天理教 愛町分教会 愛春布教所

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地べたに茣蓙(ゴザ)をしいて

 


月に入ったかと思いましたら、もうあっという間に半ばを過ぎてしまいました。
このホームページの原稿を書かせていただく際はいつも、千人、二千人の道の用木の方々を前にし神様のお話をお取り次ぎさせていただいているのだと、そう心に言い聞かせて、ペンを走らせていただいております。

 

 

さて、昔々遠い昔のある夜、わたしはある夢を見せていただきました。

それが、朝起きましても、あまりにもはっきりと鮮明に覚えている、そんな不思議な夢でございました。
初代会長様からは、「夢を見ても、すぐ忘れてしまう夢は理のないものだが、はっきり記憶に残っている夢は、神様が何かを教えてくださるものだよ」と教えていただいておりましたので、私は、会長様に理を頂戴いたしました。

お話を少し戻しますが、私は母の身上から会長様のお言葉をいただき、昭和22年8月13日に愛町分教会に入り込みをさせていただきました。入り込みのご挨拶に、母とともに会長様のお部屋にまいりました際、会長様は母に、「お母さん、安心してください。5年たったら、初子に立派な婿をあたえて故郷に錦を飾らせてあげますよ。それまで待っておってください」というお言葉をくださいました。母は熱い涙を流しまして、このお言葉をお受けさせていただいたのでした。
そして、その夢を見たのは、すでにその時から5年の歳月が流れておりました。


会長様は私に、「その夢はお前さんの前生の姿を、神様がお見せくださったのだよ。お前さんの前生は、高い立場に置いていただいて、その立場を利用して、人を人とも思わず、人を意のままに動かして使って通ってきたのだよ。つまり、善人であっても、自分の意に逆らえば遠慮なくこかしてしまう。悪人であっても、自分の意を汲んで取り入ってくる者は重く用いて通った。前生そのような道を通ってきた者は、人間として誠真実で通るべき道を逆に通ってきたのだから、今生は、地道な道は通れないよ。まず、人から当然もらえるはずの情がもらえない。この人がこんなに私のためを思って心をかけてくださるのだから、一層この人に頼ってこれから通ったらよかろうとしてその人に頼ると、お前さんの前生の因縁で相手が薄情に変わってしまう。人さんから情のもらえない者は、やがてお金にも困ってくる。食べるものにも不自由してくる。そうしている中に、自分の体をもって通れないような気の毒な運命に落ちてゆくのが関の山だよ。

僕の話を少しさせてもらおう。僕はね、立派な両親があってもその親に育ててもらえなかったばかりか、物心がつく頃には、里親が七人と変わっていたのだよ。それはもう小さい頃には、こんな可哀相な子供が千人に一人あるか、万人に一人あるかといわれるような気の毒な運命の子供であったが、十七歳の頃に胸を患って、医者通いをしておった時に、麹町大教会の初代である久保治三郎会長様におたすけをいただいて、私は薬ビンを溝にたたきつけて、こんなことをしていちゃいけないと思って、医者通いをやめて道を通らせていただくようになった。やがて一代定めをしなければならない事が起こった。私はとてもがんこな眼病をわずらった。信者さんからは、「先生は人を助ける事はお上手ですが、御自分の病気は中々御守護がいただけませんね」といわれた。いわれるまでもなく、私ものお詫び、あの心定めとさせていただいても一向に御守護の理がいただけなかった。そうしたある日のこと、私はフッと“前生”という事に思いがゆき、「いったい私は、前生はどんな道を通ってきた人間であろう」と思うようになり、調べてゆく中に、先祖の中にごく変わった道を通った人物が浮上してきた。三代か四代前の先祖で、三河の生まれの人間で、どうしたことか突然すっかり財産をまとめて、家内や子供を捨てて、当時の江戸へ出てきて、そこでやった商売がいけなかった。高利貸を始めて、贅沢三昧をして通った。そりゃもう講談に出てくるような悪徳高利貸で、この人間からは一銭もとれないと見ると今か今かの病人の寝ている布団をはいで持ってくるというような非道な事をして、自分はの五人も六人も持って通って、出直しする時は両眼が見えなくなって出直したという人間が先祖におったのだよ。僕は神様に申し上げた。神様、この先祖が私の前生でございましょうか。さすれば、人さんと同じように御飯時に茶碗とはしを持って通れるはずがない。いずれ地べたに座らなきゃならない因縁であったら、これから関根は人さんに助かっていただくために地べたにゴザを敷かせていただいて、一代通らせていただきます。一代で足りなかったら、二代。二代でもしもお許しがいただけなかったら三代。三代も地べたにゴザを敷かせていただいて通らせていただきます。それでお許しがいただけましたならば、この眼の御守護をいただきたいと、真剣に神様にお願いをさせていただいた。そうして三日三夜のお願いをさせていただいて、あざやかすっきりの眼の御守護を頂戴する事ができたのだよ。私は決して自分がよくなりたい、助かりたいと思って道を始めたわけではない。しかしながら、一代はおろか二代、二代で駄目なら三代と定めて通らせていただいたが、一代も経たない中にこんなにけっこうに神様がしてくださった。しかしながら、形の上では、高い立場に座らせていただいているけれども、心は今もまったく変わらないよ。人さんに助かってもらいたい、喜んでいただきたい、ついては一代地べたにゴザを敷かせていただいて通らせていただきますという心は変わっていない。その変わらない心を神様は誠真実としてお受け取りくださって、今日の愛町の理の栄えをお見せいただいているのだよ。時として私は思う、また昔のように形の上でも地べたにゴザを敷いて通りたい。けれども、今愛町には全国に数万の信者さんがおられる。僕が形の上で地べたに座ったら、皆さんはもっともっと低い所に座らなければ、助かってゆかない。それじゃ、皆さんに申し訳ないから、私は今、形の上では地べたにゴザを敷かないけれども、心は昔と一寸も変わっていないよ」と、会長様は、ご自分の前生から、千人・万人にないような御苦労の道を、お道の御苦労に替えられて通られたお話を私に聞かせてくださいました。


因縁により地べたにゴザを敷かなければならない運命の者であると覚悟し、お道の上で人さんに助かってもらうために地べたにゴザを敷かせていただいて一代通らせていただきますと定めても、神様は会長様を、地べたに座らせませんでした。『因縁の自覚ができたらもういいよ』と。
それでも会長様はお出直しになられるまで、精神的に、関根はこれでいいのかとして常に神様とお話申し上げて、断じてお心を許されませんでした。


 

さて、私の夢のお話の続きでございますが、会長様は「わかったかい、わかってくれたかい」として、私のために長い時間をかけてお話をしてくださいました。
最後に、「わかったかい。わかったら、しっかり腹をすえてこれから道一すじを通らせてもらうのだよ。そうして自分の心の中に、微塵も自分がよくなりたい、結構になりたいと思ってはいけないよ。私のように、人さんによくなってもらいたい、人さんにたすかってもらいたいという心を断じて忘れてはいけないよ。さあ今日から心の向きを変えて、道の本心をすえて、しっかり通らせてもらいなさい。そうして通らせていただいたなら、やがて因縁がきれたら、神様がもういいよとお許しくださる。それまでは断じてまた寸時も心を許してはいけないよ。」と仰せくださいました。

こうして私は、夢のおさとしの中から、自分の前生を会長様に教えていただきまして、自らの通るべき道が定まったのでございます。
また会長様は、「お前は前生の通った道が悪い。しかしながら、僕はむしろ因縁の悪い者ほどたすけたい。道があったら、因縁なんか決して恐いものではない。ただ神様を信じて、私を重んじて、言われた事は必ず守って通ることだよ。そうして通ったら、何事も案じる事は一つもない。すべて成る日に成ってくるよ」とお話くださいました。


 

 

年を重ねて、私もお教会に入り込みをさせていただいて六十年がまいりました。

誠に「百の因縁」は、「一つのおたすけ」によって消していただけるものでございまして、自分の身上をもって通れない運命の者、当然かけていただける者から情のもらえない運命の者が、一つ一つたすかった理をお見せいただき、神様、会長様のお徳をいただいて、今現在こうして通らせていただいております。
 

このほど、 私自身、本来ならば身上をお返ししなければならない理のありました事を、長年来の親しい友の出直しからお見せいただきました。
また、神様からせっかくいただいた家族のぬくもりを手の中からこぼしてしまうような悪因縁があること、娘の勝美の身上のないところを、彼女の親しい友人の出直しから見せていただいたほか、二月に入りまして、今度は、末の孫の春雄の命のないところを、親しい学友の突然の出直しからお見せいただきました。

私はこれからも命の終わる迄、夢のおさとしからさせていただいた一代のお定めを命にかえて守って通らせていただくとともに、初代会長様が教えてくださいました万分の一の信仰を通り、まがりなりにも御恩返しの道を通せていただく覚悟でございます。

 

 

  

 

 

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