天理教 愛町分教会 愛春布教所

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真実の道

 

 

 『真実の信仰とは、まず自分を捨てて、神様に添う低い心、素直な心でなければなりません。

神様があると思うのみでなく、一切が神様の御自由(ごじゆうよう)のままにある事を信じて信じ切っていただかねば、この教えのほんとうの所が解って貰えません。

誠に神様に受け取っていただけたと思うつとめが、一切の悪因縁を抹消してくれるのであります。不運なるべき者も切り換わってやがて幸福となり、各々の目的は理の助けによって叶えられても来ます。

この点をようくお考えの上、何事を致すにも信仰の度合いが根幹となる事をお悟りになってください』

 

これは、昭和21年4月26日に、初代会長様から頂戴いたしましたお手紙の中のお言葉の一部でございます。

 

 

 

さて、お話は変わりまして、本年は、愛町の理につながる私ども理の子供にとりまして、初代会長様のお出直しから年を重ねて四十年を数え、誠に大きな節目の年でございます。

 

私は今改めて、昭和44年1月22日に初代会長様がお出直しになられるまでの、熱海の関根別荘での様々な出来事を思い出させていただいております。

 

いつどのような時にも神様を信じて、教祖(おやさま)を尊敬されて、その教祖ひながたの道をお通りくださいました初代会長様のあの日の出来事を、どうしてもこのホームページをご覧いただいている皆さんにお話をさせていただきたいという切なる思いで、今回ペンを取らせていただきました。

 

 

それは昭和44年1月21日のことでございます。

 

 

この時のお別荘へのお帰りがまさに最後となられたわけでございますが、1月16日にお別荘にお帰りくださいました会長様は、それから来る日も来る日も毎日、朝お食事を済まされるとお散歩にお車でお出ましになり、そして一度お戻りになられ、お昼食を召し上がられますと、またすぐにお車でお散歩にお出ましくださいました。

それについて親奥様がお尋ねになられますと、会長様は、「熱海には遠藤の母親が居っておたすけをしてくれている。信者がどのような信仰をしているか一々見て歩いてあげなければいけないからね。僕にはその責任があるんだよ」と仰せくださいました。

 

 

1月20日の日に、会長様はちょっとお風邪を召されお医者様にかかられたのですが、お医者様からは、「ようございましたね、ただのお風邪で。熱海は暖かい所でございますから二.三日ゆっくりお休みになられたらお元気になられますよ」とお言葉をいただきましたので、親奥様をはじめ、傍で御用をさせていただいている者一同、ホッと安堵をさせていただいたのでございます。

 

 

明けて1月21日の日は、昨日の小春日和とは打って変わって、朝からどんよりとしたお天気でございまして、その中に、熱海では珍しく氷雨がしとしとと降ってまいりまして、大変寒い日になりました。

 

その日、正午をちょっとまわった頃でしたでしょうか。

遠方から、ある信者さんが会長様に是非ともお目にかかりたいとしてお見えになりました。

この方は、脳梗塞の身上をいただかれましたが、初代会長様のお徳をいただいて、大変に良い方に向かわれておりました。

しかし名古屋のお教会まで行くのにはまだちょっと体が無理、幸いにして熱海のお別荘に初代会長様がお帰りいただいたということを漏れ聞かれて、この日、氷雨の降る中を、おたすけをされた方に伴われてお礼にお見えくださったのでございました。

 

しかし、前述の通り初代会長様のご体調がよろしくなかったため、私は親奥様に、「どうさせていただいたら良いでしょう」とお伺いいたしましたところ、親奥様もしばらくお返事に迷われておられましたが、「今日のところはお気の毒だけれども、またという日もありましょう。襖越しに会長様にお礼を申し上げていただいて、いったんお帰りいただいて」とおっしゃってくださいました。

早速その旨を御本人方にお伝えをさせていただきましたところ、お二人ともよく事情を分かってくださいまして、しばらく初代会長様のお部屋の前で頭を下げておられ、そして、またの再開を約して、お帰りをいただいたのでございます。

 

その後しばらくして、私が初代会長様のお部屋に入れていただきますと、会長様が、「何だえ」と仰せになられました。

私は「いいえ。別に何もございません」と申し上げました。

会長様は、「そうかえ」とおっしゃられたのでございますが、5分も経たないうちに、今度は厳しい語調で、「どうしたんだい」とお言葉がございました。

私は、ああ会長様にはもう理がうつってのことに違いない、黙っていては申し訳ないと思いまして、事の次第を会長様につぶさに申し上げたのでございます。

 

すると会長様は、「その信者さんをここへ連れて来なさい」と言われました。

 

私はまたまた「あの、会長様、あれから大分時間が経っておりますので、もうタクシーに乗って熱海駅へ走られたか、もしくはもう駅に着いて汽車に乗られたかもしれません」と申し上げると、

それでも会長様は、「汽車に乗ってもいいから連れておいで」というたってのお言葉でございましたので、裏方に控えておりました青年さんに、「会長様が言われるのだからまだ間に合うかもしれない。早くとんでいって連れて来て下さい」とお願いをいたしました。

 

当時、お別荘を出ますと、約100メートルくらいだらだら坂を降りて2.3分のところにタクシー会社がございました。

幸いにして、体のご不自由な方であり、また雨が降っておりましたので、今まさに乗ったタクシーが走り出そうというところで、追いかけていった青年さんが声をかけ、つかまえることができました。

 

そして青年さんがその病人さんを背中におんぶして、お別荘まで連れて戻ってまいりました。

 

会長様のお言葉をいただいてお部屋の中に入れていただいたお二人の信者さんは、思いがけない現実に、もうすでに感動で胸が一杯であったと思います。

 

おたすけ人の方が、会長様に助けていただいたお礼を申し上げますと、会長様は「ここへおいで。そんな遠くに居てはいけないよ」と仰せられて、お休みいただいていたお布団の端を除けられて両手を伸ばされましたので、私どもは、会長様がお休みいただいたまま(横になられたまま)病人さんをなでてくださるのだなと思って一同頭を下げておりました。

 

すると、会長様はにわかにぱっとお体を起こされて、お布団の上に座ってしまわれたのでした。

 

親奥様はびっくりなさいまして、「会長様、そのようにらんぼうな事をなさいましてはお体にさわります。お休みくださいませ」と申し上げたのでございますが、会長様は「いいんだよ。ホレこの通り、もう座ってしまったよ。サアもっと僕の膝の所までおいで」とお声をかけてくださいました。

 

会長様は病人さんの胸を三度丁寧になでてくださり、また「背中をお向き」とおっしゃってくださいまして、三度背中をなでてくださいました。

そうして、神様教祖(おやさま)にお願いをしてくださいました。

「これで病気は治ったも同然だ。いやもう治ったよ。さあ両手を上へあげてごらん。よしよし。では横へ広げてごらん」と会長様からお言葉をいただく度に、その病人さんは一生懸命に手を上に上げて、また横に伸ばされたのでございます。

 

その病人さんは感動のあまり、顔中、涙でくちゃくちゃになっておりました。

私どもも何ともいいようのない感動で胸が一杯でした。

感動にどのような言葉もいりません。

 

思えば、この方が、会長様がこの世におかれての最後のおたすけをされた信者さんでございました。

 

明けて1月22日、会長様は永遠の眠りにつかれたのでございます。

 

 

 

 

会長様は御自身のお体のことはお考えにならないで、この氷雨の降る寒い日に、不自由な体で一言のお礼が申し上げたい、会長様にお目にかかりたいと切に念じた信者さんの心になられたのでございます。

教祖(おやさま)のひながたの道をお通りくださいました尊い初代会長様の最期のお姿でございました。

 

 

お出直しになられてから四十年の歳月を重ねた今日でも、私は瞼をとじると、その会長様のお姿が浮かんでまいりまして胸が熱くなるのでございます。

あの時の言葉に表す事の出来ない感動は深く深く刻まれて、それは生涯消える事はございません。

 

 

会長様は、そうして二人の信者さんに、「これからは、助かったお話を人さんに聞いて貰うのだよ。今は天理教が助かって、教会が助かって、私が助かっているだけだよ。お前さんは助かったお話を人さんに聞いて貰って、本当に助かってゆくのだよ。わかったかえ」と尊いありがたいお言葉をくださいました。

 

 

この信者さんはそれから最寄の布教所へ運ばせていただいて会長様に教えていただいた事を守って通られ、すっかり病抜けをされ、出直しをされる時はお年をとられて“老衰”ということで、誠におだやかな静かな出直しであったということを聞かせていただいております。

 

 

本当に初代会長様は、常に神様からお預かりした信者さんをこうして大切にされたのでございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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