な日で、皆さんが、不肖私のお話を楽しみにお聞きになるためにお越しになられるのに、私が休んでいては申し訳ない。ああなんとしても今日は、無事におつとめをさせていただかにゃあいかんと、もう祈る気持ちでございましたが、祝詞(のりと)を広げたときには、思わず、どうやってこの祝詞を無事に最後まで読み終わることができるかしらんと、一瞬途方に暮れたくらいでございました。でもなんとか、つかえ、つかえながら、読ませていただくことができました。

お話になりまして、演壇に立ちましたときも、言葉が出てこない。自分では長い時間のように思いましたが、息を整えて、神様・初代会長様に心の中でお願いをして、お話をさせていただいた次第でございます。

そうして、先生がお帰りいただくと、もう限界でございましたから、「ごめんなさい。もうダメ、休ませてね」と言って、私は奥へ引けたんです。

次の日も、病院に行くことができませんでした。

2〜3日経って、ようよう紹介をいただいて、総合病院へまいりましたところが、検査の結果は、まあ大変なお言葉を先生から伺った。

「あなたは、肺と心臓に水が溜まっている」と。「ええー!!」というわけですねえ。はじめて聞く言葉で、人の話はよく聞いておりました。あの方が肺に水が溜まったそうよ、心臓に水が溜まったそうよという話は聞いておりましたが、人ごとに思っていた。

それともう一つは、「あなたの心臓の弁膜が、大変衰えております。ですから、まあ名前を付けたら心臓弁膜症という病気ですよ」とおっしゃるの。

ああ…もういっぺんに何かねえ、目の前が暗くなったような気持ちでございましたけれども、お医者様は、入院ということはおっしゃらなかったの。「薬で治していきましょう。通院できますか」と。「ああ致します」入院をしなかったから、こんなありがたいことはない。「はい。お願いいたします」ということだったの。もうびっくりしてしまいました。

肺だけならいい、まあまあと思いますが、そのおまけに心臓にまで水を溜めてしまって。

「心臓の弁膜がもう弱っている。だから、10の血液が心臓から送り出されるときに、あなたの場合は、3つ送り出されて、7つはまた中へ、心臓の中へ逆戻りしているんですよ」

へえー…。たった3つで、私はね、今日まで生きてきたの。なるほど、まあいろんな点において、ああそういう事であったかということが。

「だからこれはね、もう歳ですから、手術をしてどうこうということもなんでしょうから、まあ、あまり荒気ないことをしないで、静かに暮らすことが大事だと思います」と。へえー、というわけですねえ。

私は帰ってまいりまして、とにかく夜も寝られないんです、怖くて。もうこのまま眠ったら息が切れて、息が止まって、お別れするんでないかと思うと、夜も寝られない日が何日も続いたんですねえ。

でもまあ原因が分かりまして、「薬で、お小水で出しましょう。上手く取れるといいですがねえ」とおっしゃってくださった。

 

さて、私は、自分の胸に手を当てて、思案をさせていただきました。いったいどうして、肺に水を溜めたんだろうと。

まあ医学的にみれば、いろいろのことが言えますが、私どもは道の者でございます。まず、お道の上から思案をさせていただかなければならない。いったい、心臓になんで水が溜まっているのか?

私は、26歳のときにお教会に入り込みをさせていただいて、62年の年を重ねてまいりました。62年経って、何をいったい神様は、私に悟れ悟れと身上にして、肩を叩いて教えてくださったんだろう。

私は、心の中で、「会長様、お願いいたします、分かりません。どこがいったい違っていたんでしょう。62年も経って、どうしてこんなことになるのか?会長様、お願いいたします」と申し上げました。

昔、遠方に、わずかの旅費を頂いて巡教に出させていただくとき、初代の会長様に、「会長様、どこそこへ行ってまいります」とお願いすると、会長様が、「そんなことがあっちゃいけないけれども、遠方に行って、もしも困ったことができたら、教会の方を向いて、僕の名前を、会長さん会長さんと、三度呼んでごらん。そうすると、困ったことが解決をするよ」とおっしゃっていただいたことがございました。

確かに、おっしゃっていただいたとおりのことが、長い道中の中に、数々ございました。それを、思い出しました。

それともう一つは、「このお話というものは、僕の話は、右の耳から聞いたら、左の耳へ聞き流してはいけないよ。グーっと飲み込んで、このへん(喉のあたり)に置いといちゃいけないよ。中まで、お腹の中までグーっと入れるんだよ。そうするとね、年限が経って忘れた頃に、会長様、このおたすけをどうしたらいいんでしょうと途方に暮れたときに、神様にお願いをすると、ちゃあんと神様が、それそれ、あのときに聞いただろう、あの話をもって通れば、この問題は解決をするよと言って、忘れたようでも忘れない、神様がちゃんと思い出させてくださる。その思い出したお話を台として、おたすけをさせてもらったら、どんな難しいおたすけでも、解決をするもんだよ」と、遠い昔に聞かせていただいたお話の数々を思い出しました。

神様、会長様、教えてください。どこが違っていたんだろう。どうして、この肺に水を溜めたのでしょう、心臓に水が溜まったのでしょうかとお願いをしておりましたら、ふっと胸の中に浮かんでまいりましたお言葉がございました。

それは、「肺に水を溜める者、心臓に水を溜める者は、親に大きな嘘をしているんだよ」とおっしゃった。「親に大きな嘘をして通った道がある」と。

肺に水を溜める者、また心臓に水の溜まる者は、親に大きな嘘をしたときがあるんだよと、それを思い出させていただきました。いったい私は、いつどこで、親に嘘を言ったんだろう。

親といえば私どもの親は、親神様であり、初代会長様でございます。

何を神様に私は嘘をついて通ったんだろう。何を初代の会長様に嘘を申し上げて通ったんだろう。胸に手を当ててしばし、私は考えさせていただきましたときに、会長様の仰せになったことが分かってまいりました。

 

話はちょっと横にそれますが、私は、71期生として、昭和23年の、この2月でしたかねえ、71期生として修養科に行かせていただいたのでございます。修養科生になったわけでございますけれども。

もう常々、初代の会長様から、「この12日のお祭典っていうのは大切だよ。前の日に来て、ひのきしんをさせていただいて、当日の祭典を勤めさせていただいて、まだ帰っちゃいけないよ。また泊めていただいて、13日の日に後片づけのひのきしんをさせていただいて帰るんだよ」とこんなふうに教えていただいておりましたから、できてもできなくっても、そのお言葉を守って通らせていただいておりました。

13日の日に、御用も終わりまして帰らせていただこうと思うと、事務所に二代の会長様がおられました。「遠藤さん帰るかえ、ご苦労さん。あのねえ、お前さん、2月から修養科だよ」とこうおっしゃるの。

「僕の弟の政雄さんも出かけるから、ちょうどいい機会だから、行かせてもらいなさい」「はい。ありがとうございます」と、まあ自分でもびっくりするような返事が出たんですねえ。心に思ってなかったのに、口から、「はい。ありがとうございます。行かせていただきます」と言葉が出たの。「ああそれでいいよ」と。

こうして、帰りましてね。そして、準備をさせていただいて、3月からの修養科に行かせていただいたと記憶をしております。

帰ってまいりましたら、「遠藤さん、おめでとう」と、会う人ごとに「おめでとう」と。まあ修養科を出てきたからね、おめでとうと言ってくださるのかなあと思っていたら、そうじゃないんです。

一人の方が、「遠藤さんねえ、あなたのお母さんが、会長様に、今度初子が修養科を出てまいりますけれども、入り込みをさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたしますと、あなたの入り込みのお願いをされましたよ」と。「ええー!!」って、本人なんにも知らないねえ。修養科を出てきたばっかりで何にも知らないのに、「ああそうですか」と。

私は心の中で、お道は嫌いではございませんでした。ああ親が、私の最良の道として、この道がいちばん良い、初代の会長様にお預けをしたら、行く先々なんにも心配することはないとして決めてくれたことなんだから、それでいいんだと。

なんだか不思議ですねえ、ちょっとも抵抗の気持ちが無い。するするーっとそういう気持ちになったの。

そうして、12日の日に、母が祭典でまいりました。母の顔を見たら、因縁というものは恐ろしいものですね、ちょっと家に帰りたくなったの。

「会長様、入り込みということになりますと、何かと支度がございますので、ちょっと家に帰らせていただいて、よろしゅうございましょうか?」とこうお尋ねをしたんです。

そしたら、会長様はいとも簡単に、「ああいいよ。行っといで。早く帰っておいで」とおっしゃったの。

「ああいいよ。行っといで。早く帰っておいで」とおっしゃった。ところが私は、「ああいいよ」とおっしゃったお言葉がふっとこう胸に入った。

ああ良かった。反対されても帰りたかったのに、お許しをいただいて、ああ良かったと思ったら、「早く帰っておいで」とおっしゃったお言葉が、右の耳から聞いて、すーっと左の耳へ抜けていっちゃった。

「行っといで」というお言葉だけがしっかりこう胸に入ったの。

 

 

(前編)以上

 

 

 

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