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元一日を忘れないこと

 

 

十月は、余儀ない事情で、お話を休ませていただいてしまいました。
大勢の方々からお心にかけていただいて、メール等を頂戴いたしまして、大変恐縮いたしております。
来月こそはと思いつつも、気がついたら十一月も終わろうとしております。今日(二十六日)は、どうでも何をおいてもと思い立ちまして、今ペンをとらせていただいております。

さて、私がはじめて愛町のお教会に参拝をさせていただいた当時は、まだ十八帖の神殿でございまして、その十八帖の神殿の折りに、私はお教会に入り込みをさせていただきました。
その当時、朝づとめには、参拝の信者さんはほとんどいらっしゃらなく、入込者が二十五名ほどいる状態でした。
それでも初代会長様は、朝づとめ後、お元気なお声で、まさに御自分をも勇ませるような感じで、「今にね、この教会は、神様のお屋敷が電車道まで出るのだよ。それに、そのうちね、安田病院のところまで教会の敷地が広がっていくのだよ。僕が言っているんじゃないよ。神様がね、僕にそうおっしゃってくださっているのだよ。そうしてね、祭典には、お参りする信者さんの数が増えて神殿には入りきらなくなって、僕の顔を見ないで、声だけ聞いて帰ってゆく信者さんができてくるよ」とよくお話をしてくださったものでした。
私はそのお話を聞くたび、十八帖の神殿を見渡しながら、「会長様がおっしゃるのだから、間違いなく、遠い将来には、きっとそういう時がくるに違いないが、さて、そのような夢のようなけっこうな日がいったいいつおとずれるのだろうか・・」と思ったものでした。そして、それは私だけではなく、その場に座らせていただいた誰もが思ったことだと思います。

ところが、それから間もなくして、神殿は三十六帖に拡幅され、さらに、祭典に参拝される信者さんの数がだんだんと増えてまいりましたので、またまた隣地を買収いたしまして、九十一帖の神殿に修復拡張をされたのでした。
私の遠い記憶を呼び起こしましても、九十一帖の神殿になりますまでに、そう長い年月はかからなかったように思います。

こうしてさらに、現在の神殿の御普請が始められてゆくわけでございますが、ある日のこと、当時、建設委員長でいらした若先生(後の二代会長様)から、全員集合の号令が教会中にかかりました。
これは一大事だ、いったい何事が起きたのだろうと、入込者一同が神殿(九十一帖の神殿)に集合いたしました。(この当時、入込者の数は百名くらいになっていたと思います)

全員を待つ間もなく、若先生がお見えになりました。
まず、開口一番に、「皆も知ってのとおり、これからいよいよ普請が始まる。この普請は、今までの普請とはまったく違う、昭和の一大普請である。しかしながら、このたびは、教会にお金があって始める普請ではない。会長様は、『僕は見ての通りの体の小さな人間で、体をちょっとこうして小さくたたんで袂(たもと)に入れたら入ってしまうようなものだ。だから、僕一人であったら、こんな大きな神殿等はいらない。けれども、皆が教会へきて、座る場所がない、泊まる場所がないというから、これから皆の家を建てるのだよ。だからね、皆も自分の家を建てると思って、僕と一緒にこれから普請の苦労をしておくれ』とおっしゃっておられた」と、お話くださいました。

こんなことを申し上げてよいかどうか分かりませんが、初代会長様はここまでこられる間に、実は六つも七つもお教会をお建てになるだけのお力がおありになられました。

と申しますのは、だんだん事情(お金)が貯まってまいりまして、神様が、『関根さん、さあ普請しなさい』とおっしゃっておられるのかなと思われて、心準備をなさいますと、所々から「ひとつよろしく頼みます」とお徳積みのお声がかかり、会長様はそのたびにお受けになられておりました。そして、お教会の事情は空になり、その繰り返しであったように推察させていただきます。

時には、「会長様、そこまでなさらないでも、よろしいのではないですか」と、役員がたまり兼ねて反対をされたこともございましたが、それでも会長様は、お相手に喜んでいただく道をお通りになられました。

 


お話を戻しますが、若先生はさらに、「このように、このたびは止むに止まれぬ事情から始めるものであって、お金があって始める普請ではないから、請負工事にはならない。直営工事だ。直営工事というたら聞こえはいいが、お金がなくなったら一服して、お金が集まったらまた始めるというような普請だから、十年かかるか或いは三十年かかるか分からないのだ。そこで皆と相談だが、「何年かかってもまた何十年かかっても私はけっこうでございます。自分を捨てて御普請一筋に通らせていただきます。自分のことは考えません。また、後に居るところの家族のことも考えません。御普請一筋に通らせていただきます」という者だけ、この場所に残ってくれ。できないと思う者は、遠慮はいらないよ。ここからかまわず立ってくれ。これから神様に普請のお願いをするから」とおっしゃいました。
その時はさすがに誰一人立つ者はおりませんでした。そして、私どもは、若先生を眞として、どうでもこうでもの不退転の心定めを、神様にお供えをさせていただいたのです。

その後、お教会はだんだんと、すべてが御普請一色となってまいりました。
若先生は、「お前さんたち入込者は、会長様からわずかの御手当をいただいているだけだから、普請に事情(お金)で徳は積まなくてもいいのだよ。身上をお供えさせていただくのだよ」と常々おっしゃってくださいました。

ですから、朝早いうちから、また時には、信者さんが帰られてしまった夕づとめの後ももうひとふんばりということで、入込者だけでそれは夜中の十二時頃までモッコを担いで土持ちひのきしんをさせていただいた日もございました。
余談ではございますが、ある夏の夜の土持ちひのきしんの際、前棒を担いでいた私は、お教会の隣の安田病院の煙突の上から、赤いようなオレンジ色のような長い尾をひいた光が出てくるのを見まして、「アッ人魂!」と叫び、後棒を担いでいる方に指を指しましたが、「どこ?!どこ?!」と言っている間に、夏の夜空の闇の中にスーッと消えていってしまったことがございました。私にだけ見えたのは、私に見る因縁があったからでございましょうか。

 


さて、話は変わりまして、会長様のお傍においていただいて、日々信者さんの誠真実の姿を拝見させていただいておりますと、身上でのひのきしんだけではなく、今私に何かさせていただくことはないだろうかと、じっとしておれない心で一杯になりました。
妹の武子の身上でもう危ないという時々に、自分の身の回りの物を一つ一つ事情(お金)に変えて、妹の身上のお願いをさせていただいておりましたが、果たしてまだ売れるような品物が何か残ってはいないだろうかと思いましたところ、教会に入込をさせていただきます時に母が、「今は必要のない物だが、いずれ入り用になる時がくるであろう」という親心で、“おたすけ羽織”を一枚作って持たせてくださったのを思い出しました。
「そうだ、あの羽織がまだ一枚残っていた。あれを売らせていただいて、たとえ畳のへり一枚なりとも、また釘一本なりともお供えさせていただこう」と心に決めさせていただきまして、信者さんに古着をあつかっているご婦人がいらっしゃいましたので、「おばさん、この羽織を人さんに売ってください」とお願いをいたしましたところ、ご婦人は「分かりました。ただし、今日は預かった品物がたくさんだから、二、三日してまたまいります」と言って、その日は帰られました。

ところが、どうしたことか、それから二日経っても、三日経ってもおばさんは現れないのです。
そのうち、あだないものでございますが、日が経ってゆく中に、私の心が変わってまいりまして、「そうだ、神様はそんな無理なことはおっしゃっておられないのだ。『おたすけ羽織』は、お道の者にとって大切な物。それまで売れとはおっしゃりますまい」と、誠に自分勝手な都合のよい解釈をいたしまして、誰にも申しませんで、自分の心の中でお供えをさせていただくことをやめてしまったのです。

 

しかし、夕づとめの時にそれは起こりました。


当時は、和服を着てつとめているのは奥づとめの婦人だけで、他の方々は常時モンペを履いておられました。そのため、おつとめの後の会長様のお話のお茶出しは、奥づとめの和服を着た者がさせていただくことが多うございました。

 

その夜、私は会長様のお茶出しをさせていただきまして、炊事場に戻ってまいりますと、お留守番の女さんが、「遠藤さん。あなた、会長様がお引けになられると食事をいただく時間がいつになるか分からないでしょう。今のうちにいただいてしまいなさいよ」と、夕飯を進めてくださいましてので、お食事をいただくことにいたしました。
その日は、とても寒い日でございましたので、夕食は、のっぺい汁でございました。

いただいたおつゆを、一口吸ったように思いました。

が、その瞬間、私は頭が突然朦朧としてまいりまして、そのまま丼の中に頭を入れてしまったようでした。
びっくりした女さんが、「遠藤さん!遠藤さん!どうしたの?!!」と体を激しく左右に揺すっているのがボンヤリ分かるので、「私は死なない、大丈夫よ」と言おうとしても、声になりませんでした。


ようやく丼の中から顔を上げてくださったのでしたが、それはアーアーというほどの短い時間でございましたが、私にとりましては、あの世もこの世もない苦しみでございました。

呼吸ができないのです。

苦しいためにテーブルの上に置いた両手はいつの間にか痙攣しておりまして、それが頭の上まで上がってゆき、目尻は苦しさのあまり猫の目のようにつりあがっておりました。

ここで死んでなるものかと、思わず必死に「神様会長様」とお名前を声ない声でお呼び申し上げましたところ、三度目の時に「…会長様」と声が出まして、大きな息をハアーッとはくことができ、ようやく眼をカッと開けることができたのでした。
側にいた女さんは「私はすっかりうろたえてしまって、あなたはもう死んでしまうと思いましたよ!」と言いました。


これはいったい何であったのだろうか。言うなれば、急性の心臓発作であって、一つ間違ったら、心筋梗塞で命を落とすところであったろうと、今その時のことを思い出します。


当時のお教会は、決して医者薬を止めるわけではありませんが、身上をいただいたら、まず、おさとしをいただいてから、おさずけの理を取り次いでいただきました。

(三日のおさずけをいただいて御守護をいただけなかったら、「あなた、いったい何を考えているのですか!」と反対に先生からお叱りをいただいたものでした。ですから、お恥ずかしい話ですが、御守護をいただけませんでも、こちらから「ありがとうございました」と御礼を申し上げ、そそくさと下がらせていただいたものでございました)


その夜、初代会長様におさとしをお願い申し上げましたところ、会長様は、「お前さんは、その時本当は命がいくところであったよ。しかしながら、命のない者であっても、この御普請に自分のことは考えません、何が起きても何があっても普請一筋に通らせていただきますという一生懸命の心に免じて、神様が助けてくださったのだよ。けれども、着ている物を脱いででも“徳”を積ませていただこうと定めたことは良いことであった。にもかかわらず、神様にお試しをいただいて、うっかり崩してしまったことは、大変いけないことであった。定めた事は、たとえ殺すと言われても、殺されても結構として、命に代えても守るのだよ。守るから、神様に守られる事をお前さんに教えてくださったのだよ。このことは、これから生涯忘れないように通らせていただきなさい」と教えてくださいました。


誠にありがたいことでございます。このおさとしをいただいて、頭のモヤモヤもすっきりとれ、もとの健康な体に戻ることができたのでした。

 

そして、このおさとしを頂戴いたしました翌日、やっと古着屋のおばさんが「遅くなりました」と品物を引き取りにきてくださいましたので、「おばさん、早う持っていって」と品物をお渡しし、本当にホッといたしました。そして間もなくお金に換えてくださいまして、御普請に事情でお徳を積ませていただくことができたのでした。

 

 


これは、遠い遠い昔のお話でございます。
しかしながら、年を重ねて、私はその時のことを忘れるともなく忘れておりましたところ、神様が思い出させてくださる機会をこのたび与えてくださいました。


先般、十一月十九日のこと、夕づとめを終えて自室に戻ってまいりましたところ、急に体が動かなくなり、教服をぬぐこともできず、仕方がございませんので、そこに疼くまってしまいました。
今まで味わったこともないような背中の痛みでした。鉄板をあてられたように、右にも左にも動けない。そうしている中に、胸がギューッと締め付けられ、息ができない痛みがしてまいりました。
そうこうしております中に、家の者がまいりまして、背中を小一時間ほど撫でてくれ、また胸のほうはなんとか自分で「神様、会長様、どうか私をころさないでください。お願いいたします」と一生懸命にお願いをする中に、遠い遠い昔の出来事が浮かんでまいりました。

「会長様、私は百歳現役とお願い申し上げております。これから残る命を、会長様のお言葉またおさとしを、一人でも多くの用木の方々に生の声を聞いていただき、そして文字に書いて、一人でも大勢の方々に読んでいただきたい。それにはこれからの命が大切でございます。お願いいたします!お願いいたします!」と懸命にお願いをさせていただきました。

こうして、神様会長様がまた再び命を与えてくださいました。

 

私は、このたび思い切って、病院へまいりまして、改めて肺のレントゲンと心電図をとっていただきました。
お医者様からは、「そうですか、昔そんなことがあったのですか。しかしながら、肺もきれいなものですよ。心臓もそのようなカゲはありません。もしそういうことであれば写ります」とおっしゃいまして、私も写真を見せていただきました。
そうしてお医者様は、「貴女は、無病息災。現在の生活習慣を続けてゆかれたらもう薬はいりません。私が保証いたします」とお言葉をいただきました。

 

私が体験した病気は、医学的に言いますと、急性心臓発作(急性心筋梗塞)という病名がつけられます。

発作が起きたらまず救急車をよんで病院へ行くのが常識とされるものですが、“理”だけお見せいただいて、機械にもまったく写らなかったのです。

 

 


お医者様が「貴女は無病息災。今後は薬はいりませんよ。私が自信を持って保証いたします」とおっしゃってくださったこの言葉についてですが、私は、神様会長様がお医者様の口を通しておっしゃってくださったものと思わせていただきます。
そして、このお言葉を生涯の誇りとして、これからもなお一層勇んで、初代会長様に教えていただきました事、おさとしをいただいて自らが通らせていただいて助かった道のお話を、全国また世界中の方々に生の声で聞いていただき、そして文字を読んでいただいて、年をとったと思わず、年をよったと思って、通らせていただく覚悟でございます。
そうして、初代会長様から「この道は、二つに一つの道しかない。僕がお前さんにかわって、昔、あの者に助かってゆく道を教えてあげたのに、私の言うことが聞けないで、後々こんな気の毒なことになってしまったとして、僕が万人の前で助からなかった話をするか、お前さんが私にかわって、過去このように助かる道を会長様に教えていただきましたが、通れても通れなくても曲がりなりにも助かる道を通らせていただきまして、今日このようにけっこうにならせていただきましたとして、万人の前で助かった話をさせていただくか、どっちをお前さんは選ぶえ」と仰せくださいました時、「会長様にかわって、助かったお話を、万人の前でさせていただく道を選ばせていただきます」とお約束をさせていただいた道に、これからも進ませていただいて、新しい年も邁進させていただく覚悟でございます。
どうか皆様、これからもよろしくお願いいたします。

 


なお、来月は年末・お正月行事のための準備等でせわしない日々が続きますため、ホームページはお休みをさせていただき、平成二十一年の年が明けましてから、一月下旬頃お話をアップさせていただきたいと考えております。


皆様、お早いご挨拶ではございますが、今年一年、ホームページをご覧いただき、誠にありがとうございました。
これから年末にかけ、また気温がどんどん下がってまいりますが、どうかお体にお気をつけて、よいお年を迎えられますことを切にお祈りいたしております。
どうもありがとうございます。

 

  

 

 

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