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初代会長様最後の神様へのお詫びと心定め

 

 

 
毎年のことでございますが、新しい年を迎えさせて頂きますと、私には生涯を通して忘れることのできない日がまいります。
それは、昭和44年1月16日〜22日、熱海にありました関根別荘に、初代会長様が最期にお帰りくださいました時のことでございます。

これまでを振り返りましても、初代会長様は、せっかくご静養のためにお別荘へお帰りいただいても、

「僕はこんな事をしていてはいけないんだよ。皆さんが私のお話を聞きたいと思ってお教会へ訪ねてくださっても、僕が教会にいないとがっかりするだろう。だから母さん、教会へ帰ろうよ」とおっしゃいまして、お車でお散歩に出られたまますぐにお教会にお戻りになられることも、決して珍しい事ではございませんでした。

しかし、この最期のお入り込みの際は、毎日、朝食をすまされると「さあ出掛けようかね」とおっしゃられ、毎日お車でお出かけになられました

それについて親奥様がお尋ねになられますと、会長様は、「熱海には遠藤の母親が居っておたすけをしてくれている。信者がどのような信仰をしているか一々見て歩いてあげなければいけないからね。僕にはその責任があるんだよ」と仰せくださいました。


 
さて、ひとまずお話は、昭和44年からさらに過去にさかのぼりますが、お教会の神殿ならびに付属家屋の御普請の際には、それはそれは言葉にも申し上げることのできない、また文字にも書く事のできない御苦労を、初代会長様お一人におかけいたしておりました。

静岡県の熱海は、私の母が沼津から運んでは、一人の信者さんから愛町の道がついていった場所でございまして、神様、教祖(おやさま)、初代会長様のお徳をいただいて、それから一人、二人と、信者の御守護をいただくようになっておりました。

そして、熱海という所は、まず第一に温泉が出ます。また、気候は温暖であり、景色も良く、会長様が名古屋のお教会から東京の麹町大教会にお運びになられるのに、行きと帰りにお休みいただくのに程よい距離でございました。

会長様のお別荘を作らせていただこう。一人も信者がいなければ致し方ありませんが、わずかな信者でも御守護をいただいたのだから、ご恩返しのため、是非ともお別荘を求めさせていただいて、会長様にご静養のためにお休みいただこうではないかという、初代所長の熱い思いを信者にお話をさせていただいたところ、信者の皆さんが賛同してくださいました。

そこで、ある日、大野先生を通して初代会長様にお願いを申し上げたところ、そのお返事が私のところへお手紙で送られてまいりました。

代筆は喜多先生でございました。
そのお手紙の文面を、以下に掲載させていただきます。

昭和30年1月25日

『先にお話のありました、会長様の熱海地方へ御出掛の事ですが、御身上についての役員の決心そして信者さんのお心を申し上げました所、大変およろこび下さいましたが、

「私の身(からだ)を思ってくれる皆さんの御気持は良く解ったが、それだけ私の事を思ってくれるなら、尚一層私も信者さんの為に働かねばならぬ。僕は皆さんのその気持だけで充分だ。今はふしん中でもあり、僕は教会をあける事が出来ないから、この点を承知して、この話は取止めにして貰いたい」と仰せがありました。

早速理事会で協議をさせて頂いて、会長様の親心に泣きながら、このお話は中止して、形の御慰めでなく、真に心から、会長様によろこんで頂くべく、夫々が覚悟を新にしてお道の上に進ませて頂く事になりました。

この点を承知下さいます様とくとお願い申し上げます』
喜多教和 代筆
 
私と母は、このお手紙を拝読させていただき、改めて初代会長様の山よりも高く海よりも深い親心に、熱い涙を流しました。
そして、尚一層おたすけに邁進させていただくことを、母とそこに居合わせた信者さんたちとともに心に定めさせていただいたのでございます。

 

それから、長くかかった神殿のご普請も終わり、数年の歳月が流れた頃、初代会長様がお命も危ぶまれるような御身上をいただかれたことによって、私どもはやっと気がついたのでございます。
困れば会長様がいらっしゃる。お願いすれば会長様は「僕の耳に入ったら、もう大丈夫だよ。事情だって身上だって何だってたすかるよ」と仰せくださり、その通りどんどん助かってまいりました。これが天理教だと思ってまいりました。
しかし、会長様の御身上という大きな節をいただきまして、会長様にはこれから少しでもお楽になってお過ごしいただいて、信者のために一日でも長く長生きをしていただきたいという切なる思いを持ったのでございました。
そこで、お教会は、会長様のお許しをいただきまして、熱海に別荘をおかいもとめられまして、関根別荘と申し上げるようになったのでございました。


なお、私どもは、その後、昭和41年9月、熱海市小嵐町に、熱海出張所(現在の愛春布教所)の名称
理をいただき、出張所の看板を上げさせていただくという御守護を頂戴したのでございます。
くしくも、関根別荘とは、隣組こそ違いましたが、町内は同じでございましたので、それはもう5分で行き来できるような近い所でございました。
初代会長様が別荘にお帰りになられた時は、所長をはじめ、信者が一人残らずお別荘にうかがいまして、それぞれの立場から、会長様におよろこびいただけるようにと、誠心誠意おつとめをさせていただきました。
当時のことを思い出しますと、本当にありがたいことであったと思わせていただきます。
 
初代会長様のお別荘での御日常は、朝お目覚めになられますと、お召しかえになられ、洗面をおすませになられますと、お居間から教会の方角に向かっておつとめをなさいました。
そしてその後、境のふすまを開けさせていただきまして、私どものほうから朝の御挨拶を申し上げるのがいつの間にか習わしになっておりました。
しかし、昭和44年1月19日の日は、朝の御挨拶後、御遠慮申し上げるつもりで私が急いでふすまを閉めさせていただこうといたしますと、

初代会長様は「そんなに早くしめちゃいけないよ。皆の顔が見えないではないか」と御注意くださいました。
すると、一人の方が突然、「会長様、なでて頂きとうございます」と申し上げたのでございます。
私は思わずハッといたしましたが、会長様はおだやかな御様子で「よしよしなでて上げ様」とおっしゃられて、なでてくださいました。
すると親奥様が、「会長様、みんなもなでて頂きたいというお顔をして居りますよ」とおっしゃってくださいましたので、お勝手でお食事の仕度をしておりました者もまいりまして、皆さんをなでていただいたのでございます。
最後に初代会長様は私をご覧になられまして、「お前さんもなでてあげ様」とおっしゃいまして、私をなでてくださいました。
誠に思いもよらぬありがたい事でございました。
あの時の初代会長様のあたたかい御手のぬくもりは生涯忘れることはできません。

 
さて、遠い昔の思い出を、思いつくままに書いてまいりましたが、これは、これからお話申し上げる大切な出来事の序章でございます。
 
昭和44年1月20日の早朝のこと、熱海出張所では、まもなく朝づとめの時間ということで、皆が神殿に集まっていたのですが、そこへ突然、お別荘からお電話をいただきました。

何やら胸騒ぎがいたしまして、私がかわって電話口に出ますと、親奥様のお声でした。
ひどく慌てておられる御様子で、「細かい事は後から話します。会長様がこれから貴女の所へいって神床で朝づとめをなさるから、おつとめをしないで待っているように」とおっしゃいますと、電話は切れてしまいました。
 
私は、お迎え申し上げる準備を入込者にあれこれと指示を出させていただきまして、何が起きているのやら、皆目わかりません。初代所長と私はお別荘にとびました。
 
お別荘に向かう途中、すでに会長様は小高い坂をのぼられまして、曲がり角までおいでになっておられましたが、御様子がおかしく、お顔の色が優れておりませんでした。

私は「奥様、どうかなさいましたか」とお尋ねをいたしますと、親奥様は「途中でちょっと御気分が悪くなられてね」とお答えくださいました。
いつものことであれば、「今日のところは一先ずお戻りください。またという日もございます」と申し上げてひとまずお帰りいただくのでございますが、この時は、そこに居合わせた誰もが、そう申し上げる事がとてもおそろしく言いかねるほど、初代会長様のけわしくきびしいお姿でございました。
そこで、お供をしておりました青年さんの手をかりまして、会長様をお神輿のように支えました。私はもう気が転倒しておりましたので、はっきり覚えておりませんが、会長様の御腰のあたりを支えさせていただいたように思います。とにかく御体にお障りのないようにと、静かに静かにおともをさせていただきました。
途中に熱海桜が満開でございまして、少しでも御気分を和らげようと「会長様、熱海桜がきれいでございます」と申し上げましたところ、会長様は、それを眼をつぶられたまま「きれいだね」とお答えになりました。
 
出張所のお玄関の前で、初代会長様から「信者が心配するからここでおろしておくれ」とお声がかかりましたのでおろさせていただきますと、会長様は何もなかったようにしっかりした足取りで神殿にお進みくださいました。
親奥様から「会長様はこちらでおつとめをなさいます。貴女方で朝づとめはつとめてください」とお言葉をいただきまして、私どもは朝づとめをつとめさせていただきました。

そして、朝づとめが終わりまして、会長様に初代所長を真として一同御挨拶を申し上げました。
すると初代会長様は、奥様のほうを向かれて、

「僕はどうしてこの様に急に気分が悪くなったのだろうね。何を神様が私に教えて下さっているのだろうか」と問い掛けられました。
奥様は、「会長様、今日は麹町大教会の清次郎会長様(二代大教会長様)がお出直しになられた日でございます。実は、大教会の炊事場が大変古くなりまして、最寄の消防署のほうから署員がたびたびまいりまして、危ないから建て直すように言われているのですが、なかなか皆さんの心がまとまらないで、殖子(たねこ)大教会長様が御苦労くださっていらっしゃいます。今日
清次郎会長様が関根さんたのむたのむというてお願いされているのでしょう」と申し上げられたのでございます。
会長様は、「それで僕は急に気分が悪くなったのだね。皆さんがやらないのであれば僕一人でもふしんをさせて頂くから、殖子会長様に早く申し上げて安心をして頂こう。孝雄さん(後の二代会長様)をここに呼んで伝えて貰おう」とおっしゃいました。
親奥様は、「会長様、23日には教会にお戻りになられるのですから、お定めになられたのですから、お帰りになられてからでもよろしゅうございましょう」とおっしゃいまして、続いて私に向かって、「会長様に初子さん、おさづけをお取り次ぎさせて頂いて下さい」と申されました。
「ハイかしこまりました」と申し上げました時の畏れ多さゆえの体中の震えは、誠におそろしいばかりでございました。
 
おさづけが終わりますと、会長様から一同にお言葉を頂戴いたしました。
そうして、場所を移しまして、親奥様から改めて母と私に、この日、出張所に早朝お運びになられた事についてお話を頂いたのでした。

その日の早朝、お目覚めになられました会長様が、

「母さん母さん。僕は今まで大変間違っていた様に思うよ」と仰せになられたそうでございます。
奥様はびっくりなさいまして、「会長様が違っているなどという事は決してございません」と申し上げると、

「そうじゃあないんだよ。私が大病をした後、皆が僕の体を心配してくれるあまり、たまには信者さんの顔を見たい、また神様のお話をさせて貰いたいと思って僕が神殿に出ると、座るやいなや役員が出て来て、会長様もう結構でございます、奥へお戻りになって下さいと、僕は今出て来たばかりではないかというと、会長様がいつまでもお出まし頂いて居られては信者が心配で帰れませんという。信者が心配で帰れなくちゃあ申しわけないねとして、そのたびに僕は後ろ髪をひかれる様な思いでいつも奥へ退けたよ。それが大変に違っていたと思うよ。だから今度教会へ戻らせて頂いたら、また昔の様に皆さんに神様のお話をさせて貰いたい。そして皆さんから、会長様、私はこうして助かりました、ああして助かりましたと、助かった助かったというお話を聞かせて貰いたい。だから神様の前でお詫びと心定めがさせて貰いたい。今すぐ神様の前まで僕をつれていっておくれ」と仰せになられたのだそうでございます。
親奥様が、「会長様ここは教会ではございません。熱海でございます」と申し上げますと、会長様から、

「それではどこか近くに神様はないのかい」とお尋ねがあったそうです。
「神様なら遠藤さんの所にございますが、まだ朝も早く、外は大変寒うございます。もう少しゆっくりなさって暖かくなってからお出かけになりましょう」と親奥様が申し上げましたが、「今すぐ神様の前につれていっておくれ」と仰せになられて、親奥様の言葉をお聞き入れにならなかったので、貴女の所へ致し方なく急の電話をかけたのですと、こういうお話でございました。

 

こうして会長様は、やむにやまれぬ、そして断じて御自分を許されないお気持ちの上から、まだ暖まっていない冷たいお召し物を召されて、温かいお湯をお飲みになることもなく、一目散に、神様の前におわびと心定めの為にお運びくださったのでございます。
そうして御気分の悪くなった事からお悟りくださいまして、大教会の炊事場ならびに食堂、地下室、上物に地上四階の建物のご普請にお徳をつまれることを定められたのでございます。

 

そして、如何なる神様の思惑か、翌々日の1月22日の日に、お出直しになられたのでございます。
 
この親孝心のお心は、二代会長様に親奥様から伝えられて、二代会長様がおつとめになられたことは申すまでもございません。
昭和44年1月20日――生涯忘れられないこの日のことを、私は41年間黙して語ることなく通ってまいりましたが、おそばに置いていただいてまいりました者として、これでよいのか、このまま封じ込めてお別れをしては初代会長様に申し訳ないという思いが胸にあふれてまいりました。

その切々たる思いから、敢えて、ここに入力をさせて頂きました。


 

 

 

 

 

 

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