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お人形が痛い痛いというて泣いているよ

 

 

 
昔の事でございますが、節子奥様(二代会長様の奥様)から聞かせていただきました、初代会長様のおさとしのお話でございます。

 


節子奥様は、お母様の胃がんの身上を初代会長様に助けていただかれて、その御礼として、お母様の代わりに、15歳の未だ幼い頃にお教会に入り込みをされ、道一筋を通られた方でございますが、初代会長様からこのお仕込みをいただかれた頃は、子供さんのお世話をしていた時代と聞かせていただきます。

 

ある日のこと、子供さんがおもちゃ箱をひっくり返して遊んでおられたところ、急にお庭の方へ駆け出されましたので、節子奥様は、子供さんに何か粗相があったら大変だという思いで、「幸江ちゃん待って!」と言いながら、おもちゃを手当たり次第に箱の中にバタバタと放り込むようにして傍へ片付け、子供さんの後を追い掛けるようにして、走ってお部屋を出ていかれたそうでございます。


そうしてしばらくして、子供さんと一緒にお部屋に戻ってまいりますと、初代会長様がそこで待っておられまして、
「節子や。お人形が痛い痛いというて泣いていたよ」と仰せくださったのでした。

 

節子奥様はハッとし、傍らのおもちゃ箱を眺めました時に、申し訳ないという気持ちで思わず身がすくむような思いがいたしまして、「会長様申し訳ございません!」と心からお詫びを申し上げたのでございます。

 

初代会長様は、
「時間がなかったからとか、人に頼めなかったからとか、人間考えで思えばいくらでも言い訳はある。しかしながら、ここは理につとめる場所であって、人間につとめる所ではないよ。言い訳は通らないよ。また、言い訳をしていたら、理が消えてしまうよ」とおさとしくださいました。
そして、おもちゃは、初代会長様のお手によって、一つ一つきちんと箱に納められ、節子奥様がおもちゃ箱の一番下に入れたお人形は、箱の一番上に乗せられていたそうでございます。

 

初代会長様は、泣くはずのない人形が泣いていると仰せられて、お道の者の心の運び方・納め方を教えてくださったのでございました。

 

 


これと同じようなことについて、私もかつて、初代会長様に教えていただいたことがございました。

その日は朝から雑用に追われ、大変心忙しい一日でございました。


そして、
御用をさせていただいている中に、子供さんが忘れてお部屋に置いたままにされた品物が、フッと私の眼に飛び込んでまいりましたが、誰か片付けてくれるだろうと自分なりに勝手な解釈をしまして、会長様の御用をしておりましたところ、たまたまそこへ初代会長様がお通りくださいまして、
「これは誰のだえ?」と、その品物についてお尋ねになられたのでした。


しまった!見つけられてしまった!と思ったのも後の祭でございます。


私はそこへ飛んでまいりまして、「申し訳ございません!お姉ちゃまのものでございます。私が片付けさせていただきます」と申し上げました。


すると
、会長様は、

「いいんだよ。お前さん達は忙しい。僕がしまってあげよう。どこへ片付けたらいいのだえ」と仰せくださいまして、会長様自ら、品物をおしまいになられたのでございました。


つまり、
何事も、自分の眼に留まったことは、良いにつけ悪いにつけ自分の因縁であり、お前さん片付けておきなさいよと神様が仰せになられているのですから、片付けさせていただくのが人間の道であり、神様・教祖(おやさま)がおよろこび下さるところの誠真実というものであることを、初代会長様は朝眼がさめて、夜休ませていただく四六時中に御身を持ってお通りくださり、また行いをもって私どもにこのように教えてくださったのでございました。

 

 

私は会長様がお部屋から「誰か来ておくれ」とお呼びになられたら、一目散に早くとんでいって御用をさせていただかねばならん立場の者でございます。
しかし、会長様の元へゆく道中に、たまたま片付けなくてはならない事が眼に留まったら、それを片付けなければならない。それで伺う事が遅れて、他の方が代わりに御用をされ、「何をしていたんだえ」と会長様におしかりを受けても、ああだから、こうだからの言い訳はしてはいけない。
ただただ「申し訳ございませんでした」とお詫びを申し上げ、やがて先へいって我が身に降りかかって来る恐ろしい因縁を、ここで神様が前もって消して下さるのだと、つまりこれが先回りの御守護だと教えていただいております。

 


「お人形が痛い痛いというて泣いているよ」と節子奥様に仰せ下さった事にあらわれるように、初代会長様は、どんな小さな事も軽くなさらないで、誠真実でお通り下さり、また私共にも教えて下さいましたことは、やがて先へいって数々の不思議な御守護をいただかれる基盤となっていったことに全く間違いのないことであると、私は確信をもって皆様に申し上げるのでございます。

いついつも初代会長様は、

「これが分かったら、天理教は楽しみで楽しみでやめられないよ。皆分からないから、せっかく助かる信仰をさせていただいても助かってゆかないのだよ。そうゆう信仰のことを関東では『ふらっかふらっかの風来人』というのだよ。僕は分かったからやってみた。通ってみて、確かに間違いのない道だから皆さんにすすめているのだから、分かったらしっかり道を通らせていただいて皆助かって貰いたい」と、常々、食事をなさる事も忘れて、また疲れた事もお忘れになって、一生懸命私共にお話をしてくださったのでした。

 

 


さてお話は変わりますが、ただ今の新神殿の御普請をいよいよ始められることになった時のお話でございます。


この普請では、まず回りの土地を買収することから普請が始まったわけでございますが、ある日のこと、当時建設委員長だったО先生が初代会長様に呼ばれまして、会長様から、教会の西門の前の土地がほしいがお金がない、だから土地を買うのではなく、土地を借りて来なさいというお言葉をいただいたのでした。

 

そこで、О先生が、土地の賃貸交渉を地主さんと始められたのですが、相手もなかなか手強い地主さんでして、どんなにこちらが条件をつけても、うんとは言いません。

土地を売るのはいいが、貸しはしないというのです。

困ったО先生は会長様のところへ戻ってまいりまして、「地主さんは、土地を買ってくださるというのであればお売りしますが、土地を貸す事はできませんとおっしゃっておりまして、ひとまずお話は失敗に終わりました」と、ことのやり取りを初代会長様にご報告をされたのでした。

すると会長様は、
「何も難しい事はないよ。相手がそういうのなら買ったらいいじゃないか」と、事もなげにあっさりとおっしゃるのです。


О先生は、「会長様が、お金がないから土地を借りておいでと私におっしゃられたので、役目柄何とかして御守護をいただきたいと思いまして今までかかって粘りましたが、私の力不足でございました。申し訳ございません」とお詫びをされました。

 

すると会長様は、
「今、お前さんが出掛けて行った後に、ある信者さんがお参りに来られて、『会長様のお言葉通りにお受けをさせて通らせていただきましたところ、ありがたい事にすばらしい御守護を頂戴することができました。こんなうれしい事はございません。これは私共の心ばかりの御礼でございます。会長様に差し上げたのでございますから、御自分の思う所にお使いになって下さい』というて、たった今、私のところへお供えの事情が届けられたのだよ。いったいお前さんいくらあったらその土地が買えるのだい?」とお尋ねになられましたので、О先生は「ハイ会長様、これくらいでございます」と申し上げましたところ、
会長様は、
「教祖(おやさま)はありがたいね。ちょうどそれだけのお供えがいただけたよ。早速いって話をつけておいで」と誠にびっくりするようなお言葉をくださったのでございました。


このように、お金がないから土地を借りてきなさいと言われ交渉に行ったはずが、その留守の間に信者さんがお供えをお持ちくださり、また地主さんも貸す事はできませんがお売りいたしますということになり、それでは買いましょうというて買う話し合いに変わり、右から左へとめでたく手打ちとなり、お話が見事にまとまったのでございます。

 


思えば思った通り、言えば言った通りのすばらしい御守護をいただいて通られ、世界の方から晩年には生き神様のような方だといわれ、人間として最高の立場にお座りいただいた初代会長様でございますが、幼少の頃は、千人に一人、また万人に一人、こんな可哀相な子供が世界にあるかと言われたお気の毒な運命の方でいらっしゃいました。
そのお方が、七歳の時に、預けられた里親からこのお道の信仰をつけていただいて、十七歳で道一筋となられ、それからは朝眼が覚めて夜休ませていただく四六時中の中に、親神様を信じて、教祖(おやさま)を尊敬してお通りになられました。

 

そうしてこれから神殿の普請が進むにつれて、人間ではとても通れないというような困難に遭遇されても、
「道を通るものを神様は決して困らせないよ。神様はあるよ」として、もくもくとして道をお通りくださったのでございます。


 

 

 

 

 

 

 

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