天理教 愛町分教会 愛春布教所

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子供に見せられる理は、親々の理

 

 

ここに掲載をさせていただきますのは、おたすけ先の信者さんの子供さんが身上になったことについてのお伺いに対し、私の母が、初代会長様から、昭和23年12月1日に頂戴した、尊いおさとしのお手紙の写しでございます。

 

 

お道に寄せられたからには、お道をよく心に置いて頂かねばなりません。

成ってくるのが天の理であります。どんな難儀苦労も、因縁がなくては迫って来るものではありません。徒に(いたずらに)不運をかこって他人を恨む事は違います。吾が身の因縁が、吾が身を苦しめるのであります。難儀するのも心から、吾が身恨みである程にとお歌にあります。

世上に因縁のある限り、何処に居ても、その心でなくても又、外の人に因縁通りに扱われてゆくのです。恨む所は、吾が身の因縁のみであります。

何が為にこの道に寄せられたか、考えて見て下さい。神様には助けたい一条の親心から引き寄せて、この道を信じさせ、通させて助けようとなさって居て下さるのです。天理教の信仰したら、この神様の思召しを悟って頂きたいです。

担任が神様の代理として説いてあげる理を軽く聞かないで下さい。責任を持って説く理を助かりの理として一粒もこぼす事なくお受け下さい。

人間であれこれ思案しても駄目です。

人間で決めた事は腐ってしまいます。

でなければその方の今までの通って来た過去を考えてもらってごらんなさい。自分で思って、自分でやった事が総て成って来て居ますか。成って来たら身上や難儀不自由もなく、不足うらみは少しもある筈はありません。

自分思案の欲からソロバンをとっても、結果は思う様になって来ません。ですからその方も人間思案をやめられたらどうです。この信仰について本当に助かってもらわねばなりません。この道より、その方の運命をすっきり助かって行く道はありません。つまらぬ事を思ったり言ったりしているより、この道へもっと精神入れて進んでもらって下さい。

助かるも助からぬも、この一点であります。

神様を信じ固い精神をもって真直に進んだなら何の案じる事がありますか。

必ず成ってくるべき事は成ってきます。

それが天理です。

人にもたれずに神にもたれると言う事はどうゆう事かと言いますと、向こうが曲がっていても、こちらはどこでも真直に行く事です。

向こうが悪ければ、こちらは尚一層良くゆくことです。向こうが悪いからとて、こちらも仇討のつもりで悪で行ったら共倒れです。

たんのうが因縁切りとも申されて居ります。

この世は人間で支配出来ない神の世界であります。

確り(しっかり)神様を信じ、お道の精神をもって行ったら、何を思わずとも思ったより結構になって来ます。

ですから人を見、人をたよりにせず、神様をたよって行って下さい。

神の世界、理ぜめの世界の意味がわかれば、人間一切の事は神様が決済して下さいます。

唯神様を信じ、神様に受け取って頂くだけの覚悟と度胸が必要であります。

ここに「如何にして道を進み通らせて頂く」と言う一つの道の定めが欲しいのであります。

しっかり定め願って頂けば、子供さんも善くなりましょう」

 

 

 

 

母は、この頂いたお手紙を台として、おたすけをさせていただきましたところ、その子供さんは見事に御守護をいただかれたのでした。

 

 

 

また、その後、このおさとしを台として、おたすけをさせていただいたことがございました。

以下、そのお話を掲載させていただきます。

 

 

このおさとしのお手紙を頂戴してから、年限が経ち、私の母は、初代会長様のお許しをいただき、熱海にささやかな住まいの御守護をいただき、熱海での布教が始まりました。

私は、お教会に入り込みをしてから20年経って初めて、月に3日の里帰り布教のお許しをいただき、お教会から熱海に運ばせていただいていたのですが、これはその時にあったお話です。

 

その日、たまたま夜に入って、一組のご夫婦が、生後6か月くらいの赤ちゃんを連れて、お参拝くださいました。

 

お話によれば、ご主人が赤ちゃんをお風呂に入れまして、ご家内が赤ちゃんを受け取り、ねまきを着せたところ、突然赤ちゃんがギャアッ!と悲鳴を上げて泣き出したそうです。

ご家内がどうしたことかと抱き上げ、一度泣き声がおさまったところで再度ねまきを着せかけると、またギャアッ!と悲鳴をあげましたので、これはおかしいと思い、ご主人がねまきをつぶさに調べましたところ、何とまあ恐ろしいことに、一本の木綿針がねまきに突き刺さっていたのでした。

その針の先が赤ちゃんの肌に触るのですから、それは悲鳴を上げるはずです。

幸いにして、神様に教えていただいて、大難を小難の御守護をいただかれたのでございますが、一つ間違ったら大変な事になるところでございました。

そして、その様子を見ておりましたご主人の母親が、「これは神様が何かを教えてくださっているのだから、早速行って伺ってくるように」と寄越されたということでした。

 

初代の所長は、お水玉にむかってお願いをさせていただきました。

 

すると、初代会長様からいつもお聞かせいただいている、

「子供に見せて頂く事は、子供ではなく、親々の通り間違いを神様が教えてくださっている」というお言葉が心に浮かんでまいりました。

 

初代会長様は、

子のよなき をもふ心はちがうでは こがなくでな 神のくどきや(おふでさき第3号29)

はやはやと 神がしらしてやるほどに いかな事でも しかとききわけ(おふでさき第3号30)

をやをやの 心ちがいのないよふに はやくしやんをするがよいぞや(おふでさき第3号31)

と、『おふでさき』のお言葉を折々にお聞かせくだっておりました。

 

 

それでは神様は、赤子に入り込み、いったい何を親々に教えてくださったのでしょうか。

 

当時、ご主人はタクシーの運転手をされていました。

母は、神様に両手を合わせてお願いをさせていただきましたところ、

「二重口銭(こうせん)はほこりだよ」

と、初代会長様のお声が耳に聞こえてきたそうです。

 

そうか、このお言葉を台としておたすけをさせていただけばいいのだなと、母は思いました。

(初代会長様は、遠方にいる理の子供たちには、

「もし困った事が出来たら、神様と僕の名前を三度よんでお願いしてごらん。困った事は解決をするよ」と仰せになっておられました。)

 

そして、母が、ご主人に伺ってみますと、正しくその通りでございました。

会社からきちんと月給をいただいておりますが、お客様からいただくチップ(寸志)については、事務所へ出さないで自分の懐に入れていたそうです。

時には、チップが月給と同じくらいになった月も今までに何度かあったそうでございます。

当時、こうした事は、運転手の間では誰もがやっていることであり、公然の秘密となっていました。

お道の信仰をさせていただいておりますと、社会で当たり前として許されていることで、大変に因縁になっていることがたくさんございますが、いけないいけないと思いつつも、いつしか慣れ名人になってしまいまして、悪の意識も薄らいでしまいましたところへ、突然、神様から子供を通じて教えられたのでございました。

 

 

母はご主人に、

「神様は、可愛い子供さんを通して、先々吹いてくる大難を小難として連れて通してあげようとして、前以て教えてくださったのです。それが分かったら、これからはたとえ殺すと言われても間違ったことは断じてやってはいけません」とお話をさせていただきました。

 

すると、ご主人は、

「そんな事をしたら、それこそ仲間に八分にされて、会社で働く事もできなくなってしまいます。第一、入ってくる物が半分に減ってしまったら、家族の生活が成り立ってまいりません」と、人間思案の中から、とても受けられないと言われるのです。

 

それでも母は一歩も引きませんでした。

「可愛い我が子が針に刺されて、お父さん違うよ違うよと教えてくれているのです。自分にそういう因縁があるとしたら、これからは貴男が針のムシロに喜んで座らせてもらったらどうですか!?

火の中は火柱となり水の中は水柱となって連れて通ろうと仰せになっておられるではありませんか。私どももそういう中を何度も通らせていただきました。貧しくとも、今日は食べる物がなくて砂をなめて飢えをしのいだという日は、お道を通らせていただく中に一日もありませんでした。

通った者が神様教祖(おやさま)会長様の仰せになることは一分一厘の狂いがないと申しているのです。

どうか阿保(あほう)になって、神様を信じてください。

会長様を尊敬して通ってください。

家計をあずかるご家内もさぞかしご苦労のことと思います。ただ一時のしんぼうです。そのために神様は道を聞かせてくださって、道を通してくださっているのです。

貴男方夫婦が因縁の承知ができたら、神様はいつまでもそのままにして置きません。分かればいいよとして、必ずお許しになってくださいます。」と申し上げ、そしてようやく夫婦共に納得させていただいたのでした。

 

 

そうしてご主人は、早速次の日から実行させていただきまして、お客さんから頂いたチップはたとえ100円でも正直に事務所に届けました。

 

すると、思った通り、仲間のバッシングが始まりまして、今まで仲の良かった友人まで口をきいてくれなくなり、そして皆から毎日意地悪をされるようになりましたが、ご主人は「いよいよきたな、これが因縁納消の道というのか。神様会長様、私は断じて負けませんよ、まあ見ていてください」と心の中で叫びながら、黙々とお定めに向かって通らせていただいたのでございました。

 

すると神様がございました。

初代会長様は決して見捨てることはなさいませんでした。

不思議なことが起きたのです。

 

会社には“花番”という制度があったのですが、今まで勝手をしておりました時は、“花番”にあたりましても、近くの旅館へゆくお客様ばかりでしたので、100円や200円のチップしかいただけなかった。

それが正しく真実の道を曲がりなりにも通させていただくようになりましたら、「今日は箱根へドライブしてください」「久しぶりに伊豆を一周してください」と言われる長距離のお客様ばかりとなり、「本当に楽しかった。これはチップですよ」と言うて、当時で大枚1万円とか5000円がいただけるようになりました。

 

 

100円、200百円でも事務所に出して嘘のない勤めをさせていただけたことが、やがて大きな喜びとなっていったのです。

 

そして今までよりたくさんの御手当を頂けるようになりました。

また、八分にしていた仲間も、「お前この頃ツイているな。どうしたらそうなれるんだ。教えてくれ」という人も出てまいりました。

 

 

初代会長様が「二重口銭(こうせん)はほこり。がんになるよ」と教えてくださいましたことにより、自分の間違いに気が付き、一切の人間思案を捨てて天理天則に沿った道を通らせていただけたことは、誠にありがたいことでございました。

 

 

 

 

 

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